烏森発牧場行き
第210便 アタンナイ、ヤメタラ
2012.06.13
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ピーコという名のセキセイインコが逃げだし、警察に保護され、「サガミハラシミドリク......」と番地までしゃべったので、飼い主の女性のもとに戻ってニュースになったとき、
「ミヤさん、元気かなあ」 私が言い、
「あっ、わたしも、ミヤさん、どうしてるかなあと思った」とかみさんが言った。
5年ほど前まで、ミヤさんは奥さんのキクさんと、私の家から歩いて20分ほどの森のなかに住んでいた。女子大で英語を教えていたミヤさんの楽しみは競馬。ひたすら馬券で、飼っていたセキセイインコに、「オシカッタナア、オシカッタナア」というのと、「タラレバ、タラレバ」というのを教えこんで面白がっていた。
キクさんも冗談好きで、「聞きにきてよ。わたしも教えたの。けっこうイケてる」と言うものだから、かみさんと行ってみると、「アタンナイ、ヤメタラ、アタンナイ、ヤメタラ」そうインコが連呼するので、私もかみさんもひっくり返って笑ってしまった。
そのインコの名前は「タクマオー」。ミヤさんが競馬を知りはじめたころ、キクさんの故郷の福島の競馬場へ行ったとき、蛯沢誠治が乗って福島大賞典というレースを勝ったのがタクマオーで、人生で最初に単勝を当てた馬だという。
そこでミヤさんは蛯沢誠治のファンになり、飼った犬や猫や小鳥や金魚にも、蛯沢誠治が乗って重賞を勝った、バンパサーとかカネミカサとか、ロシアンブルーとかスズパレードとかグレースシラオキとかから省略した名をつけていた。
ウインズ横浜の馬券仲間で、インコ大好きな、植木屋のオカちゃんにタクマオーの連呼のことを言ったら、「聞きてえ。聞かせてもらいてえ」とガキみたいな顔になったので、私がオカちゃんをミヤさんの家へ連れて行ったこともあったなあ。「オシカッタナア」、「タラレバ、タラレバ」、「アタンナイ」、「ヤメタラ」。オカちゃんも笑いこけた。
「よしっ、おれも、うちのミヤコに仕込んでやる」ミヤさんとキクさんと私と楽しい酒をのみながらオカちゃんは言い、
「おたくのインコ、ミヤコというの?」キクさんに聞かれ、
「オカちゃんは歌手の大月みやこが好きで、夢で一緒にラブホテルへ行ったというの。でね、そのあとがリッパ。ラブホテルへ行っても、何もしないで、ただただ、大月みやこの歌う、クチベニガコスギタカシラ、キモノニスレバヨカッタカシラ、女の港を聞いていたというんだ」そう私が解説した。
オカちゃんがミヤコに教えこんだのは、「ソノママ、ソノママ」と、「サセ、サセ」と、「ナニヤッテンダヨ」の3パターン。
それを聞かせようと、横浜市戸塚のオカちゃんの家へ、ミヤさんとキクさん、私とかみさんがお呼ばれされた。
「ソノママ」、「サセ」、「ナニヤッテンダヨ」に拍手をし、笑って騒いだ。ほんの5年前のことなのに、オカちゃんとキクさんが、もうこの世にいない。タクマオーもミヤコもいない。
今、ミヤさんは73歳。静岡県熱海市で暮らしている。熱海市はミヤさんの故郷なのだ。
「顔を見てくる」と私は熱海へ出かけた。バス停への山道、さくらの花が散り、すっかり新緑になった森で、ケキョケキョケキョ、ホーホケキョ、ウグイスがコンサートのようだ。
「あのな、おれ、今、バスに乗って、電車に乗って、友だちの顔を見に行くところなんだ。まったく、人生という奴、何もかも、思い出になっちゃって、面白いんだかつまらないんだか、うれしいんだか悲しいんだか、ホーホケキョだ」わけわからないことを私はウグイスに言っている。
電話をしておいたので、熱海駅の改札口の前にミヤさんが立っていた。なんだかまるで、惚れあった男と女みたいに、改札口をはさんでミヤさんも私も手を振った。
「元気そう」私が手を出すと、
「まあね、元気だよ」ミヤさんが握りかえした。
昼めしどきで、海が見える食堂まで歩いて、ビールで乾杯する。
「相模原のインコのニュース、知ってる?」
「テレビで見たよ。タクマオーのこと、思いだしてた」そうミヤさんが言ったので、
「アタンナイ、ヤメタラ」私がインコになって笑い、
「相変わらず、馬券、電話で買ってるんだけど、それ、その、女房の、アタンナイ、ヤメタラが、ときどき聞こえてくる」とミヤさんも笑った。
海の遠くが光っていた。そこへ目をやっていると、キクさんもオカちゃんも、タクマオーもミヤコも、その光のなかにいるような気がした。
「最近は、だんだんと、自分がインコになってるなあって思うよ。それでね、ゲンキダヨ、ゲンキダヨって、誰かに言ってる」ミヤさんが言う。
「今日も新聞で、コンプガチャというのを読んで、なんのことかわからない。読んで、ゲームの仕組みのひとつで、大きな金が動いてるんだね。
わたしなんかがまったく知らないことで社会が流れているんだなあって思って、迷子になってるみたいでさびしいけど、いいや、おれには競馬があればいいやって。
