烏森発牧場行き
第208便 反戦運動です
2012.04.13
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鎌倉駅の改札口を出ると、バスターミナルに鎌倉山経由江の島行きが待っている。グッドタイミング。途中のバス停笛田が私の家に近い。
バスに乗ろうとしたとき、「大仏に行くの、これでいいかね?」老人に聞かれる。これでいい。「ありがとう」
老人はふたりの老婆と3人組だ。席に落ち着き、通路をへだてた席の老人たちの会話を聞いていて、語尾の独特な調子から、福井だなと思ったが、そうは言わず、
「どちらからですか」と聞いてみた。
「福井から」
「福井のどこですか」
「武生」
「そうですか。ぼくは丹生郡朝日町西田中に親友がいます」
「あれえ」
老人たちはびっくり顔で私を見た。
「あのぅ、わたし、福井なんです」入口のすぐの席、老人たちや私とは一段低いところから、白髪の老婆が声をかけてきた。
「どこかね?」老人が聞き、
「金津」と声が返り、
「知っとる」老人がうなずき、
「こちらへ嫁にきて50年になるけど」と白髪の老婆が小声でつけくわえた。
大仏前でバスが停まると、お辞儀をして通る3人組に、腰をあげて白髪の老婆が、
「お気をつけて」
とていねいに見おくった。
私はあたたかくてうれしい気分になり、うっとりと車窓からの午後の陽差しを眺めながら、数日前の横浜のコーヒーショップでの出来事を思いだした。カウンターでコーヒーをのんでいた若い女が、不意に手のひらを顔におしつけ、こらえていたようだか、涙があふれてハンカチを使った。
「ごめんなさい」
若い女はカウンターをはさんだマスターに言い、私にも頭をさげ、お金を払って外へと消えた。
「彼女、陸前高田の子でね、あの3月11日で、母親と弟が流されちゃったんだ。今、こっちで大工してる伯父さんのとこにいる。初めてきたとき、突然に泣きだして、そのとき、ほかに客がいなかったから聞いたの。それで、これから、泣きたくなったらここへ来なって。おれも岩手の遠野の生まれだよって言ったら、彼女、安心したみたいに、うれしそうに笑って」
そう言ったときのマスターも、安心したような、うれしそうな笑顔だった。
「武生。金津。陸前高田。遠野」
と心で言いながら私はバス停から家へ歩き、ひと息ついたあと、日本地図をひらき、武生、金津、陸前高田、遠野を確認した。
そんなことを言うと笑われてしまうから言わないけれど、福井と岩手の地図を見ることが、おれの反戦運動なんだ、と私は思っているのだ。
71歳でオリンピックに出場、と馬術の法華津寛氏のことがスポーツ紙の一面になった日、晩に私は、古書店が並ぶ神田神保町の路地にあるバーで友だちと会っていた。
そこへ顔見知りの、そのバーの常連の、女子大で英語を教えている老人がやってきて、やがて、
「ホケツさんという人は、12歳から馬術を始めたと新聞で読みましたが、するともう、60年近く、馬と人生を歩んでるわけですね。しかしヨシカワさんも、ずいぶん長いこと、馬と人生を歩んでいるんでしょう?ま、馬というより、競馬、馬券、と言うべきかな?そんなに長くつきあえる、馬の魅力というか、理由は、何ですか?」
と私に話しかけてきた。
「来たな」、と私は思う。この女子大の先生が、私のいないところで、「あの人は、競馬とか馬券とかで、人生をゴマカシてる人だよ」と私のことを話のタネにしているのを私は知ってる。たぶん、その質問も、馬術と馬券をくらべて私をバカにしているのだろうと感じた。
「それは、反戦運動です」
笑いながら私は言った。
「反戦運動?」
老先生も笑った。
「なんですか、反戦運動って?」
「言うとバカにされるので言いません」
また私は笑い、すぐに友だちとバーを出た。
その晩、横須賀線の最終に腰かけて、1時間ほど、ひとり芝居をした。
「おれ、昭和20年3月10日の朝から、人生が始まったのかもしれない。川でたくさんの人間が死んでいるのを見たのが始まりだ。中学生になって、人間はどんなにリッパなことを言っても、結局は、戦争をやって、殺しっこをするじゃないかと思い、それを誰に言っても、相手にされなかった。
中学生のころ、父親に頼まれ、後楽園へ、自転車に乗って馬券を買いに行き、高校生のころ、実家の住み込み店員に連れられて競馬場へ行った。
ハタチすぎ、京都でバーテンだったころ、京都競馬場が仕事休みの日の居場所だった。
30歳すぎは札幌で暮らしていたので、札幌競馬場の夏は楽しかったなあ。リュウズキ、油木宣夫。キタノダイオー。アポオンワード。マーチス。
東京に戻って、浅草時代、錦糸町時代、後楽園時代と、おれの場外のホームグラウンドも移って、病院相手の仕事のときは、銀座の場外が多かったよなあ。
40代からはウインズ横浜が別荘になっちまって。
その間、おれ、ずうっと、人間という生きものは戦争をやめられないんだって、中学生のころと、まったく思いが変わらない。
絶望だね。いいさ、おれ、競馬を見てる。馬券を買わないとつまらないから、ケチだけど馬券を買う。それがおれの反戦運動。
