第5コーナー ~競馬余話~
第121回 「同期」
2021.04.12
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21世紀最初の日本ダービー馬ジャングルポケットが3月2日に死んだ。23歳だった。
1998年5月7日、北海道早来町のノーザンファームで産声をあげた。父は凱旋門賞馬のトニービン(IRE)、母はダンスチャーマー(USA)という血統だ。JRA栗東トレーニング・センターの渡辺栄厩舎に所属し、主戦は角田晃一騎手が務めた。
2001年にダービーを制し、同年秋にはジャパンカップでも優勝した。日本調教の3歳牡馬がジャパンカップで優勝したのは40回の歴史の中で、1998年のエルコンドルパサー(USA)、2010年のローズキングダム(2位繰り上がり)、そしてジャングルポケットの3頭だけだ。
また日本ダービーとジャパンカップの両レースを制したのは6頭。シンボリルドルフ、トウカイテイオー、スペシャルウィーク、ディープインパクト、ウオッカ、そしてジャングルポケットだ。ジャングルポケット以外の5頭はいずれも4歳以降にジャパンカップを制している。つまり日本ダービー馬で3歳時にジャパンカップを制したのはジャングルポケットだけが達成した偉業だ。
2001年の3歳馬は粒ぞろいだった。アグネスタキオン、クロフネ(USA)、マンハッタンカフェと、ジャングルポケットのライバルは多彩で強力だった。
4戦4勝で皐月賞を制したアグネスタキオンはレース後に脚を痛め、そのまま引退した。種牡馬になったアグネスタキオンは2008年にキャプテントゥーレ(皐月賞)、ディープスカイ(NHKマイルカップ、ダービー)、リトルアマポーラ(エリザベス女王杯)、ダイワスカーレット(有馬記念)などが活躍し、JRAのリーディングサイアーになった。内国産種牡馬がリーディングサイアーに輝いたのは1957年のクモハタ以来51年ぶりの出来事だった。
現役時代に菊花賞、有馬記念、天皇賞・春を制したマンハッタンカフェも種牡馬として成功した。ジョーカプチーノ(NHKマイルカップ)、レッドディザイア(秋華賞)などが活躍した2009年には、アグネスタキオンに続いてJRAリーディングサイアーになった。
外国産のクロフネはNHKマイルカップで優勝した後、ダービーに出走したが、ジャングルポケットの5着に終わる。しかし、ひょんなことから向かったダート路線で驚くべき走りを見せた。武蔵野S、ジャパンカップダートで2レース続けての圧勝。新しい一面を見せた。種牡馬としても大成功した。フサイチリシャール(朝日杯フューチュリティS)、スリープレスナイト(スプリンターズS)、カレンチャン(スプリンターズS、高松宮記念)、ソダシ(阪神ジュベナイルフィリーズ)などのGⅠ馬を送り出した。
種牡馬になったジャングルポケットはコンスタントに良駒を送り出すことはできなかったが、「当たれば本塁打」という一発屋タイプだった。トーセンジョーダン(天皇賞・秋)やオウケンブルースリ(菊花賞)、ジャガーメイル(天皇賞・春)、トールポピー(阪神ジュベナイルフィリーズ、オークス)、アヴェンチュラ(秋華賞)、クイーンスプマンテ(エリザベス女王杯)などの活躍馬の父となった。
同期の4頭は現役時代と同様、種牡馬になってからも、いいライバルとして競い合い、日本の競馬を盛り上げた。2011年のJRA種牡馬ランキングでは5位クロフネ、6位マンハッタンカフェ、7位ジャングルポケット、8位アグネスタキオンとそろってトップ10入りしていた。2021年2月現在、JRAでの産駒の勝利数は次の通りだ。クロフネが歴代7位の1,437勝、続いてマンハッタンカフェが1,152勝、アグネスタキオンが966勝で、ジャングルポケットは688勝だ。
アグネスタキオンが2009年、マンハッタンカフェが2015年に生涯を閉じた。そして今年1月にクロフネが死んだ。良きライバルだった同期のダービー馬ジャングルポケットが最後に逝った。ジャングルポケットはライバルたちに劣っていた産駒の勝利数を少しでも稼ごうと長生きしたようにも思える。
