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第63回 「3代」

2016.06.14
 今年の桜花賞は大接戦の末、ジュエラーが優勝した。2着のシンハライトとの差は約2cm。微差だった。
 残念ながらジュエラーは5月初旬に左前脚の骨折が判明し、オークスに出走することはできなかった。幸い骨折の症状は軽く、秋の秋華賞には間に合う見込みだという。桜花賞の後、NHKマイルカップに路線を変更して優勝したメジャーエンブレム、桜花賞の悔しさをオークスで晴らして初のGⅠ制覇に結びつけたシンハライトとの3歳女王決定戦を楽しみにしたい。

 ジュエラーは父ヴィクトワールピサの初年度産駒である。ヴィクトワールピサの父はネオユニヴァース。2003年に皐月賞とダービーの2冠に輝いたネオユニヴァース、そして2010年の皐月賞馬になったヴィクトワールピサに次いで、ジュエラーは親子3代のクラシック制覇を達成した。

 このように親子3代でクラシック制覇を果たした例は過去に3例ある。

 最初の例は1979年にオークスを制したアグネスレディーをスタートにする流れで、アグネスレディー→アグネスフローラ(1990年桜花賞)→アグネスフライト(2000年ダービー)。2例目はベガ(1993年桜花賞、オークス)→アドマイヤベガ(1999年ダービー)→キストゥヘヴン(2006年桜花賞)。3例目はスペシャルウィーク(1998年ダービー)→シーザリオ(2005年オークス)→エピファネイア(2013年菊花賞)だ。

 アグネスレディーに端を発する血統は3代にとどまらず活躍した。アグネスレディー→アグネスフローラときてアグネスフライトの弟アグネスタキオン(2001年皐月賞)につながり、アグネスタキオンはダイワスカーレット(2007年桜花賞)、キャプテントゥーレ(2008年皐月賞)、ディープスカイ(2008年ダービー)と3頭のクラシック馬の父になった。

 上記した例はいずれも牝馬が介在しており、メジロアサマ(1970年秋)→メジロティターン(1982年秋)→メジロマックイーン(1991年春、1992年春)の天皇賞父子3代制覇のように牡→牡→牡という流れの3代制覇はまだない。

 ヴィクトワールピサにとってジュエラーの桜花賞は重賞初制覇だった。新種牡馬の重賞初制覇がクラシックレースというのは幸先がよい。

 振り返ってみれば、ヴィクトワールピサは2011年に日本調教馬として初めて、世界最高賞金のドバイ・ワールドカップを制した歴史的な名馬だった。

 2009年10月25日のデビュー戦では、のちの朝日杯フューチュリティSやジャパンカップに優勝するローズキングダムと一騎打ちを演じ、2着になった。3着馬とは5馬身差がついており、デビューから素質の高さを見せていた。2戦目からは5連勝。未勝利戦→京都2歳S→ラジオNIKKEI杯2歳S→弥生賞と白星を重ね、5連勝目を皐月賞で飾った。ダービーで3着になった後、渡仏。ニエル賞4着、凱旋門賞7着の成績を残した。帰国後、ジャパンカップで3着になった後、有馬記念でブエナビスタとの競り合いにハナ差で勝利し、2010年のJRA賞最優秀3歳牡馬に輝いた。そして2011年、2月の中山記念を快勝すると、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイに渡り、3月26日にメイダン競馬場で行われたドバイ・ワールドカップ(オールウェザー2000㍍)に出走し、見事に優勝。日本調教馬の初優勝を飾るとともに2着のトランセンドとの日本調教馬上位独占を果たした。3月11日に東日本大震災が起きた直後、未曽有の災害に見舞われた日本を遠くドバイから勇気づけた。

 この年の有馬記念(8着)を最後に現役を引退し、2012年から種牡馬活動に入った。2歳になった初年度産駒は2015年に中央競馬で62頭が出走し、15頭が15勝を挙げた。産駒の獲得賞金は1億6,331万6,000円で2歳リーディングの13位。新種牡馬ではトップの成績を残した。

 ジュエラーをはじめパールコード(フローラS2着)、アジュールローズ(プリンシパルS)、ジョルジュサンク(すみれS)、ナムラシングン(若葉S2着)などの活躍馬を送り出している。

 桜花賞でジュエラーの手綱を取っていたのはミルコ・デムーロ騎手だった。ネオユニヴァース、ヴィクトワールピサでGⅠ勝ちを収めたのもミルコ。親子3代、同じ騎手での快挙となった。
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