しかし、競馬とか馬券とかで、人生をゴマカシてるってことにもなるのかな?」
私は長ゼリフに疲れ、ぼんやりとした。
バスに乗ろうとしたとき、「大仏に行くの、これでいいかね?」老人に聞かれる。これでいい。「ありがとう」
老人はふたりの老婆と3人組だ。席に落ち着き、通路をへだてた席の老人たちの会話を聞いていて、語尾の独特な調子から、福井だなと思ったが、そうは言わず、
「どちらからですか」と聞いてみた。
「福井から」
「福井のどこですか」
「武生」
「そうですか。ぼくは丹生郡朝日町西田中に親友がいます」
「あれえ」
老人たちはびっくり顔で私を見た。
「あのぅ、わたし、福井なんです」入口のすぐの席、老人たちや私とは一段低いところから、白髪の老婆が声をかけてきた。
「どこかね?」老人が聞き、
「金津」と声が返り、
「知っとる」老人がうなずき、
「こちらへ嫁にきて50年になるけど」と白髪の老婆が小声でつけくわえた。
大仏前でバスが停まると、お辞儀をして通る3人組に、腰をあげて白髪の老婆が、
「お気をつけて」
とていねいに見おくった。
私はあたたかくてうれしい気分になり、うっとりと車窓からの午後の陽差しを眺めながら、数日前の横浜のコーヒーショップでの出来事を思いだした。カウンターでコーヒーをのんでいた若い女が、不意に手のひらを顔におしつけ、こらえていたようだか、涙があふれてハンカチを使った。
「ごめんなさい」
若い女はカウンターをはさんだマスターに言い、私にも頭をさげ、お金を払って外へと消えた。
「彼女、陸前高田の子でね、あの3月11日で、母親と弟が流されちゃったんだ。今、こっちで大工してる伯父さんのとこにいる。初めてきたとき、突然に泣きだして、そのとき、ほかに客がいなかったから聞いたの。それで、これから、泣きたくなったらここへ来なって。おれも岩手の遠野の生まれだよって言ったら、彼女、安心したみたいに、うれしそうに笑って」
そう言ったときのマスターも、安心したような、うれしそうな笑顔だった。
「武生。金津。陸前高田。遠野」
と心で言いながら私はバス停から家へ歩き、ひと息ついたあと、日本地図をひらき、武生、金津、陸前高田、遠野を確認した。
そんなことを言うと笑われてしまうから言わないけれど、福井と岩手の地図を見ることが、おれの反戦運動なんだ、と私は思っているのだ。
71歳でオリンピックに出場、と馬術の法華津寛氏のことがスポーツ紙の一面になった日、晩に私は、古書店が並ぶ神田神保町の路地にあるバーで友だちと会っていた。
そこへ顔見知りの、そのバーの常連の、女子大で英語を教えている老人がやってきて、やがて、
「ホケツさんという人は、12歳から馬術を始めたと新聞で読みましたが、するともう、60年近く、馬と人生を歩んでるわけですね。しかしヨシカワさんも、ずいぶん長いこと、馬と人生を歩んでいるんでしょう?ま、馬というより、競馬、馬券、と言うべきかな?そんなに長くつきあえる、馬の魅力というか、理由は、何ですか?」
と私に話しかけてきた。
「来たな」、と私は思う。この女子大の先生が、私のいないところで、「あの人は、競馬とか馬券とかで、人生をゴマカシてる人だよ」と私のことを話のタネにしているのを私は知ってる。たぶん、その質問も、馬術と馬券をくらべて私をバカにしているのだろうと感じた。
「それは、反戦運動です」
笑いながら私は言った。
「反戦運動?」
老先生も笑った。
「なんですか、反戦運動って?」
「言うとバカにされるので言いません」
また私は笑い、すぐに友だちとバーを出た。
その晩、横須賀線の最終に腰かけて、1時間ほど、ひとり芝居をした。
「おれ、昭和20年3月10日の朝から、人生が始まったのかもしれない。川でたくさんの人間が死んでいるのを見たのが始まりだ。中学生になって、人間はどんなにリッパなことを言っても、結局は、戦争をやって、殺しっこをするじゃないかと思い、それを誰に言っても、相手にされなかった。
中学生のころ、父親に頼まれ、後楽園へ、自転車に乗って馬券を買いに行き、高校生のころ、実家の住み込み店員に連れられて競馬場へ行った。
ハタチすぎ、京都でバーテンだったころ、京都競馬場が仕事休みの日の居場所だった。
30歳すぎは札幌で暮らしていたので、札幌競馬場の夏は楽しかったなあ。リュウズキ、油木宣夫。キタノダイオー。アポオンワード。マーチス。
東京に戻って、浅草時代、錦糸町時代、後楽園時代と、おれの場外のホームグラウンドも移って、病院相手の仕事のときは、銀座の場外が多かったよなあ。
40代からはウインズ横浜が別荘になっちまって。
その間、おれ、ずうっと、人間という生きものは戦争をやめられないんだって、中学生のころと、まったく思いが変わらない。
絶望だね。いいさ、おれ、競馬を見てる。馬券を買わないとつまらないから、ケチだけど馬券を買う。それがおれの反戦運動。
しかし、競馬とか馬券とかで、人生をゴマカシてるってことにもなるのかな?」
私は長ゼリフに疲れ、ぼんやりとした。