第5コーナー ~競馬余話~
第127回 「繁栄」
2021.10.15
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9月5日に新潟競馬場で行われた第57回新潟記念はステイゴールド産駒のマイネルファンロン(牡6歳、美浦・手塚貴久厩舎)が優勝し、11度目のチャレンジで重賞初制覇を果たした。
2018年のスプリングSではステルヴィオの3着、2019年の函館記念ではマイスタイルのクビ差2着などタイトルに手の届きそうなこともあったが、惜しくも敗れた。貴重な白星はデビュー30戦目まで待たなければならなかった。3歳年下の半妹ユーバーレーベン(父ゴールドシップ)がオークスを制した同じ年に兄も意地を見せた。
マイネルファンロンの新潟記念優勝は父ステイゴールドにとって、2021年初のJRA重賞勝ちとなり、初年度産駒が3歳だった2006年から16年連続のJRA重賞勝利ともなった。加えて通算勝利数が113に達し、あのヒンドスタン(GB)に並ぶ歴代4位に浮上した。ファンロンは中国語で「繁栄」の意味だそうで節目の勝利にふさわしい。
戦後初の3冠馬シンザンの父として知られるヒンドスタンは1961~68年の間、66年の一度だけ首位の座を譲ったものの、ほかの7年JRAのリーディングサイアーに輝いた名種牡馬だった。ダービー2勝(1961年ハクシヨウ、64年シンザン)のほか皐月賞3勝(61年シンツバメ、64年シンザン、69年ワイルドモア)、菊花賞3勝(64年シンザン、65年ダイコーター、68年アサカオー)、桜花賞2勝(61年スギヒメ、62年ケンホウ)、オークス1勝(62年オーハヤブサ)とクラシックは全勝で計11勝。クラシック全勝種牡馬はトウルヌソル(GB)をはじめ8頭しか達成していない記録だ。
クラシックのほかにも天皇賞は3連勝を含む計5勝(61年春ヤマニンモアー、63年秋リユウフオーレル、64年春ヒカルポーラ、64年秋ヤマトキヨウダイ、65年秋シンザン)、有馬記念は3連覇(63年リユウフオーレル、64年ヤマトキヨウダイ、65年シンザン)、宝塚記念は4連覇(63年リユウフオーレル、64年ヒカルポーラ、65年シンザン、66年エイトクラウン)というとてつもない記録を残している。
ヒンドスタンとはいったいどんな馬だったのだろう。
英ダービー馬の父ボアルセル、母ソニバイとの間に戦後間もない1946年に英国で誕生した。通算8戦2勝で、2勝のうちの1勝は1949年のアイルランドダービーだった。現役引退後にアイルランドで種牡馬生活を送っていたところ、日高軽種馬振興会が購入した。当時の価格で1,200万円だったという。この時、同時にブツフラー(GB)も購入した。ブツフラーが400万円で2頭合わせて1,600万円と言われたのを1,350万円に値切って輸入した。1956年から日本で種付けを開始したヒンドスタンとブツフラーだったが、ブツフラーが1960年のダービー馬コダマを送り出し、ヒンドスタンに一歩先んじた。
ヒンドスタンは日本初のシンジケート種牡馬だった。前例がなかったため、株を持ってもらうのに苦労したという話が残っている。1968年10月16日、繫養先の日高スタリオンステーションで横隔膜破裂のために急死。22歳だった。その死を惜しんだ関係者は翌年、日高軽種馬農協の敷地内に銅像を建てた。
当時に比べると、重賞レースの数が増えたとはいえ、種牡馬ステイゴールドがヒンドスタンの記録に並んだのは素晴らしい遺伝力のなせる業だ。
ステイゴールドは2015年2月に急死し、この年は1頭だけしか種付けをしなかった。実質的に最終世代となるのがマイネルファンロンらの2015年生まれ。現6歳ということになる。JRAには9月15日現在、6歳から10歳まで28頭のステイゴールド産駒が現役で残る。
GⅠホースのインディチャンプ(牡6歳、栗東・音無秀孝厩舎)は今年も短距離界で上位争いを続けており、この秋にも十分に重賞勝ちのチャンスがある。そしてなにより頼りになりそうなのが10歳で現役のオジュウチョウサン(美浦・和田正一郎厩舎)だ。
昨年11月の京都ジャンプSで3着、今年4月の中山グランドジャンプで5着とまさかの2連敗を喫しているが、10月17日の東京ハイジャンプで復帰する予定になっている。ステイゴールド産駒としてはゴールドシップの11勝、オルフェーヴルの9勝を上回るJRA重賞13勝を挙げる稼ぎ頭だ。オジュウチョウサンの頑張りによっては、ステイゴールドのヒンドスタン超えも可能だ。
