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第189便 夏のバス停で

2010.09.10
 お願いすることがあって,都合のいい日に訪ねたいと,東京の北区滝野川に住む原田高志くんから電話がきたとき,「後楽園へ行ってる?」と私は訊いた。「毎週ではないですけど,ときどき」そう返事を耳にして私は,「後楽園で会おうよ」と提案をした。
 高志くんの父の幸市さんは去年の秋,脳出血で62歳の人生を閉じた。昔,私が薬品問屋勤務のころ,幸市さんは製薬会社勤務で,おたがいの競馬好きが,つきあいを濃くした。仕事が別になっても,つきあいが30年も続いたのは,年に何度か競馬場か後楽園で会い,そのあと酒をのみに行ったからだろう。高志くんの電話の声を聞きながら,高志くんと初めて会ったのも,幸市さんといっしょの後楽園だと思い,少し感傷的になって,後楽園で会おうよ,と私は言ったのだった。

 2010年7月31日に私は,28歳独身,石油会社勤務の高志くんと,ウインズ後楽園で馬券をやった。幸市さんの父である進さんも,10年ほど前まで後楽園に来ていたので,新潟10R苗場特別の,アーリーアメリカンとファンドリカップの馬連(31.1倍)を高志くんが的中させたとき,「さすが3代目」と私は声をかけて笑った。

 ウインズのあと,幸市さんとよく行った水道橋駅に近い居酒屋へ行き,幸市さんと坐った記憶のある位置のテーブルで高志くんと向きあうと,「何年やっても,馬券は上手になりません」という幸市さんの口ぐせが聞こえてくるような気がした。

 「今年の6月から老人ホームに入ったおじいちゃんのことなんです」というのが高志くんの相談だった。1000万円の入所金を払い,あとは一ヵ月に20万円かかる介護老人ホームに入ったというのである。進さんはアパート経営をしていて,経済的な心配はしなくて済むようだ。

 進さんは90歳で,奥さんを5年前に亡くしている。幸市さんの奥さんは病気がちで,認知症になってきた進さんの世話は無理なので,高志くんと思案の末に,有料介護老人ホームを探したということだった。

 「5日にいっぺんぐらいですかね,ちょっとの時間だけ,普通というか,正常になるんです。面会に行ってたとき,その,正常になって,幸市と吉川さんと自分が写っている温泉の写真が,アルバムにあるから持ってこいって言うんです。そのアルバムがおじいちゃんの部屋にほんとうにあって,持っていったら,その日はもう何もわからなくなっていて,自分の息子の幸市を指で突いて,知らない,知らないと言ってるんです。それで吉川さんを指さして,会いたい,会いたいって,しつこいんです。だけど,この人,誰?と聞いても,答えない。池田屋という旅館の看板の前で写した写真で,昭和53年10月30日,とおじいちゃんの字で書いてある」

 「飯坂温泉だ。福島競馬へ行ったときのだ。行ったんだよ,3人で。おじいちゃんとお父さんとおれの3人で。池田屋だったら飯坂温泉だ」と私は言い,なんだか胸のうちがざわざわして,ビールのグラスを,高志くんのグラスにぶつけさせてもらった。

 「それから行くたびに,おじいちゃんはアルバムを持ってきて,吉川さんを指さして,会いたい,会いたいって言うんです。でも,この人は誰?と聞いても,答えない。それと最近,何かにつけて,ハナマツ,ハナマツって呼ぶんですよ。庭へ向かって言ったり,空へ向かって呼ぶんです。自分の名前もハナマツだって思っているみたいと,ヘルパーさんが言ってました」

 「おじいちゃんの名前は,ススム。そういえば,花松進という騎手がいて,おじいちゃんが応援していたような気もするなあ」そう私が言うと,「ハナマツススムっていたんですか」高志くんがびっくりした。

 家に帰って私は古い「優駿」で調べた。進さんと幸市さんと私とで見た筈の,昭和53年10月29日の福島の成績が見つかり,雨不良の10R河北新報杯で,花松進騎乗ベンテンクインが1着だった。馬主が高野稔氏で,晩年に少しのおつきあいがあったので,なんだかうれしくなってしまった。その調べをするうち,よく進さんが,テンポイントとトウシヨウボーイとグリーングラスの有馬を中山で見た自慢をし,その日に花松進がどうだったとか,話をしていたのを思いだした。

 1着テンポイント,2着トウシヨウボーイ,3着グリーングラスの有馬記念は,1977(昭和52)年12月18日だ。調べてみると,有馬の前の8Rで,花松進騎乗のセツザンが勝っているのだった。さらに調べてみると花松進騎手はデビュー3年目で,その日はセツザンにしか乗っていない。

 8月3日,異様に暑い日,私は多摩市にある,進さんのいる老人ホームへ,ひとりで行った。老人たちが大きなテーブルで折り紙をしたり,ぬり絵をしたりしている広間の隅っこで,車椅子にいる進さんが口をあけていた。「おとといあたりから,黙りこくったままなんです。笑いもしなければ怒りもしない」と進さんのことを言うヘルパーのおばさんにアルバムのことを話し,部屋から持ってきてもらって池田屋の写真を見つけ,「ヨシカワ,ヨシカワ」と私が笑いかけても,進さんは何も反応しないのだ。

 「ハナマツ。ハナマツススム。ベンテンクイン。セツザン」と私はジョッキーがレースをする仕ぐさをしながらくりかえしたのだが,進さんの表情は変わらず,声も発しないのだった。病院をあとにしてバス停へ戻った私は,あたりに誰もいないので,競馬場でするように,「セツザン!」とするどく言ってみた。黙ると,蝉しぐれが圧倒的である。その合唱が競馬場の歓声にも聞こえ,その音の中に進さんと幸市さんと私を置いた。
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