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第207便 「なんだよ」の2月

2012.03.15
 寒い日の午後、鎌倉駅に近いコーヒーショップに入ると、「おや?」という老人の顔とぶつかった。私の顔も、「おや?」になる。
 老人と私は家が近所どうしで、私とかみさんは老人のことを、ブル先生と呼んでいる。30年も同じ住宅地にいて、ブルという名のブルドッグを飼い、そのブルが死ぬと、またブルドッグを飼って、名前がブルと変わらないのを知っているのだ。

 ブル先生は京都にある大学で経済学を教えているようだ。
 「新幹線に乗って授業に行くのは大変でしょう」
 ブルを連れて散歩中の、白髪のブル先生に聞いたことがある。
 「いやあ、それが面白いのです」という返事だった。
 3年前から京都には行かなくなって、今は週に2日、東京にある大学で授業をしている。
 ブルを連れて散歩をしているブル先生と道ばたで会話はするが、ほかにつきあいはない。それでコーヒーショップで、おたがいに、「おや?」なのである。

 こんなふうに、コーヒーショップで、テーブルをはさんで向きあってしまうと、なんだか困ってしまうなあと、はじめのうちはブル先生も私もぎこちなかったが、
 「競馬のことを書いているとか、家内から聞いております。わたしは競馬というのを、まったく知らないんですが」
 「知らないのが普通です」
 と会話したあたりから空気がなごんだ。いろいろと会話をするうち、
 「競馬場とか馬券発売所とかへは、ひとりで行く人が多いものですか」
 とブル先生に聞かれた。
 「ひとりの人が多いです。それで、ひとりごとが、あちこちで聞こえる。それを聞くのが、ぼくの楽しみなんですよ」
 「よく聞こえてくるひとりごとというか、代表的なひとりごとというのはありますか?」
 「あります。自分の賭けた馬が思いどおりに走ってくれなくて、馬券が紙クズになる。そこでひとこと、なんだよ、とつぶやく。どうしちゃったんだよという思いが、なんだよ、というひとりごとになる」
 「いやあ、しかし、人間は、なんだよ、とひとりごとを言いながら生きてる。それが人生というものかもしれないなあ」
 とブル先生はおでこに手をあて、何かを思いめぐらす顔になった。
 「すると人生も、競馬場みたいなものなんですかね。ほとんどの人が思いどおりにはいかない。それでもまた、そこへやってくる」
 そう私は言いながら、競馬場やウインズでの代表的なひとりごとは、と聞いてきたブル先生に、心のつながりのようなものを感じていた。

 2月1日、川崎の斎場へアライさんの通夜で行った。ウインズ横浜の近くの居酒屋で何度か一緒に酔っぱらったことがあるが、個人的なつきあいはない。でも、アライさんと仲よしの、私と長いつきあいのホリベさんが電話してきてアライさんの死を言い、「アライさん、ヨシカワさんにまた会いたいなあ、飲みたいなあって、病院で何度も言ってた」と言うので、通夜へ行かぬとバチがあたると思い、黒いネクタイをしめた。

 アライさんは70歳だった。ホリベさんも70歳。ウインズ横浜の仲間の、ジイさんたち3人もきていた。
 「おやじ、競馬が好きで、幸せだったです」
 とアライさんの息子が私に言いにきた。
 「おやじさん、ウインズのテレビを見上げて、いつも、なんだよ、なんなんだよ、って言ってた」
 私が言うと、
 「1月14日と15日、中山の全レース、①-⑯と⑯-①の馬単を200円ずつ買ったんですよ。1月16日が70歳の誕生日で、もう自分で覚悟してたんでしようね、もうその先の誕生日は来ないって。
 でも事件が起きたんです。わたしが馬券を買って病院へ届けたんですが、おやじ、ラジオを聞いていた。1月14日、第4Rで馬単①-⑯が出たんです。奇跡だと言って、ベッドでうれしそうでした。そのあと2時から神奈川テレビの競馬が映って第9Rで、黒竹賞で、事件が起きた。

 馬単⑯-①が出た。(1着4番人気トミケンユークアイ。2着13番人気ローマンエンブレム)それが、6万8890円。おやじ、ひとりで起きれなかったのに、ベッドで起きあがっちゃって。 
 まだ次の事件が起きるんです。11RのニューイヤーSで、なんと馬単①-⑯が出た。第4Rは580円で、11Rは1270円。
 1月15日は出なかったけど、1月14日の3本は、ほんと、奇跡です」
 とアライさんの息子が言った。
 「もうひとつの、なんだよ、なんなんだよだね」
 言って私はアライさんの遺影に敬礼をした。

 2月3日の夜8時前、「7時10分に」と松下節子さんから電話をもらった。夫の征弘氏が72歳の生涯を閉じたのである。私は荻窪の松下家へ行った。
 「なんだよ」
 眠っている征弘氏が言いだしそうな気がし、私も、「なんだよ」と声をかけそうになった。
 2月6日、花に埋まった征弘氏の足もとに、エリザベス女王杯で6着だったステージプリマのパネル写真が置かれた。京都競馬場のパドックでステージプリマを見ながら、フウッと肩の息を抜いた征弘氏が私のなかでよみがえった。

 2月9日、ホテルオークラのアスコットホールで、去年12月22日に亡くなった喜多村寿信さんのお別れの会があった。寿信さんが40分の1馬主だったサンカルロが、阪神Cを勝ったのは12月17日。「もういちどサンカルロが勝ったら、湯河原あたりに一泊して、酒のみたい。つきあってよ」と寿信さんは言っていたのだが、湯河原でないところへ、ひとりで行ってしまった。12月25日が誕生日だったから、75歳の3日前だったね。

 「なんで、そんなとこで笑ってるのよ」
 と私は大きな遺影に声をかけた。
 「それはおれが言いたいセリフだよ」
 たくさんのテレビCMを作ってきた寿信さんの声が聞こえる。「なんだよ、の2月だなあ」と思って、寿信さんの笑顔を見上げた。
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