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第59回 「マンボ」

2016.02.18
 エルコンドルパサー(USA)やキングカメハメハを通じて日本の競馬に大きな影響を与えた種牡馬キングマンボが2016年1月20日、繋養先の米レーンズエンドファームで、その生涯を閉じた。26歳だった。
 ひとことでいえば超良血馬である。父は米国の歴史的な名種牡馬ミスタープロスペクター、母は仏、英、米でGⅠレース計10勝を挙げたミエスク。両親とも文句なしの実績を誇る超のつく一流馬だ。

 1990年2月に米国で生まれたキングマンボはフランスで競走馬になった。1992年7月、デビュー2戦目で初勝利を挙げる。だが2勝目は3歳初戦の1993年4月まで待たなければならなかった。ここから快進撃が始まる。仏2000ギニー(芝1600㍍)、英セントジェームスパレスS(芝約1600㍍)、仏ムーラン・ド・ロンシャン賞(芝1600㍍)と3つのマイルGⅠレースで優勝する。9月の英クイーンエリザベス2世S(芝約1600㍍)で3着になり、3歳いっぱいで現役を引退した。

 1994年に種牡馬転向。その1年目の産駒のうちの1頭がエルコンドルパサーだった。オーナーの渡邊隆さんが考え抜いた末の近親配合。サドラーズウェルズ牝馬のサドラーズギャル(IRE)とキングマンボとの交配でエルコンドルパサーは誕生した。

 JRA美浦トレーニング・センターの二ノ宮敬宇調教師に育てられたエルコンドルパサーは1997年のデビューから5連勝でNHKマイルカップを制する。秋は毎日王冠(2着)から始動し、続くジャパンカップでは、18回の歴史で初めて日本の3歳馬としての優勝を果たした。4歳時は長期計画でフランスに遠征し、7月のサンクルー大賞で海外GⅠ初制覇を果たした。前哨戦のフォワ賞も制して迎えた凱旋門賞ではモンジューとのマッチレースに持ち込み、惜しくも半馬身差の2着に敗れた。3着馬はエルコンドルパサーから6馬身も離れていた。

 通算11戦8勝で現役を終えたエルコンドルパサーは、2000年から日本で種牡馬になった。2年目の産駒からヴァーミリアンという大物を送り出した。JBCクラシック3連覇など統一ダートGⅠで合計9勝を挙げるなど「砂の王者」として君臨した。3年目の産駒ソングオブウインドは菊花賞、アロンダイトはジャパンカップダートで優勝した。

 悲劇は突然訪れた。2002年7月、エルコンドルパサーは腸捻転のため急死する。わずか3世代、339頭の産駒を残し、この世を去った。失ったものの大きさは時間が経つほどに感じられる。死後に3頭のGⅠ馬が誕生し、2015年11月のエリザベス女王杯では、エルコンドルパサー牝馬クリソプレーズから生まれたマリアライト(父ディープインパクト)が優勝した。

 エルコンドルパサーとともに父キングマンボの遺伝子を後世に伝えているのがキングカメハメハだ。母マンファス(IRE)のおなかの中に入った状態で来日したキングカメハメハは2001年3月、北海道早来町のノーザンファームで生まれた。JRA栗東トレーニング・センターの松田国英調教師の下で競走馬になり、2004年の神戸新聞杯優勝を最後に現役を引退。通算8戦7勝。史上初めてNHKマイルカップとダービーの「変則2冠」を制したことで知られる。ダービー(芝2400㍍)の優勝タイム2分23秒3は当時のレースレコードだった。

 2005年から種付けを始め、1年目からアパパネ、ローズキングダム、ルーラーシップというGⅠ馬が生まれた。その後もロードカナロア、ベルシャザール、ホッコータルマエ、ラブリーデイ、レッツゴードンキと続き、2015年にはドゥラメンテが皐月賞、ダービーを制した。2010~11年とJRAのリーディングサイアーに2年連続で輝いた。産駒は短距離からクラシックディスタンス、芝、ダートを問わずにこなす万能型で、活躍の場は幅広い。

 キングマンボは世を去ったが、その遺伝子は確実に日本に根付き、枝を広げている。
 キングマンボの命日となった1月20日は、4年前に、その母ミエスクが死亡したのと同じ日だった。
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