1998年生まれの名馬たちが見せてくれた素晴らしいドラマに一つの区切りがついた。
1998年5月7日、北海道早来町のノーザンファームで産声をあげた。父は凱旋門賞馬のトニービン(IRE)、母はダンスチャーマー(USA)という血統だ。JRA栗東トレーニング・センターの渡辺栄厩舎に所属し、主戦は角田晃一騎手が務めた。
2001年にダービーを制し、同年秋にはジャパンカップでも優勝した。日本調教の3歳牡馬がジャパンカップで優勝したのは40回の歴史の中で、1998年のエルコンドルパサー(USA)、2010年のローズキングダム(2位繰り上がり)、そしてジャングルポケットの3頭だけだ。
また日本ダービーとジャパンカップの両レースを制したのは6頭。シンボリルドルフ、トウカイテイオー、スペシャルウィーク、ディープインパクト、ウオッカ、そしてジャングルポケットだ。ジャングルポケット以外の5頭はいずれも4歳以降にジャパンカップを制している。つまり日本ダービー馬で3歳時にジャパンカップを制したのはジャングルポケットだけが達成した偉業だ。
2001年の3歳馬は粒ぞろいだった。アグネスタキオン、クロフネ(USA)、マンハッタンカフェと、ジャングルポケットのライバルは多彩で強力だった。
4戦4勝で皐月賞を制したアグネスタキオンはレース後に脚を痛め、そのまま引退した。種牡馬になったアグネスタキオンは2008年にキャプテントゥーレ(皐月賞)、ディープスカイ(NHKマイルカップ、ダービー)、リトルアマポーラ(エリザベス女王杯)、ダイワスカーレット(有馬記念)などが活躍し、JRAのリーディングサイアーになった。内国産種牡馬がリーディングサイアーに輝いたのは1957年のクモハタ以来51年ぶりの出来事だった。
現役時代に菊花賞、有馬記念、天皇賞・春を制したマンハッタンカフェも種牡馬として成功した。ジョーカプチーノ(NHKマイルカップ)、レッドディザイア(秋華賞)などが活躍した2009年には、アグネスタキオンに続いてJRAリーディングサイアーになった。
外国産のクロフネはNHKマイルカップで優勝した後、ダービーに出走したが、ジャングルポケットの5着に終わる。しかし、ひょんなことから向かったダート路線で驚くべき走りを見せた。武蔵野S、ジャパンカップダートで2レース続けての圧勝。新しい一面を見せた。種牡馬としても大成功した。フサイチリシャール(朝日杯フューチュリティS)、スリープレスナイト(スプリンターズS)、カレンチャン(スプリンターズS、高松宮記念)、ソダシ(阪神ジュベナイルフィリーズ)などのGⅠ馬を送り出した。
種牡馬になったジャングルポケットはコンスタントに良駒を送り出すことはできなかったが、「当たれば本塁打」という一発屋タイプだった。トーセンジョーダン(天皇賞・秋)やオウケンブルースリ(菊花賞)、ジャガーメイル(天皇賞・春)、トールポピー(阪神ジュベナイルフィリーズ、オークス)、アヴェンチュラ(秋華賞)、クイーンスプマンテ(エリザベス女王杯)などの活躍馬の父となった。
同期の4頭は現役時代と同様、種牡馬になってからも、いいライバルとして競い合い、日本の競馬を盛り上げた。2011年のJRA種牡馬ランキングでは5位クロフネ、6位マンハッタンカフェ、7位ジャングルポケット、8位アグネスタキオンとそろってトップ10入りしていた。2021年2月現在、JRAでの産駒の勝利数は次の通りだ。クロフネが歴代7位の1,437勝、続いてマンハッタンカフェが1,152勝、アグネスタキオンが966勝で、ジャングルポケットは688勝だ。
アグネスタキオンが2009年、マンハッタンカフェが2015年に生涯を閉じた。そして今年1月にクロフネが死んだ。良きライバルだった同期のダービー馬ジャングルポケットが最後に逝った。ジャングルポケットはライバルたちに劣っていた産駒の勝利数を少しでも稼ごうと長生きしたようにも思える。
1998年生まれの名馬たちが見せてくれた素晴らしいドラマに一つの区切りがついた。