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第33回 大いなる軌跡

2013.12.16
 2013年11月16日、東京スポーツ杯2歳Sで偉大な記録が達成された。
 単勝2番人気の支持を受けたイスラボニータは、東京競馬場の芝1800mを1分45秒9という2歳のJRA新記録で駆け抜け、先頭でゴールした。その記録は前年の同じレースで、コディーノがマークした1分46秒0のタイムを0秒1更新するものだった。

 この勝利はイスラボニータの父フジキセキにとって1996年生まれの初年度産駒から続いていた連続世代JRA重賞勝利記録を16世代とする貴重な1勝となった。ノーザンテースト(CAN)と並んでいた15世代連続勝利の記録をひとつ伸ばし、フジキセキはこれで単独トップに立った。生年順にその重賞勝ち馬を列挙してみる。

【1996年】トウショウアンドレ
【1997年】ダイタクリーヴァ、グランパドドゥ、ミツワトップレディ
【1998年】テンシノキセキ、デモリションマン
【1999年】キタサンヒボタン、オースミコスモ
【2000年】ワナ、フジサイレンス
【2001年】メイショウオスカル、タマモホットプレイ、ビーナスライン
【2002年】カネヒキリ、ユメノシルシ
【2003年】ドリームパスポート、コイウタ、ファイングレイン
【2004年】エイジアンウインズ、ピエナビーナス、アルティマトゥーレ、ゴールデンダリア
【2005年】エフティマイア、サブジェクト
【2006年】デグラーティア、バアゼルリバー
【2007年】シンメイフジ、ダノンシャンティ、ミラクルレジェンド
【2008年】サダムパテック
【2009年】ブライトライン、ストローハット
【2010年】タマモベストプレイ、メイケイペガスター
【2011年】イスラボニータ

 以上の35頭がフジキセキが生んだJRA重賞勝ち馬のすべてだ、と言いたいところだが、重要な1頭が抜け落ちている。2003年9月24日生まれのキンシャサノキセキだ。誕生日からも想像できるように、キンシャサノキセキはフジキセキが南半球との間で行き来するシャトル種牡馬だった時代に、オーストラリアで生産された。日本で競走馬となり、史上初の高松宮記念連覇などJRA重賞7勝の成績を残した。

 フジキセキ産駒は2013年11月17日現在、中央競馬で通算1399勝を挙げている。これはサンデーサイレンス(USA)、ノーザンテースト、ブライアンズタイム(USA)に次ぐ歴代4位の数字で、重賞レース64勝はサンデーサイレンス、ヒンドスタン(IRE)、パーソロン(IRE)、ノーザンテースト、ブライアンズタイム、テスコボーイ(GB)に続く歴代7位でライジングフレーム(IRE)やトニービン(IRE)などの名種牡馬を抑えた。

 競走馬としてのフジキセキは不運だった。1992年4月15日、サンデーサイレンスの初年度産駒の1頭として生まれた。1994年8月に新潟競馬場でデビュー勝ちを収めると、もみじS(阪神競馬場)も連勝。単勝1.5倍の1番人気に支持された朝日杯3歳S(当時)も快勝して3連勝。翌年のクラシック候補になった。年明け初戦の弥生賞も制したが、皐月賞を目前に故障を発生し、そのまま現役生活を終えた。
 早すぎる引退で3歳春から種付けを始めたため息の長い種牡馬生活を送ることが可能になった。

 短距離のスペシャリスト・キンシャサノキセキ、「砂のディープインパクト」と呼ばれたカネヒキリ、NHKマイルカップで驚異のレコードタイムをマークしたダノンシャンティなど2世は個性派ぞろいだ。キンシャサノキセキと同様、フジキセキがオーストラリアで残したサンクラシークは南アフリカの調教師に育てられ、2008年のドバイ・シーマクラシックを制している。

 フジキセキは体調を崩し、2010年を最後に種付けをやめている。121頭誕生している2011年生まれが最後の世代になるかもしれない。残されているクラシックのタイトルを手にすることができるかどうか。父と同じように2世もクラシックと無縁で終わるのは悲しすぎる。イスラボニータの2014年の走りに期待したい。
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