第5コーナー ~競馬余話~
第23回 2歳の年度代表馬
2010.02.01
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地方競馬全国協会(NAR)は1月7日,「NARグランプリ2009」の表彰馬と表彰者を発表した。年度代表馬にはデビューから無傷の5連勝を飾ったラブミーチャン(笠松・柳江仁厩舎)が選ばれた。1990年に第1回NARグランプリが始まって以来,2歳馬が年度代表馬に選出されるのは初めてという快挙だった。
日本中央競馬会(JRA)が主催するJRA賞の年度代表馬でも54年の発足以来,2歳の年度代表馬は出現していない。
ラブミーチャンは07年3月19日に北海道新ひだか町のグランド牧場で生まれた。父サウスヴィグラス(USA),母ダッシングハニー(その父アサティス(USA))という血統だ。08年8月に行われたサラブレッド1歳のせり市・北海道サマーセールに出場し,風水で有名なドクター・コパさんこと馬主の小林祥晃さんに315万円(消費税込み)で落札された。
デビューは09年10月7日の笠松競馬場の新馬戦,ダートの800メートルだった。スタート直後こそ他馬に先頭を譲ったが,行き脚がついてからは逃げる形になり,最後は追ったところなしの4馬身差楽勝。2戦目は10月30日のジュニアクラウン(笠松競馬場ダート1400メートル)。これも1番人気に応えて2連勝した。
3戦目は11月14日,JRAの京都競馬場に向かい,中央勢と初めての手合わせをした。環境の変化にも動じず,またしても逃げ切り勝ち。ダート1200メートル1分11秒0の優勝タイムは京都競馬場2歳のレコードタイムとなった。中8日の強行日程で挑んだのが自身4戦目で初めての重賞兵庫ジュニアグランプリ(11月23日,園田競馬場ダート1400メートル)だった。一気に相手が強くなったが,いつもの逃げ戦法に出て,最後の直線では中央の快足牝馬アースサウンドとの一騎打ち。この競り合いを4分の3馬身しのいで重賞タイトルを手にした。そして12月16日の川崎競馬場。2歳のダート王を決める全日本2歳優駿(ダート1600メートル)でまたも逃げ切りを決め,1分40秒0のレースレコードで5連勝。5戦すべて浜口楠彦騎手とコンビを組み,見事に09年の締めくくりを飾った。
NARグランプリの年度代表馬に牝馬が選ばれたのはホワイトシルバー(93年),ライデンリーダー(95年),ベラミロード(00年),ネームヴァリュー(03年)に続いて6年ぶり5頭目で笠松からはライデンリーダー以来だった。
ラブミーチャンが国内で初の2歳の年度代表馬になったが,海外では米国のセクレタリアトのケースが有名だ。
3冠最後のベルモントSで2着馬に31馬身差をつける圧勝劇を演じるなどして,米国競馬史上9頭目の3冠馬になったセクレタリアトは幼い頃から抜群の才能を見せた。
1972年,2歳の7月にデビューすると,11月までに9戦。このうち8度先頭でゴールしたが,1度は走行妨害で2着降着になっており,7勝2着1回。デビュー戦だけ4着という成績だった。この快進撃が認められ,米国の表彰制度であるエクリプス賞の年度代表馬に選ばれている。当然,3冠に輝いた73年にも年度代表馬になっており,2歳,3歳で頂点に立つ偉業を達成した。
セクレタリアトはきょうだいが17頭もいた。母サムシングロイヤルは多産だった。セクレタリアトの兄ファーストファミリー(USA)とロイヤルタタン(USA)は日本に輸入され,種牡馬となった。
このうちファーストファミリーはホウヨウボーイを出した。ホウヨウボーイは有馬記念や天皇賞・秋を制し,80年と81年,2年連続してJRAの年度代表馬に選ばれた。
