第5コーナー ~競馬余話~
第143回 「代表」
2023.02.14
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日本中央競馬会(JRA)は2023年1月10日、2022年度のJRA賞受賞馬選考委員会を開き、競走馬10部門の受賞馬を決定した。年度代表馬と最優秀3歳牡馬には、天皇賞・秋と有馬記念を制したイクイノックス(美浦・木村哲也厩舎)が選ばれた。
イクイノックスは2022年、4戦2勝の成績を残した。
3歳初戦は4月17日の皐月賞だった。2歳の8月に新潟競馬場でデビュー勝ちを収めたイクイノックスは、2戦目となった11月の東京スポーツ杯2歳Sで重賞初制覇を果たした。皐月賞は東京スポーツ杯2歳S以来5か月ぶりの実戦だった。優勝すれば、中147日での皐月賞制覇となり、コントレイルが持っている中112日での優勝という最長間隔勝利記録を塗り替えるチャンスだった。けれども結果はジオグリフに1馬身及ばず2着に終わった。続く日本ダービーでも力走したがドウデュースにクビ差をつけられ、皐月賞に次ぐ銀メダルとなった。
秋は3歳同士の菊花賞ではなく、古馬に挑むことになり、まずは天皇賞・秋に矛先を向けた。前年のエフフォーリアと同じ道を選んだ。レースでは、とても信じられないような後方から末脚を繰り出し、ゴール寸前でパンサラッサを捉えて優勝。1984年にグレード制が導入されて以降最少となるデビュー5戦目で「古馬GⅠ」を制してみせた。有馬記念でも危なげなく勝って、有馬記念史上最少記録となるデビュー6戦目での優勝を実現した。
イクイノックスは晴れて2022年の年度代表馬に選ばれた。対象年に4走で年度代表馬になったのは6頭目で出走回数は最少だ。年度代表馬が発表されるようになったのは1954年である。初めて年間4走で年度代表馬になったのは1979年のグリーングラスだった。6歳になった菊花賞馬は脚元の不安を抱えていた。1月のAJC杯で2着になった後、次に出走したのが6月の宝塚記念だった。ここではサクラショウリの3着に終わる。春シーズンを2戦で終えたグリーングラスの秋初戦は11月のオープン戦だった。5頭立ての2着になった。そして引退レースと決めた有馬記念に挑み、メジロファントムの急追をハナ差でしのぎ、有終の美を飾った。テンポイント、トウショウボーイとともに「TTG世代」を形成し、最強世代といわれた実力を最後の最後に発揮した。対象年に1勝しかしていない年度代表馬はグリーングラスだけである。
1991年の年度代表馬はこの年3歳のトウカイテイオーだった。成績は4戦4勝。2歳時に2戦2勝した後、若駒S、若葉Sも制して4連勝。5戦目の皐月賞を快勝すると、日本ダービーでも3馬身差の楽勝。デビューから6戦負け知らずで2冠馬となった。しかし骨折が判明し、復帰は4歳4月まで待たなければならなかった。それでも春の活躍が認められ、年度代表馬に選出された。
1999年のエルコンドルパサー(USA)は異色の年度代表馬である。4歳だったこの年、フランスに長期遠征を試み、イスパーン賞で2着、GⅠサンクルー大賞優勝、フォワ賞優勝、GⅠ凱旋門賞2着と4走した。日本国内で1走もしなかったが、GⅠ勝利、凱旋門賞での接戦が評価され、年度代表馬になった。
2003年のシンボリクリスエス(USA)は前年に続き2年連続で年度代表馬に選ばれた。3歳だった2002年には10戦5勝だったが、4歳のこの年は4戦2勝の成績だった。出走したのは宝塚記念(5着)、天皇賞・秋(1着)、ジャパンカップ(3着)、有馬記念(1着)とGⅠレースのみだった。
2020年に2018年に次ぐ2度目の年度代表馬になったアーモンドアイも4戦すべてGⅠレースという出走回数を絞ったケースだった。ヴィクトリアマイル(1着)、安田記念(2着)、天皇賞・秋(1着)、ジャパンカップ(1着)。十分にレース間隔をあけ、狙いすましたローテーションで上位争いを繰り返した。
近年の傾向として一流馬ほど年間の出走回数は減りつつある。
1957年の年度代表馬ハクチカラは年間15戦(9勝)、1976年のトウショウボーイは10戦(7勝)、1995年のマヤノトップガンは13戦(5勝)もしていたが、それはもう過去の話だ。2013年のロードカナロア以降、ジェンティルドンナ、モーリス、キタサンブラック(2年連続)、アーモンドアイ(2回)、リスグラシュー、エフフォーリア、そしてイクイノックスとこの8頭はいずれも年間6戦以下のレース数で年度代表馬に選ばれている。
