烏森発牧場行き
第192便 浦舟町のラージさん
2011.01.06
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土曜日,秋,快晴。ウインズ横浜で,「テラさんが会いたがってましたよ」とヨースケが声をかけてきた。
「どした,買えた?」私が聞いた。東京8R,サラ3歳上,500万下が終わったところである。
「買えるわけないじゃん。こんなの競馬かよ。ちゃんとレースしてくれって」吐き捨てるみたいにヨースケが言った。10頭立てで1着が6番人気のナイトフッド,2着が8番人気のユースフルで馬連が26810円,馬単が73100円,3着が3番人気のポワンカレで3連単は56万9510円。
「ちゃんとしてたのは,9番人気サトノホクトの9着と,10番人気キングオバマの10着だ」
「すごい」と私が言ったのは,すぐにヨースケが,9番人気と10番人気のことを言ったからだ。
「オバマは人気がなくなっちまったのよ」ここでアメリカ大統領の話をしても仕方ないので,その先を私は黙った。
「ほんと,テラさん,急いで相談したいことがあるみたいだった」
「今日は,来るかな?」
「どうだろ。電話してみますか」とヨースケがケイタイをかけ,私に代わって,5時までは仕事で出られないテラさんと,6時に桜木町駅で会う約束をした。
ヨースケは28歳,伊勢佐木町のナイトクラブのバーテンである。テラさんは70歳で,大岡川のほとり,横浜市南区浦舟町のアパートでひとり暮らし。モーテルの従業員だ。ヨースケとテラさんがいる競馬仲間の「たられば会」が年に一度のピクニックに行くとき,誘われて私も何度か参加していた。
東京9R,百日草特別。ヨースケも私もポケットの中が穴を買える場合でなくて,馬単1番人気7.1倍に必死のお願い。それが通じて的中し,「おれにも神さまがいるんです」おどけて十字を切ったヨースケが,「おかげさまで伊勢佐木特別」とリキんでみせた。伊勢佐木町のバーテンが,10R伊勢佐木特別に挑むのだ。
「ここはヨースケにノッテみる」やってきたのは「たられば会」のウメさんで,52歳,川崎でベーカリーを営んでいる。テレビの下で,ヨースケとウメさんと私の声が爆発した。1着インフィニットエア,2着ジーガートップの馬単2010円が,馬単5点買いのうちに入っていたのだ。20代と50代と70代の男3人,いささか盛りあがりすぎてはずかしかった。
6時すぎに私は,白髪で小柄なテラさんと,カフェレストランで落ち着いた。若いころに文学青年だったというテラさんは,20歳から60歳までの造船所勤務の間,3冊の詩集を自費出版している。
今はモーテルの敷地内にある小屋で番人だ。その日日を,詩でもエッセーでも書いてほしいと,テラさんに私は願っているのだ。
「びっくりすることが起きちゃったんですよ。こんなことがあっていいのかって,まだ信じられないような,変な気持ち。たられば会の誰にも,まだ言ってない。どうすればいいかと」とテラさんが私に見せたのは馬券だった。
2010年11月1日,東京11R,赤富士S。3連単⑮−③−⑥を500円買っている。的中しているのだ。配当10万5130円。「赤富士ステークスの前の精進湖特別で,510円というガチガチ馬券を当てたんですよ。で,次が赤富士。わたしは生まれてから高校を出るまで,ずうっと富士山を眺めながら育った人間でしょう。赤富士ステークスと思って,古希をすぎたなあと思って,ふるさとは遠くにありて思うもの,とか思って,急にセンチメンタルになって,誕生日の,15年3月6日の⑮−③−⑥を買いたくなったんですよ」
そう言うテラさんは,無言で握手を求めた私に,もうひとつのものを財布から出して見せた。新聞記事の小さな切り抜きだった。『カナダの老夫婦が宝くじで約1120万ドル(約9億円)の大当たり。ところが,「余計なお金はいらない」とほとんどを寄付したことが分かり,大きな話題になっている。
老夫婦はカナダ東部のノバスコシア州に住む元溶接工,アレン・ラージさん(75)と妻,バイオレットさん(78)。今年7月,49個の数字から6つを選ぶ宝くじが大当たり。ところが,ラージさん夫婦は,「旅行好きでも,夜遊び好きでもない」とほとんどを寄付することを決断。「万が一のときのために」と2%(約1800万円)を貯金した上で,残りはバイオレットさんががんの手術を受けた病院,赤十字,地元の教会,消防などに寄付した。
「奇特な老夫婦」とメディアの取材が殺到する中,ラージさんは「私たちは田舎に住む普通の老人。もともと金持ちじゃないし,退職後の蓄えも十分。これまでのつましい生活で幸せ」と淡々としている』
私が読み終わるのを待ってテラさんは,「このカナダのラージさんに感動してしまって,9億円と馬券の50万円では違うんだけど,わたしも10万円だけ自分でもらって,あとはね,たられば会の人を招待して,1泊旅行でもしたいなあって思ったんですよ。でもね,そんなことをするのはナマイキかなあとか思うし,ヨシカワさんに相談してみようかと思って。
ま,内輪の話でみっともないけど,仙台にいる娘夫婦はわたしのことなんぞ眼中にないし,今,自分には,たられば会の連中が大切なんだって,富士山が見える女房の墓には言いに行ったの。9億円にくらべたらハナクソみたいなものだけど,わたしも一生に一度くらい,ラージさんになろうかなって,そう思ったんですよ。
ときどき,つくづく,競馬があってよかったって思うし,たられば会がなかったら,さびしいよなあって思うし」そう言って笑顔になった。「アレン・ラージさんとバイオレットさん」また私は新聞記事に目をやって,「テラさんは横浜の浦舟町のラージさんだよ。こんなすばらしい相談の相手に選ばれて光栄だ」と頭のなかで何かが輝いているようだった。