そうそう、NHKマイルCの、クラレントのね、1630円の複勝というの、1000円取った。小牧太とね、江田照男が、ときどき、わたしを幸せにしてくれるわけよ」
「いいねいいね。タクマオー、現役。ゲンキダヨ、ゲンキダヨ」と私がインコになった。
「ミヤさん、元気かなあ」 私が言い、
「あっ、わたしも、ミヤさん、どうしてるかなあと思った」とかみさんが言った。
5年ほど前まで、ミヤさんは奥さんのキクさんと、私の家から歩いて20分ほどの森のなかに住んでいた。女子大で英語を教えていたミヤさんの楽しみは競馬。ひたすら馬券で、飼っていたセキセイインコに、「オシカッタナア、オシカッタナア」というのと、「タラレバ、タラレバ」というのを教えこんで面白がっていた。
キクさんも冗談好きで、「聞きにきてよ。わたしも教えたの。けっこうイケてる」と言うものだから、かみさんと行ってみると、「アタンナイ、ヤメタラ、アタンナイ、ヤメタラ」そうインコが連呼するので、私もかみさんもひっくり返って笑ってしまった。
そのインコの名前は「タクマオー」。ミヤさんが競馬を知りはじめたころ、キクさんの故郷の福島の競馬場へ行ったとき、蛯沢誠治が乗って福島大賞典というレースを勝ったのがタクマオーで、人生で最初に単勝を当てた馬だという。
そこでミヤさんは蛯沢誠治のファンになり、飼った犬や猫や小鳥や金魚にも、蛯沢誠治が乗って重賞を勝った、バンパサーとかカネミカサとか、ロシアンブルーとかスズパレードとかグレースシラオキとかから省略した名をつけていた。
ウインズ横浜の馬券仲間で、インコ大好きな、植木屋のオカちゃんにタクマオーの連呼のことを言ったら、「聞きてえ。聞かせてもらいてえ」とガキみたいな顔になったので、私がオカちゃんをミヤさんの家へ連れて行ったこともあったなあ。「オシカッタナア」、「タラレバ、タラレバ」、「アタンナイ」、「ヤメタラ」。オカちゃんも笑いこけた。
「よしっ、おれも、うちのミヤコに仕込んでやる」ミヤさんとキクさんと私と楽しい酒をのみながらオカちゃんは言い、
「おたくのインコ、ミヤコというの?」キクさんに聞かれ、
「オカちゃんは歌手の大月みやこが好きで、夢で一緒にラブホテルへ行ったというの。でね、そのあとがリッパ。ラブホテルへ行っても、何もしないで、ただただ、大月みやこの歌う、クチベニガコスギタカシラ、キモノニスレバヨカッタカシラ、女の港を聞いていたというんだ」そう私が解説した。
オカちゃんがミヤコに教えこんだのは、「ソノママ、ソノママ」と、「サセ、サセ」と、「ナニヤッテンダヨ」の3パターン。
それを聞かせようと、横浜市戸塚のオカちゃんの家へ、ミヤさんとキクさん、私とかみさんがお呼ばれされた。
「ソノママ」、「サセ」、「ナニヤッテンダヨ」に拍手をし、笑って騒いだ。ほんの5年前のことなのに、オカちゃんとキクさんが、もうこの世にいない。タクマオーもミヤコもいない。
今、ミヤさんは73歳。静岡県熱海市で暮らしている。熱海市はミヤさんの故郷なのだ。
「顔を見てくる」と私は熱海へ出かけた。バス停への山道、さくらの花が散り、すっかり新緑になった森で、ケキョケキョケキョ、ホーホケキョ、ウグイスがコンサートのようだ。
「あのな、おれ、今、バスに乗って、電車に乗って、友だちの顔を見に行くところなんだ。まったく、人生という奴、何もかも、思い出になっちゃって、面白いんだかつまらないんだか、うれしいんだか悲しいんだか、ホーホケキョだ」わけわからないことを私はウグイスに言っている。
電話をしておいたので、熱海駅の改札口の前にミヤさんが立っていた。なんだかまるで、惚れあった男と女みたいに、改札口をはさんでミヤさんも私も手を振った。
「元気そう」私が手を出すと、
「まあね、元気だよ」ミヤさんが握りかえした。
昼めしどきで、海が見える食堂まで歩いて、ビールで乾杯する。
「相模原のインコのニュース、知ってる?」
「テレビで見たよ。タクマオーのこと、思いだしてた」そうミヤさんが言ったので、
「アタンナイ、ヤメタラ」私がインコになって笑い、
「相変わらず、馬券、電話で買ってるんだけど、それ、その、女房の、アタンナイ、ヤメタラが、ときどき聞こえてくる」とミヤさんも笑った。
海の遠くが光っていた。そこへ目をやっていると、キクさんもオカちゃんも、タクマオーもミヤコも、その光のなかにいるような気がした。
「最近は、だんだんと、自分がインコになってるなあって思うよ。それでね、ゲンキダヨ、ゲンキダヨって、誰かに言ってる」ミヤさんが言う。
「今日も新聞で、コンプガチャというのを読んで、なんのことかわからない。読んで、ゲームの仕組みのひとつで、大きな金が動いてるんだね。
わたしなんかがまったく知らないことで社会が流れているんだなあって思って、迷子になってるみたいでさびしいけど、いいや、おれには競馬があればいいやって。
そうそう、NHKマイルCの、クラレントのね、1630円の複勝というの、1000円取った。小牧太とね、江田照男が、ときどき、わたしを幸せにしてくれるわけよ」
「いいねいいね。タクマオー、現役。ゲンキダヨ、ゲンキダヨ」と私がインコになった。