ラブミーチャンは今年,JRAの桜花賞に挑む計画だという。クラシック制覇は笠松の先輩ライデンリーダーがチャレンジしてできなかった地方所属馬の悲願だ。その快挙が達成された時は,セクレタリアトやホウヨウボーイのような2年連続の年度代表馬の勲章が待っているはずだ。
JBBA NEWS 2010年2月号より転載
日本中央競馬会(JRA)が主催するJRA賞の年度代表馬でも54年の発足以来,2歳の年度代表馬は出現していない。
ラブミーチャンは07年3月19日に北海道新ひだか町のグランド牧場で生まれた。父サウスヴィグラス(USA),母ダッシングハニー(その父アサティス(USA))という血統だ。08年8月に行われたサラブレッド1歳のせり市・北海道サマーセールに出場し,風水で有名なドクター・コパさんこと馬主の小林祥晃さんに315万円(消費税込み)で落札された。
デビューは09年10月7日の笠松競馬場の新馬戦,ダートの800メートルだった。スタート直後こそ他馬に先頭を譲ったが,行き脚がついてからは逃げる形になり,最後は追ったところなしの4馬身差楽勝。2戦目は10月30日のジュニアクラウン(笠松競馬場ダート1400メートル)。これも1番人気に応えて2連勝した。
3戦目は11月14日,JRAの京都競馬場に向かい,中央勢と初めての手合わせをした。環境の変化にも動じず,またしても逃げ切り勝ち。ダート1200メートル1分11秒0の優勝タイムは京都競馬場2歳のレコードタイムとなった。中8日の強行日程で挑んだのが自身4戦目で初めての重賞兵庫ジュニアグランプリ(11月23日,園田競馬場ダート1400メートル)だった。一気に相手が強くなったが,いつもの逃げ戦法に出て,最後の直線では中央の快足牝馬アースサウンドとの一騎打ち。この競り合いを4分の3馬身しのいで重賞タイトルを手にした。そして12月16日の川崎競馬場。2歳のダート王を決める全日本2歳優駿(ダート1600メートル)でまたも逃げ切りを決め,1分40秒0のレースレコードで5連勝。5戦すべて浜口楠彦騎手とコンビを組み,見事に09年の締めくくりを飾った。
NARグランプリの年度代表馬に牝馬が選ばれたのはホワイトシルバー(93年),ライデンリーダー(95年),ベラミロード(00年),ネームヴァリュー(03年)に続いて6年ぶり5頭目で笠松からはライデンリーダー以来だった。
ラブミーチャンが国内で初の2歳の年度代表馬になったが,海外では米国のセクレタリアトのケースが有名だ。
3冠最後のベルモントSで2着馬に31馬身差をつける圧勝劇を演じるなどして,米国競馬史上9頭目の3冠馬になったセクレタリアトは幼い頃から抜群の才能を見せた。
1972年,2歳の7月にデビューすると,11月までに9戦。このうち8度先頭でゴールしたが,1度は走行妨害で2着降着になっており,7勝2着1回。デビュー戦だけ4着という成績だった。この快進撃が認められ,米国の表彰制度であるエクリプス賞の年度代表馬に選ばれている。当然,3冠に輝いた73年にも年度代表馬になっており,2歳,3歳で頂点に立つ偉業を達成した。
セクレタリアトはきょうだいが17頭もいた。母サムシングロイヤルは多産だった。セクレタリアトの兄ファーストファミリー(USA)とロイヤルタタン(USA)は日本に輸入され,種牡馬となった。
このうちファーストファミリーはホウヨウボーイを出した。ホウヨウボーイは有馬記念や天皇賞・秋を制し,80年と81年,2年連続してJRAの年度代表馬に選ばれた。
ラブミーチャンは今年,JRAの桜花賞に挑む計画だという。クラシック制覇は笠松の先輩ライデンリーダーがチャレンジしてできなかった地方所属馬の悲願だ。その快挙が達成された時は,セクレタリアトやホウヨウボーイのような2年連続の年度代表馬の勲章が待っているはずだ。
JBBA NEWS 2010年2月号より転載