2023年はジャパンカップと有馬記念の優勝賞金が5億円に増額される。レースのレベルが上がり、1戦ごとの競走馬の消耗も激しくなった。勝利を目指すとすれば、出走回数を絞り、体力を温存して目標のレースに出走することが近道だ。
イクイノックスのように数々の最少キャリア記録を塗り替えていく一流馬は今後も増えていくだろう。
イクイノックスは2022年、4戦2勝の成績を残した。
3歳初戦は4月17日の皐月賞だった。2歳の8月に新潟競馬場でデビュー勝ちを収めたイクイノックスは、2戦目となった11月の東京スポーツ杯2歳Sで重賞初制覇を果たした。皐月賞は東京スポーツ杯2歳S以来5か月ぶりの実戦だった。優勝すれば、中147日での皐月賞制覇となり、コントレイルが持っている中112日での優勝という最長間隔勝利記録を塗り替えるチャンスだった。けれども結果はジオグリフに1馬身及ばず2着に終わった。続く日本ダービーでも力走したがドウデュースにクビ差をつけられ、皐月賞に次ぐ銀メダルとなった。
秋は3歳同士の菊花賞ではなく、古馬に挑むことになり、まずは天皇賞・秋に矛先を向けた。前年のエフフォーリアと同じ道を選んだ。レースでは、とても信じられないような後方から末脚を繰り出し、ゴール寸前でパンサラッサを捉えて優勝。1984年にグレード制が導入されて以降最少となるデビュー5戦目で「古馬GⅠ」を制してみせた。有馬記念でも危なげなく勝って、有馬記念史上最少記録となるデビュー6戦目での優勝を実現した。
イクイノックスは晴れて2022年の年度代表馬に選ばれた。対象年に4走で年度代表馬になったのは6頭目で出走回数は最少だ。年度代表馬が発表されるようになったのは1954年である。初めて年間4走で年度代表馬になったのは1979年のグリーングラスだった。6歳になった菊花賞馬は脚元の不安を抱えていた。1月のAJC杯で2着になった後、次に出走したのが6月の宝塚記念だった。ここではサクラショウリの3着に終わる。春シーズンを2戦で終えたグリーングラスの秋初戦は11月のオープン戦だった。5頭立ての2着になった。そして引退レースと決めた有馬記念に挑み、メジロファントムの急追をハナ差でしのぎ、有終の美を飾った。テンポイント、トウショウボーイとともに「TTG世代」を形成し、最強世代といわれた実力を最後の最後に発揮した。対象年に1勝しかしていない年度代表馬はグリーングラスだけである。
1991年の年度代表馬はこの年3歳のトウカイテイオーだった。成績は4戦4勝。2歳時に2戦2勝した後、若駒S、若葉Sも制して4連勝。5戦目の皐月賞を快勝すると、日本ダービーでも3馬身差の楽勝。デビューから6戦負け知らずで2冠馬となった。しかし骨折が判明し、復帰は4歳4月まで待たなければならなかった。それでも春の活躍が認められ、年度代表馬に選出された。
1999年のエルコンドルパサー(USA)は異色の年度代表馬である。4歳だったこの年、フランスに長期遠征を試み、イスパーン賞で2着、GⅠサンクルー大賞優勝、フォワ賞優勝、GⅠ凱旋門賞2着と4走した。日本国内で1走もしなかったが、GⅠ勝利、凱旋門賞での接戦が評価され、年度代表馬になった。
2003年のシンボリクリスエス(USA)は前年に続き2年連続で年度代表馬に選ばれた。3歳だった2002年には10戦5勝だったが、4歳のこの年は4戦2勝の成績だった。出走したのは宝塚記念(5着)、天皇賞・秋(1着)、ジャパンカップ(3着)、有馬記念(1着)とGⅠレースのみだった。
2020年に2018年に次ぐ2度目の年度代表馬になったアーモンドアイも4戦すべてGⅠレースという出走回数を絞ったケースだった。ヴィクトリアマイル(1着)、安田記念(2着)、天皇賞・秋(1着)、ジャパンカップ(1着)。十分にレース間隔をあけ、狙いすましたローテーションで上位争いを繰り返した。
近年の傾向として一流馬ほど年間の出走回数は減りつつある。
1957年の年度代表馬ハクチカラは年間15戦(9勝)、1976年のトウショウボーイは10戦(7勝)、1995年のマヤノトップガンは13戦(5勝)もしていたが、それはもう過去の話だ。2013年のロードカナロア以降、ジェンティルドンナ、モーリス、キタサンブラック(2年連続)、アーモンドアイ(2回)、リスグラシュー、エフフォーリア、そしてイクイノックスとこの8頭はいずれも年間6戦以下のレース数で年度代表馬に選ばれている。
2023年はジャパンカップと有馬記念の優勝賞金が5億円に増額される。レースのレベルが上がり、1戦ごとの競走馬の消耗も激しくなった。勝利を目指すとすれば、出走回数を絞り、体力を温存して目標のレースに出走することが近道だ。
イクイノックスのように数々の最少キャリア記録を塗り替えていく一流馬は今後も増えていくだろう。