2018年のスプリングSではステルヴィオの3着、2019年の函館記念ではマイスタイルのクビ差2着などタイトルに手の届きそうなこともあったが、惜しくも敗れた。貴重な白星はデビュー30戦目まで待たなければならなかった。3歳年下の半妹ユーバーレーベン(父ゴールドシップ)がオークスを制した同じ年に兄も意地を見せた。
マイネルファンロンの新潟記念優勝は父ステイゴールドにとって、2021年初のJRA重賞勝ちとなり、初年度産駒が3歳だった2006年から16年連続のJRA重賞勝利ともなった。加えて通算勝利数が113に達し、あのヒンドスタン(GB)に並ぶ歴代4位に浮上した。ファンロンは中国語で「繁栄」の意味だそうで節目の勝利にふさわしい。
戦後初の3冠馬シンザンの父として知られるヒンドスタンは1961~68年の間、66年の一度だけ首位の座を譲ったものの、ほかの7年JRAのリーディングサイアーに輝いた名種牡馬だった。ダービー2勝(1961年ハクシヨウ、64年シンザン)のほか皐月賞3勝(61年シンツバメ、64年シンザン、69年ワイルドモア)、菊花賞3勝(64年シンザン、65年ダイコーター、68年アサカオー)、桜花賞2勝(61年スギヒメ、62年ケンホウ)、オークス1勝(62年オーハヤブサ)とクラシックは全勝で計11勝。クラシック全勝種牡馬はトウルヌソル(GB)をはじめ8頭しか達成していない記録だ。
クラシックのほかにも天皇賞は3連勝を含む計5勝(61年春ヤマニンモアー、63年秋リユウフオーレル、64年春ヒカルポーラ、64年秋ヤマトキヨウダイ、65年秋シンザン)、有馬記念は3連覇(63年リユウフオーレル、64年ヤマトキヨウダイ、65年シンザン)、宝塚記念は4連覇(63年リユウフオーレル、64年ヒカルポーラ、65年シンザン、66年エイトクラウン)というとてつもない記録を残している。
ヒンドスタンとはいったいどんな馬だったのだろう。
英ダービー馬の父ボアルセル、母ソニバイとの間に戦後間もない1946年に英国で誕生した。通算8戦2勝で、2勝のうちの1勝は1949年のアイルランドダービーだった。現役引退後にアイルランドで種牡馬生活を送っていたところ、日高軽種馬振興会が購入した。当時の価格で1,200万円だったという。この時、同時にブツフラー(GB)も購入した。ブツフラーが400万円で2頭合わせて1,600万円と言われたのを1,350万円に値切って輸入した。1956年から日本で種付けを開始したヒンドスタンとブツフラーだったが、ブツフラーが1960年のダービー馬コダマを送り出し、ヒンドスタンに一歩先んじた。
ヒンドスタンは日本初のシンジケート種牡馬だった。前例がなかったため、株を持ってもらうのに苦労したという話が残っている。1968年10月16日、繫養先の日高スタリオンステーションで横隔膜破裂のために急死。22歳だった。その死を惜しんだ関係者は翌年、日高軽種馬農協の敷地内に銅像を建てた。
当時に比べると、重賞レースの数が増えたとはいえ、種牡馬ステイゴールドがヒンドスタンの記録に並んだのは素晴らしい遺伝力のなせる業だ。
ステイゴールドは2015年2月に急死し、この年は1頭だけしか種付けをしなかった。実質的に最終世代となるのがマイネルファンロンらの2015年生まれ。現6歳ということになる。JRAには9月15日現在、6歳から10歳まで28頭のステイゴールド産駒が現役で残る。
GⅠホースのインディチャンプ(牡6歳、栗東・音無秀孝厩舎)は今年も短距離界で上位争いを続けており、この秋にも十分に重賞勝ちのチャンスがある。そしてなにより頼りになりそうなのが10歳で現役のオジュウチョウサン(美浦・和田正一郎厩舎)だ。
昨年11月の京都ジャンプSで3着、今年4月の中山グランドジャンプで5着とまさかの2連敗を喫しているが、10月17日の東京ハイジャンプで復帰する予定になっている。ステイゴールド産駒としてはゴールドシップの11勝、オルフェーヴルの9勝を上回るJRA重賞13勝を挙げる稼ぎ頭だ。オジュウチョウサンの頑張りによっては、ステイゴールドのヒンドスタン超えも可能だ。