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第182便 横浜ウインズ冬景色

2010.02.01
 2009年12月31日の午後5時ごろ,「主人がお世話になりましたタカムラと申します。もし,ご迷惑でございましたら,おっしゃってください」と女性の声の電話がかかった。
 「ああ,喪中ハガキをいただきまして」そう私が言い,
 「お手紙をいただいて,ありがとうございました。お仏壇にお供えいたしまして」と礼が返った。

 高村さんが2009年8月に64歳で亡くなったのを私は知らなかった。喪中ハガキで知り,それで奥さんに手紙を書いたのだった。私と高村さんのつきあいは,この10年ほど,年に数回,ウインズ横浜に近いコーヒーショップで冗談を交わす仲だった。私が自分の本を送り,それからは欠かさずに年賀状を出しあった。

 居酒屋にも何度か高村さんと坐ったことがある。けれども高村さんは酒を受けつけない体質で,私から誘ったことはない。高村さんの競馬仲間に酒好きの野田さんがいて,野田さんと私の酒に高村さんがウーロン茶でつきあっていた。

 昔の根岸競馬場の近くに住む高村さんは大手の倉庫会社で勤続30数年,定年まで働いた。「家の近くを歩きながら,このあたりで馬がレースをしていたんだなあと思っているうちに,実際に競馬が見たくなって府中へ行って,競馬が好きになったんですよ。

 無趣味で,自分でも,つまらない男だなあって呆れてましたがね,わたしは競馬で救われましたね。わたしの場合は,救いの馬です」と大きな身体でひっそり笑う高村さんを思いだし,それを私は手紙に書いた。

 「少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか。大晦日に,申しわけありません」
 「どうぞどうぞ」
 「さびしいものですから,主人の残していった日記のようなものを読んでいました。ちゃんとした日記帳でなくて,大学ノートに,毎日でなく,何かあると,そのことを書いていたのですね。2007年8月26日のを読んで,涙が出て,失礼を承知で,お会いしたこともないのに,電話をかけてしまいました」
 「それ,読みたいなあ。読んでください」
 「よろしいでしょうか。ここにあります」
 ちょっと声がなくなり,私は待ちながら,うちの家内は女子高の英語の先生,と高村さんが言っていたのを思いだした。

 「8月26日,新潟記念のユメノシルシとトウショウヴォイスの馬連,6,620円を500円当てた。取った,とつぶやいたわたしの背中を,となりにいた吉川さんが,ズドンと叩いてきた。野田さんはいなくて,おごりたいと吉川さんに言ったら,よろこんで,と返事がきた。2番人気のユメノシルシはともかく,なぜ10番人気のトウショウヴォイスを買えたか,酒場で吉川さんに聞かれた。
 何年か前,イングランディーレという馬が好きで,ダイヤモンドステークスと日経賞で小林淳一騎手が勝って,穴を取らせてくれた。ユメノシルシから買おうと決めて,ユメノシルシという名前のことを考えていたら,小林淳一のトウショウヴォイスも買いたくなった。よくわからないが,ユメノシルシというのと,ヴォイス,夢と声というのが,なんだかわからないけどつながった,と言ったら,かなり酔っぱらっていた吉川さんが,手を突きだし,わたしに握手を求め,強く握って,なかなか離してくれず,新潟記念の馬券で詩を書いたなあ,高村さんは詩人だと。詩人だなんて言われて,うれしかった。
 人生も競馬もユメノシルシだって吉川さんはひとりごとを言っていたが,わたしもそんなふうに思える」そこで声が止んだ。

 2010年になった。1月10日,ウインズ横浜へ行き,第9R初茜賞が終ったころ,4階の隅にいた白髪の野田さんを発見し,私はびっくり。野田さんが別人のように痩せていたからだ。

 「半年も病院にいたよ。もうウインズに行けないってあきらめていたけど,来られた。どうにか古希もむかえられそうだし,ま,めでたい」
 と笑う野田さんは,高村さんの死を,やはり喪中ハガキで知ったのだった。

 「まだ10日。あけまして,よろしく」私が言い,
 「あ,どうも,どうも」と野田さんが頭を下げた。
 中山10Rは頌春賞。「高村さん,青葉賞で馬券を取らせてくれたトーセンマーチを,ダービーでも応援してた」そう野田さんが言うトーセンマーチが2年4カ月ぶりの出走である。
 「高村さんの供養馬券,行こうか」どちらからともなく言いだし,3番人気トーセンマーチと1番人気モエレビクトリーとの馬連⑧ー⑨を,野田さんも私も買ったら,来た。馬群から抜けだして2着に追いこんできたトーセンマーチに感激して,ユメノシルシが登場した大晦日の電話を私は思いだし,おまけに馬連⑧ー⑨が1,600円もついて,私は野田さんを抱いてしまった。

 「嘘だ,嘘だ」と野田さんが声をあげたのは,中山11RジャニュアリーSが決着したときである。高村さんの死を知り,トーセンマーチが走り,10歳馬のニシノコンサフォスを買いたくなり,相手を8歳馬の3頭にしたら,アイルラヴァゲインが2着に突っこみ,馬単⑥ー⑫,2万610円を200円取ったというのだった。
 
 「少ししか飲めんけど,つきあってよ」と言う野田さんとエスカレーターをおりた。
 ウインズを出て,信号を渡りながら,私はウインズ横浜をふりかえった。そこから出てくる人たちは誰もが,ちっとも寒くなんかないよ,と見栄を張っているように私には思えた。あそこで高村さんがユメノシルシとトウショウヴォイスを買ったんだと思い,あとで高村さんの声を思いだしてやろうと,もういちどウインズ横浜をふりかえったとき,「高村さん」,と野田さんがひとりごとを言った。

JBBA NEWS 2010年2月号より転載
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