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第180便 すたこらすたこら

2009.12.01
 ウインズへ行こう。家を出る。住宅地の坂道をおりていると,静かな空気へ,カラスがうるさく鳴いた。電線か木の枝か屋根かに,3羽か4羽。
 「こんにちわ」
 ひょっこりと老婆が歩いてきて私とすれちがい,かすかに言った。
 「こんにちわ」
 私もかすかに返した。歩いているのだか,立ち止まっているのだか,老婆は坂道の上りをひょろひょろ。イチョウの木が並ぶ風景にいる人間は,私と老婆だけ。あとはカラス。

 その老婆,その住宅地で,カラスのおばあさん,と呼ばれている。83歳だという。彼女がバス停をおりて住宅地の坂を歩いてくると,5メートルほど離れた地点にカラスが現れる。彼女は白っぽい布袋に入れた,ビスケットのようなものを道路に落して歩くのだ。
するとカラスがもう1羽,どこからともなく現れ,彼女と適当な距離を保ちながら,ちょんちょんと歩く。

 彼女の家は小さな山の際にあって,私の家とは数軒をへだてている。毎日ではないが,明け方,私の家に近い電線にいるカラスが,しつこく鳴くのだ。彼女に会いにきているのだろう。彼女,カラスのおばあさんは,私と同じころ,35年ほど前に,この住宅地に越してきた。

 「きれいな人ねえ。コグレミチヨという女優さんがいたじゃない。似てる。おめかけさんですってね。旦那はナントカ組って,大きな建設会社の重役さんですって。チビでデブでチョビヒゲはやしてて,とてもあんな美人を2号さんにしてるようには見えないけど,お金って凄いわねえ」そんな話が私にも聞こえてきた。

 40代の終りだった女が,しわくちゃになり,ベージュの帽子をかぶって,茶っぽいコートを着て,カラスのおばあさんになって生きている。彼女もさびしくて,カラスを愛し,カラスに愛されているのだろうと私は思い,
 「カー」
 なさけないような声で私も,足もとへ鳴いてみた。

 バス停へ着く。道ばたに咲いているツワブキの花を見る。黄色だ。黄色は秋の晴れた日に似合うなあと感じながら,さびしくてウインズへ行くのだ。さびしくて競馬が好きなのだと思った。

 カラスのおばあさんはさびしくてカラスを愛し,おれはさびしくて競馬を愛しているのだ。そんなふうに思っていると,カラスのおばあさんともツワブキとも,この世にいっしょにいるのだと意識し,その意識を消してくれるようにバスが現れた。バスに乗って,どんなふうに頭がはたらいたのか,まったく突然に,日本の相対的貧困率というのが,2007年の調査だけども15.7パーセントで,それは6人に1人が貧困だという新聞の記事が私に浮かんできた。6人に1人が貧困だというのに,おれ,ウインズへ馬券を買いに行くというのだから,なんだか申しわけないという気分も私に生じた。

 駅前にバスが着き,電車に乗りかえる。座席に腰をおろした私のとなりに青年がいて,膝の上でひらいたノートパソコンに指を向けている。画面を盗み見ても私には,それがどのようなことを示しているのかわからない。『世の仕組みも,人々の考えも努力や修業,技を持つ体を不要なものとしたのだ。技はデータとして機械に組み込まれ,人間に付属するものではなくなってしまった。修業は人を磨き,生き方を支えるものであったのだが,それがなくなった。

 今,人は働かせられていると感じている。そこでは隠された能力が引き出されることがない。見つけ出す過程がなくなったからだ。報いは金銭であり,喜びが薄っぺらなものになってしまった。働くことの意味が変わったのだ』私は塩野米松という作家の文章を思いだしていた。

 「働くことと生きることは人生の裏と表であった。生きづらい世の中と思う人が多いのは,働くことに喜びが伴わなくなったからではないか」と書いている。

 今,おれ,ウインズへ行くのだ,と電車に乗っていて,働くことと生きることのなかに,競馬という遊びを組み入れて,人生のさびしさをまぎらわせているのさ,と私はノートパソコンの青年に,聞かれもしないのに答えていた。横浜駅で別の電車に乗りかえようと,エスカレーターに乗ろうとして立ち止まる。盲導犬をつれた男が乗るところだった。男と盲導犬がエスカレーターに乗りこむのを見ていた私は,
 「また会ったね」と肩を叩かれた。鶴見に住んでいる造園業の職人だ。歯科医の息子が社台の1口馬主クラブ会員で,牧場ツアーに来たことがあって知りあったのだが,以前にもいちど,ほとんど同じ場所で出くわしたことがあった。

 「昨日,わたし,誕生日でさ,コキってえの,70になっちまったよ。呆れたね」
 乗りかえた電車で職人が笑った。呆れたね,という言い方が私は気に入って,
 「まったく,呆れる」音がしないように顔の前で拍手をした。桜木町駅で下車して,
 「第3Rに狙ってる馬がいて買いたいから急ぐわ。〆切りに間に合わんから」と急ぎ足になって先を行く職人の背中へ,
 「5階にいるよ」と私は声をかけた。

 ウインズに通じる動物園通りという小路を,新聞を手にした男たちが,すたこらすたこら。新聞を手に逆に戻ってくる男たちも,すたこらすたこら。その男たちはウインズで馬券を買った帰りで,家でゆっくりテレビを見ようというのだ。
 すたこらすたこら,男たちはウインズへ向かう。たいていは若くなくて,自分も含めて,やがてすたこらすたこらと歩けなくなるだろうが,今日,寒くもない秋の日曜日,すたこらすたこら歩いているのは素晴しいこと,と私は思う。

 もし,自由に歩けなくなったら,今日,2009年11月8日,東京でアルゼンチン共和国杯,京都でファンタジーSのある日,動物園通りをすたこら歩いていた日を,どんなふうに思いだすのだろうか,と私は思ったのだ。

 ウインズへ着くと,東京の第3Rが終ったところ,「なにやってんだよ」とテレビの下で大声がした。
 この,「なにやってんだよ」が,ウインズや競馬場で,いちばん多く聞こえてくる声かもしれないと,そう思いながら私はエスカレーターで5階へ,5階には壁一面の大きな画面があるのだ。

 5階に着いて外階段へ行く。植木職人のヒロさんはそこへタバコを吸いにくるのだ。ヒロさんの姿はなく,私は外階段からの眺めを楽しむ。白地にブルーの字でマンダリンホテル。黒地に白い文字のストリップ浜劇。黄色い文字のドンキホーテ。そうした看板の下を車と人間が交差している。

 「どうした,3R,取った?」
 ヒロさんが来たので私が聞いた。
 「ダメ。3着。ワイドにしとけばよかった。2着に来てれば,馬連で5000円は付いたんだ」とヒロさんはタバコをくわえる。
 そこの階段には,タバコを吸っている男たちが集まっていた。みんな,なんだか生きづらい世の中で,なんとかかんとか稼いで,馬券を買う金を工面して,隅っこに追いやられながらタバコを吸って,日曜日を楽しんでいるのだ。そう思うと私は,その光景を,ゴッホやセザンヌの絵を見るように,しっかりと見ていたかった。

 ウインズでの半日が終り,ヒロさんと,すたこらすたこら,桜木町駅へ歩く。
 「軽く,いく?」
 ヒロさんが言い,私が答える。
 「いこう,軽く」

JBBA NEWS 2009年12月号より転載
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