「どした,買えた?」私が聞いた。東京8R,サラ3歳上,500万下が終わったところである。
「買えるわけないじゃん。こんなの競馬かよ。ちゃんとレースしてくれって」吐き捨てるみたいにヨースケが言った。10頭立てで1着が6番人気のナイトフッド,2着が8番人気のユースフルで馬連が26810円,馬単が73100円,3着が3番人気のポワンカレで3連単は56万9510円。
「ちゃんとしてたのは,9番人気サトノホクトの9着と,10番人気キングオバマの10着だ」
「すごい」と私が言ったのは,すぐにヨースケが,9番人気と10番人気のことを言ったからだ。
「オバマは人気がなくなっちまったのよ」ここでアメリカ大統領の話をしても仕方ないので,その先を私は黙った。
「ほんと,テラさん,急いで相談したいことがあるみたいだった」
「今日は,来るかな?」
「どうだろ。電話してみますか」とヨースケがケイタイをかけ,私に代わって,5時までは仕事で出られないテラさんと,6時に桜木町駅で会う約束をした。
ヨースケは28歳,伊勢佐木町のナイトクラブのバーテンである。テラさんは70歳で,大岡川のほとり,横浜市南区浦舟町のアパートでひとり暮らし。モーテルの従業員だ。ヨースケとテラさんがいる競馬仲間の「たられば会」が年に一度のピクニックに行くとき,誘われて私も何度か参加していた。
東京9R,百日草特別。ヨースケも私もポケットの中が穴を買える場合でなくて,馬単1番人気7.1倍に必死のお願い。それが通じて的中し,「おれにも神さまがいるんです」おどけて十字を切ったヨースケが,「おかげさまで伊勢佐木特別」とリキんでみせた。伊勢佐木町のバーテンが,10R伊勢佐木特別に挑むのだ。
「ここはヨースケにノッテみる」やってきたのは「たられば会」のウメさんで,52歳,川崎でベーカリーを営んでいる。テレビの下で,ヨースケとウメさんと私の声が爆発した。1着インフィニットエア,2着ジーガートップの馬単2010円が,馬単5点買いのうちに入っていたのだ。20代と50代と70代の男3人,いささか盛りあがりすぎてはずかしかった。
6時すぎに私は,白髪で小柄なテラさんと,カフェレストランで落ち着いた。若いころに文学青年だったというテラさんは,20歳から60歳までの造船所勤務の間,3冊の詩集を自費出版している。
今はモーテルの敷地内にある小屋で番人だ。その日日を,詩でもエッセーでも書いてほしいと,テラさんに私は願っているのだ。
「びっくりすることが起きちゃったんですよ。こんなことがあっていいのかって,まだ信じられないような,変な気持ち。たられば会の誰にも,まだ言ってない。どうすればいいかと」とテラさんが私に見せたのは馬券だった。
2010年11月1日,東京11R,赤富士S。3連単⑮−③−⑥を500円買っている。的中しているのだ。配当10万5130円。「赤富士ステークスの前の精進湖特別で,510円というガチガチ馬券を当てたんですよ。で,次が赤富士。わたしは生まれてから高校を出るまで,ずうっと富士山を眺めながら育った人間でしょう。赤富士ステークスと思って,古希をすぎたなあと思って,ふるさとは遠くにありて思うもの,とか思って,急にセンチメンタルになって,誕生日の,15年3月6日の⑮−③−⑥を買いたくなったんですよ」
そう言うテラさんは,無言で握手を求めた私に,もうひとつのものを財布から出して見せた。新聞記事の小さな切り抜きだった。『カナダの老夫婦が宝くじで約1120万ドル(約9億円)の大当たり。ところが,「余計なお金はいらない」とほとんどを寄付したことが分かり,大きな話題になっている。
老夫婦はカナダ東部のノバスコシア州に住む元溶接工,アレン・ラージさん(75)と妻,バイオレットさん(78)。今年7月,49個の数字から6つを選ぶ宝くじが大当たり。ところが,ラージさん夫婦は,「旅行好きでも,夜遊び好きでもない」とほとんどを寄付することを決断。「万が一のときのために」と2%(約1800万円)を貯金した上で,残りはバイオレットさんががんの手術を受けた病院,赤十字,地元の教会,消防などに寄付した。
「奇特な老夫婦」とメディアの取材が殺到する中,ラージさんは「私たちは田舎に住む普通の老人。もともと金持ちじゃないし,退職後の蓄えも十分。これまでのつましい生活で幸せ」と淡々としている』
私が読み終わるのを待ってテラさんは,「このカナダのラージさんに感動してしまって,9億円と馬券の50万円では違うんだけど,わたしも10万円だけ自分でもらって,あとはね,たられば会の人を招待して,1泊旅行でもしたいなあって思ったんですよ。でもね,そんなことをするのはナマイキかなあとか思うし,ヨシカワさんに相談してみようかと思って。
ま,内輪の話でみっともないけど,仙台にいる娘夫婦はわたしのことなんぞ眼中にないし,今,自分には,たられば会の連中が大切なんだって,富士山が見える女房の墓には言いに行ったの。9億円にくらべたらハナクソみたいなものだけど,わたしも一生に一度くらい,ラージさんになろうかなって,そう思ったんですよ。
ときどき,つくづく,競馬があってよかったって思うし,たられば会がなかったら,さびしいよなあって思うし」そう言って笑顔になった。「アレン・ラージさんとバイオレットさん」また私は新聞記事に目をやって,「テラさんは横浜の浦舟町のラージさんだよ。こんなすばらしい相談の相手に選ばれて光栄だ」と頭のなかで何かが輝いているようだった。