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第181便 友あり遠方より

2010.01.10
 郵便受に手紙があるとうれしい。「おっ」と-声が出そうになったのは,遠方からの便りがあったからだ。友あり遠方より来たる。手紙でも,その人に会うことになるので,そう思った。
 『前略。それにしても大変な時に当たったものだと思います。今年の最後のせりが当地で行われているのですが,名簿で予め選んだ上場馬を下見に行くと,馬房が空っぽなのです。州外から運ばれる予定だったのですが,持ち主が輸送費を支払えないために,レキシントン周辺のある場所にその馬を係留し,せり会場に持って来られなくなったためです。

 昨年,そして今年の交配料を支払えないために種付証明書が発行されず,上場を見合わせたケースも数知れずです。馬が主取りになったあと,激しく口論する売り手側の牧場主夫妻がいたり,かなり荒んだ状況です。種牡馬牧場のリストラも進められています。

 話を変えましょうか。先週13日(金)も早朝から上場馬の輸送があり,牧場での展示,せり会場での仕事と忙しく,夕方にはマリも私もくたくたで,炊事をする元気がありませんでした。そこで子供たちを連れて,家から車で10分ほどのところにある日本食のレストランへ行きました。金曜の夜でしたが店内は閑散としていました。家族5人で食事をしていると,近くの牧場で厩舎長をしているカート・ラムゼイさんと奥さんが来ました。あちらもせりの仕事でかなり疲れている様子。

 毎度のことですが,食事が終わると子供たちの店内「探検」が始まり,英恵は下のふたりを従えて日本画を見たり,テーブルの周囲を走りまわったりしていました。すると不意に誰かの声がしました。

 「みんな,良い子だね。全部,ごはんを食べて」と。
 ふりかえると,そこに立っていたのは,往年の名騎手で,現在はレキシントンで騎手学校を運営しているクリス・マッキャロンさんでした。突然店内がパッと明るくなったようでした。むろん,カートさんもマッキャロン騎手のことは知っています。

 マッキャロンさんはわれわれのテーブルに近づいてきて,笑顔で握手を求めながら,
 「お食事中大変失礼ですが,吉田さんですか?」
 「ええ,そうですよ,ジョッキー」
 「わたしは以前,吉田善哉さんの所有馬に乗せていただいたことがあり,ご挨拶に参りました」と言うのです。

 前日にうちの当歳の2頭が高額で落札されたことが新聞に載っていたので,われわれの顔がわかっていたようです。マッキャロンさんには,私が吉田善哉さんの遠戚であることを説明し,その後はカートさん夫妻も交えて,しばしブリーダーズカップや騎手学校の卒業生の動向など,世間話をして別れました。

 マッキャロンさんの礼節さは,寒い外から帰宅して暖炉であたたまるような,とても気が休まるすばらしさでした。 話を変えます。

 キーンランド11月市場はオーバーブルックファームとウィンドフィールズファームが持ち馬を全て売却するため,例年以上に購買者が世界中から集まっています。

 上場馬の下見も大変ですが,旧知の皆さんにきちんと挨拶することで,襟を正して仕事に向かい,子供たちにもしっかりそのことを叩きこんで,また今年の重雄氏の命日にそのことを報告したいと思っています。今週末,日本に戻ります』
 
 アメリカケンタッキー州のレキシントンでウィンチェスターファームを営んでいる吉田直哉からの便りだ。
 「ペイザバトラー」
 クリス・マッキャロンが乗って,タマモクロスやオグリキャップやトニービンを負かして,ジャパンCを勝った馬の名を私はひとりごとにした。そのとき,電話が鳴った。吉田直哉からで,日本にいるのだった。

 2日後,吉田直哉と赤坂見附で会った。
 「京都競馬場でカンパニーのマイルCSを見ました。そのあとのレースで,うちの生産馬のエーシンクールディが勝ったんです。そのあと,カメラマンの高橋一郎さんの家へ寄ったら,祝いの酒,と言ってサントリーオールドが出てきました。吉田重雄(2001年11月29日死去)が持ちこんで,まだ3分の1,残ってたんです。不思議な日になりました」
 そう言う吉田直哉から,アメリカの競走馬生産地の不況による緊急事態を聞かされた。

 「うちも,なんとしても,向かい風に負けず,のりこえなくちゃなりません。必死なたたかいになるでしょうが,がんばります」聞いて私は,奮闘を祈るしかない。

 その4日後がジャパンCだった。ウオッカやコンデュイットが歩いているパドックで,
 「おーい」寒空で声がしたような気がした。吉田重雄の声だった。ふと,命日だな,と頭をかすめたからだろう。私は何秒か,寒空を見た。ウオッカがオウケンブルースリをハナ差しのいで勝った翌日,日暮れた新橋駅前広場で,北海道三石で牧場を営む前田宗将と会った。そこにある機関車がライトアップされ,近くの車上で自民党の谷垣総裁が演説をしている。

 地下の居酒屋「どんと」に坐った。昨日の前田宗将は東京競馬場でジャパンCを見たあと,グリーンファーム愛馬会のパーティーに出席したのだ。クィーンスプマンテがエリザベス女王杯を勝ったので,パーティーも盛りあがったようである。

 「今日は,さいたまの,狭山市へ行ってきました。とても気持ちのいい,親子で競馬を愛してる馬主さんがいるんです」
 そう言う前田宗将も,私にとっては,気持ちのいい友だちである。
 「エイガゴールド,元気?」
 「ハイ,元気です」

 今年7月23日のこと,3歳馬による「第9回華月賞」(JBC協会協賛・チチカステナンゴ賞,1着賞金100万円,1,800メートル,10頭立てを,私は門別競馬場で見ていたのだ。前田宗将生産のエイガゴールド(父ゴールドヘイロー,母プリティハット,母の父マグニテユード。堂山芳則厩舎)が,吉田稔騎乗で勝ったのである。

 「今週の土曜日の葉牡丹賞に,うちの生産馬が走るんですよ。ロフティークリフ」
 「おお,楽しみ」
 私は前田宗将のグラスに2度目の乾杯でぶつけた。ロフティークリフ(父チアズブライトリー,母ルクシャル,母の父ミルジョージ),清水美波厩舎だ。デビュー2戦目,9月12日の中山で芝1,800メートル,田中勝春騎乗で勝っている。

 「ああ,勝春のおやじさんの,田中春美さんが馬主の馬だな。逃げきって勝った。おれ,見てた」
 「デビュー戦が柴田善臣で2着,勝って次の芙蓉Sが木幡で5着,次が福島のきんもくせい特別で,丹内が乗って3着。しっかり走る馬なんですよ」
 「葉牡丹賞,勝春に乗ってほしいね」
 「ディアブラストというのに乗るらしいです」
 「そうか,よしっ,中山でおれのでっかい声が,ロフティークリフを勝たせてみせる」
 「おねがいしますよ」
 と前田宗将が笑い,私も笑った。

 アメリカのケンタッキー州と同様,日本の日高地方にもきびしい風が吹きまくり,油断ならない日々が続いているのだ。
 「ひとつひとつの牧場のね,体力が落ちているから,それこそ,気力がなくなったら大変ですよ。気力だけではどうにもならないわけだけど,使える頭は使えるだけ使って,使える体は使えるだけ使うしかない。ありがたいことに明るい性分で,マイナスは笑いとばしていきますよ」
 「気持ちのいい家族を持っているから,それが前田宗将の武器だね」
 と私が言い,前田宗将からグラスをぶつけてきた。

JBBA NEWS 2010年1月号より転載
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