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第209便 Yes!Yes!Yes!

2012.05.23
 4月8日、阪神競馬場に着くと、第5R3歳500万下の出走馬がパドックを歩いていた。
 競馬場に着いてすぐの馬券は、1番人気から人気順への馬単、と私は決めている。運だめしみたいな遊びだ。
 ダートの1200。1番人気はミルコ・デムーロ騎乗のヒカルマイソング。スタートから4角まで中団にいたが、じわじわじわじわと長く脚を使って1着。ハナ差で2着が4番人気のケージーハヤブサ。馬単⑧-⑮が的中。2570円。誰も私に声をかけてくれたわけではないが、「Yes! Yes! Yes!」と誰かに私は心で叫んだ。

 朝早くに家を出て、鎌倉から品川へ。品川から新幹線で新大阪へ。桜花賞を見に行く旅なんてゼイタクと感じながら、新大阪から大阪へ。そして梅田へ歩いて阪急電車で西宮北口へ。のりかえて仁川へ着いてすぐの馬券が、アタリ。

 「ああ、ほんま、Yes! Yes!」と私は、競馬場の広場でお花見の人ごみのなかでひとり、ベンチの空きを見つけて腰かけた。快晴の空。さくらの花ざかり。人間の平和。光あふれる風につつまれ、「おれ、タイガー・ウッズになっちゃった」と笑いそうになった。

 3月の末、不倫騒動を起こす前の2009年9月の「BMW選手権」以来、2年半ぶりにアメリカツアー優勝を果たしたウッズが、通算13アンダーとしたウイニングパットを沈めた瞬間、「Yes!」と3度絶叫。その記事を新聞で読んだとき、「ま、ひとに言えるほどのことでないにしても、おれにだって年に何度か、競馬場やウインズで、Yes!を絶叫するときがあるよなあ」と思ったのだった。

 スポーツ選手のコメントを読み、読みながら、私の神経が、意識が、競馬につながっていることがよくある。

 例えば、それも3月の末のこと、シアトル・マリナーズが東京ドームで阪神タイガースとオープン戦をして1打席目にヒットを打ったイチローが、試合後、「エキシビションだと思ってないもんね。なかなかこういう雰囲気で野球をやらせてもらえませんからね。いろんな緊張の種類がありますけど、大きなワンシーンでしょうね。こういう時間はあっという間に過ぎてしまうので、その瞬間を大事にしたいな、という気持ちですよね」とコメントしている。

 それを新聞で読んだときも、「いやあ、イチローさん、しっかり言えるもんだなあ」と感心し、「そうなんだよ、競馬場の満員のスタンドで客のひとりになってさ、GΙレースの発走が近づいてきたときなんか、いろんな緊張の種類があるけど、おれの生活、おれの人生のなかでの、大きなワンシーンだと感じている。そう、それで、こういう時間はあっという間に過ぎてしまうから、この瞬間を大事にしたいなという気持ちでファンファーレを聞くんだ」と私は誰かにコメントしているようだった。

 あつかましい言い方になるかもしれないが、私もイチローと似たような感覚で競馬とつきあっているわけさ。そう、そしてその感覚については、競馬を愛してしまった、競馬に愛されてしまった人なら、「わかる、わかる」とうなずいてくれそうな気がする。

 それにしてもイチローのコメントって、「やってくれるなァ」といつも思う。マリナーズとアスレチックスが東京ドームで開幕戦。そのゲーム後、「試合に入る流れがむずかしかったと思うが」という質問に、「時間の使い方がそもそもむずかしかった。どの時点で、どこで何をするか、というのがむずかしかった。あとは経験したことのない日本でのゲームで、どういう心の動きがあるのかも、想像できなかった。あそこに立ってみて、アメリカで開幕するときの緊張感とは、違う種類の緊張感、大きな緊張感ですけど、恐ろしい緊張感でしたね」と答え、「試合後、ライトスタンドを指差した」と言う記者に、「一生に2試合しかないですから......。それは、過ぎたときにあっという間だった、というものに間違いなくなるので、瞬間を刻みたいという思い。もちろん、ここに足を運んでくれた人も、同じ思いだと思うので、なるべくそれを共有したい、という思いですね」とコメントしている。

 それを読んだときも私には、競馬場にいてレースを見ている自分が浮かんでいた。
 2012年4月8日、おれは阪神競馬場にいて、空の青を見あげ、さくらの花ざかりを眺め、この時間も、過ぎたときにあっという間だった、というものに間違いなくなるなあと思った。
 足もとの地面の色を見た。ジイさんになって、ときどき、「あんたの人生、どんなものだった?」と誰かに聞かれているみたいな気になることがあるよなあ、と地面に伝えた。
 そうか、これから、そんなふうに聞かれたら、「人生かい? Yes! Yes! Yes! だ」と答えてやろうと思うと、じわじわじわ、ヒカルマイソングが差し脚をのばしているシーンが浮かんできた。

 夜、新幹線でビールをのみながら品川へ向かう。第5Rはアタったが、そのあと、桜花賞も含めて、馬券はすべてハズれたなあと、窓の外の、ところどころの明かりを眺める。
 「あんたの人生、どんなものだった?」と聞かれたが、誰の声だかわからない。
 「たいしたことないね。たいしたことなんかなかった」
 そう返事して、ぼんやりしていたのだが、なんだか怒りの感情のようなものも少し湧いて、いったい、何がたいしたことで、何がたいしたことないのかと考え、
 「Yes! Yes! Yes!」
 心で私は、3度叫んだ。
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