第5コーナー ~競馬余話~
第132回 「女優」
2022.03.11
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1985年秋の天皇賞でシンボリルドルフを破る大金星を挙げたギャロップダイナなど数々の名馬を育てた矢野進・元調教師が2022年2月に亡くなった。84歳だった。
1937年に栃木県で生まれた矢野さんは18歳だった1956年7月12日に騎手免許を手にした。同年7月28日の福島競馬第7レースでニユーダイワに乗り、初騎乗初勝利という快記録を残している。1971年2月いっぱい、33歳で引退するまで、16年間の騎手生活での成績は、943戦103勝だった。
1973年に調教師免許を取得。1975年3月に厩舎を開業した。37歳だった。同年3月4日の中山競馬第8レース、ダイトバロンが初出走で8着。同月21日の中山競馬第12レース、のべ5頭目の出走となったマッケンレーで調教師としての初勝利を挙げた。
厩舎を開業して3年目の1977年、ビッグタイトルをつかむ。バローネターフが中山大障害・春で優勝を飾ったのだ。3歳夏に障害入りし、少しずつ強くなり、5歳の春に大輪を咲かせた。バローネターフはその後もタイトルを積み重ね、5歳と7歳で中山大障害春秋連覇、6歳秋にも優勝するなど、合わせて中山大障害5勝の記録を残した。当然のように1977年から3年連続で最優秀障害馬に選ばれている。
バローネターフと同じころ、矢野厩舎に牝馬のモデルスポートがいた。父モデルフール(USA)、母マジックゴデイス(GB)という血統の1975年生まれの牝馬だ。3歳1月にデビューしたモデルスポートはクラシックレースには間に合わなかったが、7月に4勝目(7戦目)を挙げた。秋はスプリンターズSで3着に食い込む健闘を見せると、続く牝馬東京タイムズ杯、ダービー卿CTと重賞2連勝を飾った。この年、11戦6勝の成績を残し、桜花賞馬、オークス馬などを抑えて最優秀3歳牝馬に選ばれている。
4歳時に2戦(1勝)したモデルスポートは現役を引退し、繁殖牝馬になった。その3番子で1983年に誕生したのがダイナアクトレスだった。父は前年、初のリーディング種牡馬に輝いたノーザンテースト(CAN)。母のモデルスポートと同様にダイナアクトレスは矢野進厩舎に所属することになった。
「女優」という馬名の通り、ダイナアクトレスは目立つ少女だった。1985年8月のデビューから3連勝で函館3歳S(現函館2歳S)を制覇するほどの才能に恵まれる一方、激しい気性も併せ持っていた。3歳初戦のすみれ賞ではゲート入りにてこずり、最下位に終わる。このレースで出走停止と調教再審査の処分を受け、桜花賞への出走ができなくなった。そんなお騒がせタイプではあったが、潜在能力は素晴らしく、通算19戦7勝。五つの重賞勝ちを収めた。そして繁殖牝馬として優秀な産駒を残した。
初子の牡馬ステージチャンプは日経賞など重賞2勝。2番子の牝馬プライムステージもフェアリーSなど重賞で2勝を挙げた。プライムステージの息子アブソリュートは富士Sなど、これまた重賞2勝を挙げた。モデルスポートに始まり、ダイナアクトレス、プライムステージと母が繋いだ重賞勝ちの記録は4代目のアブソリュートまで続いた。
ダイナアクトレスを起点とする母系はもう一つの強力なラインを生んだ。ダイナアクトレスの3番子、牝馬のランニングヒロインだ。サンデーサイレンス(USA)とダイナアクトレスの間に生まれたランニングヒロインはわずか2戦(0勝)しただけで現役を引退したが、繁殖牝馬としてGⅠ馬の母になった。グラスワンダー(USA)との間に出産したスクリーンヒーローがその馬だ。2008年のジャパンカップで優勝し、その年の2月いっぱいで定年となった矢野進調教師から引き継いだ鹿戸雄一調教師が初のGⅠタイトルに輝いた。
スクリーンヒーローは種牡馬になってGⅠ6勝のモーリスを出し、2021年のスプリンターズSではモーリス産駒のピクシーナイトが優勝した。グラスワンダー→スクリーンヒーロー→モーリス→ピクシーナイトと父系4代にわたるGⅠ制覇はJRA史上初の快挙となった。
