烏森発牧場行き
第229便 時計と砂漠
2014.01.14
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秋田県横手市の建設会社で働いている30歳の宗久くんが私の家に泊まったのは11月22日である。川崎市の運送会社で働いている高校時代からの親友が、11月24日に横浜のホテルで結婚式をあげるので来たのだ。宗久くんは独身である。1日早く来たのは、23日に東京競馬場へ行きたいからだ。
宗久くんは私の競馬の先生の孫である。昭和20年代後半、宗久くんの祖父の友三さんは私の実家(薬品問屋)に住込みで働いていて、休日に浅草の映画館へ行くと言って高校生の私を連れだし、中山か府中へ向かう、私にとって競馬の先生だった。
のちに友三さんは故郷のいわき市の病院へ転職したが、友三さんの息子の治雄さんも私の実家で働いていたので、つきあいが続いていたのだ。横手市へ行く前に福島市で宗久くんが働いていたことがあり、私と何度か福島競馬場で会っている。
22日の晩、酔っぱらって宗久くんが、
「あのね」
と話をかけてきながら黙ってしまい、うつむいてつらそうだった。意識して私も黙る。
「言っても仕方ねえけどな」
やっと口がひらいて、
「時計がよ」
そう宗久くんが言った。時計?と言葉をはさもうとしたが、また意識して私は黙り続けた。
「夢で、いくつもいくつも時計が出てきて、おれは囲まれてさ、怖くて目があいて、まだ夜明け前だけども、怖くて寝てられねえで、起きて電気つけて、酒をのんだりすることがある」
「怖いけど、なんとか踏んばるしかない」
やっと私は言った。
2011年3月11日の震災で、宗久くんは母親を福島県浪江町で、妹夫婦一家を岩手県陸前高田市で、伯父を宮城県名取市で失っている。
「かわいくて、おれのスターだ」
と5歳だった姪のことを私に言っていたのに。
眠っていて時計に囲まれる。聞いて私もふるえそうになり、酒をのんだ。
「時計も怖いけどな、砂も怖い」
そう言った宗久くんは、おだやかな顔に戻っていた。それで私も、
「砂?」
と表情をゆるめた。
「夢で砂のうえを歩いているんだ。どこまでも砂で、砂漠みたいなところを、ただ歩きまわってる。変な夢だなあ。歩いていて、何もいないのに怖くなって、目がさめるんだ。砂漠みたいな夢、よく見る。」
「時計と砂漠」
と口にしたかったが私は黙り、宗久くんのグラスに酒を注ぎ、そのグラスに自分のグラスをぶつけるしかなかった。
23日、宗久くんと府中へ出かけた。
「ときどきな、競馬場へ行きてえなあって、ほんと、心の底から思うことあるよ」
と宗久くんが言ったのは、武蔵小杉駅で乗った南武線でだ。
「するとな、池添が乗った芦毛のホエールキャプチャが直線で抜けだすのが頭に出てくる。3歳牝馬のクイーンカップさ。
名取の伯父と府中のホテルに泊まって、1レースから行ったんさ。2着が松岡のマイネイサベルで、3着がウチパクのデルマドゥルガー。これは伯父のために憶えておいてやらんと。それに⑨―④―⑩という3連単も、配当の2万7,200円もね、おれが憶えておかんと。
その3連単を伯父が300円持ってたんだ。騒ぎなんてもんじゃねえさ。ずうっと老人ホームの関係の仕事をしていて、いつもは静かな人なのに、うれしくてコーフンしちゃって。
ちょうど1ヵ月後が3月11日よ。伯父さんを探して歩いてたとき、3連単でコーフンしてた伯父さんを思いだしてた」
声の大きな宗久くんが、私にだけ聞こえるような小声になっていた。
競馬場へ着き、午前中のレース結果を見て私はドキッとした。東京3Rの馬単が③―⑪で1万2,430円だったからだ。「3月11日。③―⑪」と口にしたら、悪い冗談になると思って私は黙った。
「いいなぁ。競馬場はいいなぁ」
東京6R2歳新馬の18頭が歩くパドックで、宗久くんは快晴の空を見上げた。
「伯父さんとは福島競馬場へよく行ったけど、着いてすぐのレースはね、まず運だめしとか言って、1番人気から3番人気までの3頭の三角買いをするんだよね」
「今日の宗久くんの競馬は、名取の伯父さん記念みたいなものだから、先ずはこのレース、それで買ってみようか」
と私が言った。
1番人気は横山典の⑪トーセンプレジオ。2番人気は後藤の⑬アスコルティ。3番人気が北村宏の①レッドファルクスである。
①―⑪、①―⑬、⑪―⑬の馬連を各1,000円買った宗久くんと1階スタンドへ行った。
ななめ右の方向にゴールポストがある地点で立ち止まっていると、おだやかな光に包まれて私は、ぼんやりしてしまった。
そのぼんやりした頭に、宗久くんから聞いた時計と砂漠の夢のことが浮かんできて、となりに宗久くんがいて、ここが競馬場だと意識し、夢の話の続きのように私は思った。
「たまには今度みたいに、おれの家へ遊びに来いや。それでたまには、こうして競馬場へ来たらいいよ」
と私は言い、これから発走する東京6Rで、宗久くんの馬券が的中してほしい、なんとか的中してほしいという願いが、心の底から湧いてきたようだった。
ゲートがあいた。新聞に目をやった宗久くんが、
「キタムラ!」
と叫び声をあげた。そして少しして、
