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第137回 「50年」

2022.08.10
 6月26日に阪神競馬場で行われた第63回宝塚記念はファン投票1位で単勝2番人気のタイトルホルダー(牡4歳、美浦・栗田徹厩舎)が優勝した。
 横山和生騎手に導かれたタイトルホルダーは芝2200メートルを2分9秒7で駆け抜けた。そのタイムは2011年にアーネストリーが同じく宝塚記念でマークした2分10秒1を11年ぶりに更新するコース新記録であり、レース新記録ともなった。

 タイトルホルダーの父ドゥラメンテは6年前、2016年の宝塚記念で2着になったがレース中に脚を痛め、このけがが原因で現役を引退した。息子のタイトルホルダーが見事に父の雪辱を果たした。

 父の雪辱のほかにもタイトルホルダーは珍しい記録を達成した。2021年の菊花賞、2022年の天皇賞・春に続き、GⅠ3勝はいずれも阪神競馬場で挙げたものだった。実況アナウンサーがゴール前「空前絶後の阪神3冠」と叫んだのを覚えていらっしゃる方も多いだろう。京都競馬場が改修中のため、菊花賞と天皇賞・春が阪神競馬場で行われた。

 グレード制が導入された1984年以降、阪神競馬場でのGⅠ3勝は歴代最多タイの記録だ。3勝しているのはラッキーライラック(阪神ジュベナイルフィリーズ、大阪杯、エリザベス女王杯)とグランアレグリア(桜花賞、マイルチャンピオンシップ2勝)だ。タイトルホルダーを含めた3頭とも京都競馬場改修の影響で本来の開催競馬場とは違う阪神で制したレースがあり、阪神でのGⅠ3勝は京都競馬場改修というイレギュラーなケースだからこそ達成された記録といえそうだ。

 もうひとつ、タイトルホルダーが宝塚記念で達成した記録で忘れてはならないのが同年の天皇賞・春優勝馬による制覇だ。ありそうな記録だが、2006年のディープインパクト以来16年ぶりで史上11頭目という快挙だった。

 宝塚記念は毎年6月下旬に行われる。今年の開催日6月26日は東京で最高気温が35度を超える猛暑日になるなど初夏とはいえ、競走馬にとって高温多湿の条件はコンディション作りに最適な季節とはいえない。天皇賞・春との連勝がむずかしいのも季節的なものが理由にあるのかもしれない。

 タイトルホルダーは4歳になって、日経賞、天皇賞・春、宝塚記念と3連勝を達成した。天皇賞・春を含め3連勝以上で宝塚記念を制した例は、タイトルホルダーを含め6例しかない。

 1964年のヒカルポーラ、1971年のメジロムサシ、1988年のタマモクロス、2000年のテイエムオペラオー、2006年のディープインパクト。そしてタイトルホルダーである。

 1967年に生まれたメジロムサシは4歳時の1971年3月、目黒記念・春(当時目黒記念は春と秋の2回行われていた)で重賞初制覇を飾ると、その勢いで天皇賞・春も優勝。続く宝塚記念も制した。その活躍が認められ、この年の最優秀5歳以上牡馬(現JRA賞最優秀4歳以上牡馬)に選ばれている。5歳になったメジロムサシは海外遠征に向かった。10月にはフランス凱旋門賞、11月には米・ワシントンDCインターナショナルに出走した。ともに着外に終わったが、まだ海外遠征が珍しい時期の果敢なる挑戦だった。

 メジロムサシが出世のきっかけをつかんだのは横山富雄騎手との出会いだった。ダービーで18着に終わった後、夏の函館競馬場に向かった。ここで横山富雄騎手と巡り合い、特別レース2連勝。その後のセントライト記念でも2着になり、オープン馬になった。

 「黒い重戦車」と呼ばれたメジロムサシは激しい気性でイレ込むタイプだった。難しい性格の馬を乗りこなす横山富雄騎手とのコンビ誕生によって、その能力がフルに発揮された。

 横山富雄騎手は名障害馬フジノオーとのコンビで知られるが、平地でもメジロタイヨウとメジロムサシで天皇賞制覇。ニットウチドリで桜花賞、ファイブホープでオークスに勝っている名手だ。病気のため志半ばで現役を引退することになったが、その遺伝子は今も競馬界に生き続ける。

 息子・横山典弘騎手、孫・横山和生、横山武史騎手の親子3代ジョッキーである。

 タイトルホルダーは横山和生騎手が手綱を取るようになってから4戦3勝と一皮むけた。天皇賞・春と宝塚記念で手綱を取った横山和生騎手はいずれのレースでも横山富雄騎手、横山典弘騎手に次ぐ親子3代制覇という快挙を達成した。

 横山和生騎手はタイトルホルダーとともにこの秋、凱旋門賞に向かう。メジロムサシも凱旋門賞に挑んだが、横山富雄騎手はフランスに行くことはできなかった。実績のある野平祐二騎手に託された。今年はメジロムサシの凱旋門賞からちょうど50年。タイトルホルダーと横山和生騎手には、メジロムサシと横山富雄騎手の分まで頑張って、いい成績を挙げてほしいと思う。
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