「矢野進血統」ともいえるモデルスポートを起点とする血統は、モデルスポートが生まれて45年以上が過ぎてなお広がりを見せている。モーリスや将来種牡馬になるであろうピクシーナイトを通じ、さらに枝葉を伸ばすだろう。天国の矢野さんには、この血統の広がりを遠くから見守ってほしいと思う。
1937年に栃木県で生まれた矢野さんは18歳だった1956年7月12日に騎手免許を手にした。同年7月28日の福島競馬第7レースでニユーダイワに乗り、初騎乗初勝利という快記録を残している。1971年2月いっぱい、33歳で引退するまで、16年間の騎手生活での成績は、943戦103勝だった。
1973年に調教師免許を取得。1975年3月に厩舎を開業した。37歳だった。同年3月4日の中山競馬第8レース、ダイトバロンが初出走で8着。同月21日の中山競馬第12レース、のべ5頭目の出走となったマッケンレーで調教師としての初勝利を挙げた。
厩舎を開業して3年目の1977年、ビッグタイトルをつかむ。バローネターフが中山大障害・春で優勝を飾ったのだ。3歳夏に障害入りし、少しずつ強くなり、5歳の春に大輪を咲かせた。バローネターフはその後もタイトルを積み重ね、5歳と7歳で中山大障害春秋連覇、6歳秋にも優勝するなど、合わせて中山大障害5勝の記録を残した。当然のように1977年から3年連続で最優秀障害馬に選ばれている。
バローネターフと同じころ、矢野厩舎に牝馬のモデルスポートがいた。父モデルフール(USA)、母マジックゴデイス(GB)という血統の1975年生まれの牝馬だ。3歳1月にデビューしたモデルスポートはクラシックレースには間に合わなかったが、7月に4勝目(7戦目)を挙げた。秋はスプリンターズSで3着に食い込む健闘を見せると、続く牝馬東京タイムズ杯、ダービー卿CTと重賞2連勝を飾った。この年、11戦6勝の成績を残し、桜花賞馬、オークス馬などを抑えて最優秀3歳牝馬に選ばれている。
4歳時に2戦(1勝)したモデルスポートは現役を引退し、繁殖牝馬になった。その3番子で1983年に誕生したのがダイナアクトレスだった。父は前年、初のリーディング種牡馬に輝いたノーザンテースト(CAN)。母のモデルスポートと同様にダイナアクトレスは矢野進厩舎に所属することになった。
「女優」という馬名の通り、ダイナアクトレスは目立つ少女だった。1985年8月のデビューから3連勝で函館3歳S(現函館2歳S)を制覇するほどの才能に恵まれる一方、激しい気性も併せ持っていた。3歳初戦のすみれ賞ではゲート入りにてこずり、最下位に終わる。このレースで出走停止と調教再審査の処分を受け、桜花賞への出走ができなくなった。そんなお騒がせタイプではあったが、潜在能力は素晴らしく、通算19戦7勝。五つの重賞勝ちを収めた。そして繁殖牝馬として優秀な産駒を残した。
初子の牡馬ステージチャンプは日経賞など重賞2勝。2番子の牝馬プライムステージもフェアリーSなど重賞で2勝を挙げた。プライムステージの息子アブソリュートは富士Sなど、これまた重賞2勝を挙げた。モデルスポートに始まり、ダイナアクトレス、プライムステージと母が繋いだ重賞勝ちの記録は4代目のアブソリュートまで続いた。
ダイナアクトレスを起点とする母系はもう一つの強力なラインを生んだ。ダイナアクトレスの3番子、牝馬のランニングヒロインだ。サンデーサイレンス(USA)とダイナアクトレスの間に生まれたランニングヒロインはわずか2戦(0勝)しただけで現役を引退したが、繁殖牝馬としてGⅠ馬の母になった。グラスワンダー(USA)との間に出産したスクリーンヒーローがその馬だ。2008年のジャパンカップで優勝し、その年の2月いっぱいで定年となった矢野進調教師から引き継いだ鹿戸雄一調教師が初のGⅠタイトルに輝いた。
スクリーンヒーローは種牡馬になってGⅠ6勝のモーリスを出し、2021年のスプリンターズSではモーリス産駒のピクシーナイトが優勝した。グラスワンダー→スクリーンヒーロー→モーリス→ピクシーナイトと父系4代にわたるGⅠ制覇はJRA史上初の快挙となった。
「矢野進血統」ともいえるモデルスポートを起点とする血統は、モデルスポートが生まれて45年以上が過ぎてなお広がりを見せている。モーリスや将来種牡馬になるであろうピクシーナイトを通じ、さらに枝葉を伸ばすだろう。天国の矢野さんには、この血統の広がりを遠くから見守ってほしいと思う。