「ヨコヤマ!」
声を張りあげ、そして声をととのえ、
「ゴトー!」
と叫び、自分の馬券の3人のジョッキーに呼びかけて宗久くんはうれしそうに笑った。
馬連①―⑬で決まった。
「伯父さん、取ったぞ」
と宗久くんは目を閉じて合掌をした。
宗久くんは私の競馬の先生の孫である。昭和20年代後半、宗久くんの祖父の友三さんは私の実家(薬品問屋)に住込みで働いていて、休日に浅草の映画館へ行くと言って高校生の私を連れだし、中山か府中へ向かう、私にとって競馬の先生だった。
のちに友三さんは故郷のいわき市の病院へ転職したが、友三さんの息子の治雄さんも私の実家で働いていたので、つきあいが続いていたのだ。横手市へ行く前に福島市で宗久くんが働いていたことがあり、私と何度か福島競馬場で会っている。
22日の晩、酔っぱらって宗久くんが、
「あのね」
と話をかけてきながら黙ってしまい、うつむいてつらそうだった。意識して私も黙る。
「言っても仕方ねえけどな」
やっと口がひらいて、
「時計がよ」
そう宗久くんが言った。時計?と言葉をはさもうとしたが、また意識して私は黙り続けた。
「夢で、いくつもいくつも時計が出てきて、おれは囲まれてさ、怖くて目があいて、まだ夜明け前だけども、怖くて寝てられねえで、起きて電気つけて、酒をのんだりすることがある」
「怖いけど、なんとか踏んばるしかない」
やっと私は言った。
2011年3月11日の震災で、宗久くんは母親を福島県浪江町で、妹夫婦一家を岩手県陸前高田市で、伯父を宮城県名取市で失っている。
「かわいくて、おれのスターだ」
と5歳だった姪のことを私に言っていたのに。
眠っていて時計に囲まれる。聞いて私もふるえそうになり、酒をのんだ。
「時計も怖いけどな、砂も怖い」
そう言った宗久くんは、おだやかな顔に戻っていた。それで私も、
「砂?」
と表情をゆるめた。
「夢で砂のうえを歩いているんだ。どこまでも砂で、砂漠みたいなところを、ただ歩きまわってる。変な夢だなあ。歩いていて、何もいないのに怖くなって、目がさめるんだ。砂漠みたいな夢、よく見る。」
「時計と砂漠」
と口にしたかったが私は黙り、宗久くんのグラスに酒を注ぎ、そのグラスに自分のグラスをぶつけるしかなかった。
23日、宗久くんと府中へ出かけた。
「ときどきな、競馬場へ行きてえなあって、ほんと、心の底から思うことあるよ」
と宗久くんが言ったのは、武蔵小杉駅で乗った南武線でだ。
「するとな、池添が乗った芦毛のホエールキャプチャが直線で抜けだすのが頭に出てくる。3歳牝馬のクイーンカップさ。
名取の伯父と府中のホテルに泊まって、1レースから行ったんさ。2着が松岡のマイネイサベルで、3着がウチパクのデルマドゥルガー。これは伯父のために憶えておいてやらんと。それに⑨―④―⑩という3連単も、配当の2万7,200円もね、おれが憶えておかんと。
その3連単を伯父が300円持ってたんだ。騒ぎなんてもんじゃねえさ。ずうっと老人ホームの関係の仕事をしていて、いつもは静かな人なのに、うれしくてコーフンしちゃって。
ちょうど1ヵ月後が3月11日よ。伯父さんを探して歩いてたとき、3連単でコーフンしてた伯父さんを思いだしてた」
声の大きな宗久くんが、私にだけ聞こえるような小声になっていた。
競馬場へ着き、午前中のレース結果を見て私はドキッとした。東京3Rの馬単が③―⑪で1万2,430円だったからだ。「3月11日。③―⑪」と口にしたら、悪い冗談になると思って私は黙った。
「いいなぁ。競馬場はいいなぁ」
東京6R2歳新馬の18頭が歩くパドックで、宗久くんは快晴の空を見上げた。
「伯父さんとは福島競馬場へよく行ったけど、着いてすぐのレースはね、まず運だめしとか言って、1番人気から3番人気までの3頭の三角買いをするんだよね」
「今日の宗久くんの競馬は、名取の伯父さん記念みたいなものだから、先ずはこのレース、それで買ってみようか」
と私が言った。
1番人気は横山典の⑪トーセンプレジオ。2番人気は後藤の⑬アスコルティ。3番人気が北村宏の①レッドファルクスである。
①―⑪、①―⑬、⑪―⑬の馬連を各1,000円買った宗久くんと1階スタンドへ行った。
ななめ右の方向にゴールポストがある地点で立ち止まっていると、おだやかな光に包まれて私は、ぼんやりしてしまった。
そのぼんやりした頭に、宗久くんから聞いた時計と砂漠の夢のことが浮かんできて、となりに宗久くんがいて、ここが競馬場だと意識し、夢の話の続きのように私は思った。
「たまには今度みたいに、おれの家へ遊びに来いや。それでたまには、こうして競馬場へ来たらいいよ」
と私は言い、これから発走する東京6Rで、宗久くんの馬券が的中してほしい、なんとか的中してほしいという願いが、心の底から湧いてきたようだった。
ゲートがあいた。新聞に目をやった宗久くんが、
「キタムラ!」
と叫び声をあげた。そして少しして、
「ヨコヤマ!」
声を張りあげ、そして声をととのえ、
「ゴトー!」
と叫び、自分の馬券の3人のジョッキーに呼びかけて宗久くんはうれしそうに笑った。
馬連①―⑬で決まった。
「伯父さん、取ったぞ」
と宗久くんは目を閉じて合掌をした。