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第236便 時代はずれ

2014.08.13
 6月14日と15日、社台グループの共有馬主クラブの牧場ツアーで1泊2日。北海道へ行く。
 6月16日と17日、心臓疾患の定期検診で1泊2日、病院へ行く。
 6月21日と22日、社台グループの2度目の牧場ツアーで1泊2日。北海道へ行く。
 牧場ツアーでの私の役割は、競馬を愛し、愛されてしまった人に喋りかけること。冗談を言って、笑うこと。
 6月23日の夕方、京都へ行く。翌日の早朝からの、「PHP」という雑誌の取材仕事のため。その仕事も、ほとんど喋り、冗談を言っている。
 6月28日と29日、ビッグレッドファームの共有馬主クラブの牧場ツアーで北海道へ行く。そのあと7月3日まで馬産地をうろつくので、5泊6日の旅となる。その旅も、私は喋り、冗談を言っている。
 7月4日の夕方、六本木の、グランドハイアット東京へ行く。「第五十二期十段・第二十六期女流名人合同就位式」のパーティーなのだ。
 囲碁の高尾紳路十段は競馬が好きなのである。それで競馬仲間の7人がパーティーに呼ばれたのだ。そのなかには、栗東の矢作芳人調教師の父の、大井競馬の調教師だった矢作和人さんもいた。
 和人さんは1933(昭和8)年生まれで、
 「もうねえ、かたっぱしから忘れちゃうんですよ。なさけない」
 と笑うのだけれど、昔のことを鮮明に話すので、私には貴重なひとときになった。
 そうなのだ、そこでも私は、喋って、そして冗談を言っている。

 7月6日、ウインズ横浜へ行く。
 この原稿で、どうして6月14日からの私の日程を書いたのかといえば、その日日のなかで、日ノ出町のウインズ横浜へ行きたいなあという思いがちらついていて、ウインズ横浜で馬券をやっていると、長い旅からようやく自分の庭へ戻ったような気分というのを、読んでくれる人にわかってほしいと考えたからだ。
 もう40年という歳月、とくに夏は、週末に私はウインズ横浜にいることが多い。それでそこが、そこの周辺のコーヒーショップやラーメン屋、美術館や画廊、バーや居酒屋が、自分の故郷のような気がしているのが、私の人生の不思議のひとつになっているのだ。

 福島9R雄国沼特別で14頭立て8番人気、柴田善臣騎乗アートフェスタが、
 「来るな、来るな、来るな」
 と痩せたじいさんが叫んでいたのに、4コーナーでは後方だったのに、いっきに10頭ほどをまとめて差し切ってしまい、単勝5,730円の波乱。
 「やめてくれよなあ、ヨシトミ。ヨシトミが来なけりゃ、おれ、がっちり取れてたんだ。
 人気ないんだからさ、負けても誰も文句言わないのに、どうして勝っちゃうんだよ、ヨシトミ」
 と痩せたじいさんが仲間にグチってる。
 私の横にゴミ函があり、ハズレ馬券を捨ててゆく人がふたり続いた。痩せたじいさんは仲間づれだが、たいていはひとりでウインズにいる。どちらも私には景色で、その景色が競馬と同じぐらい好きなのである。

 函館10R立待岬特別、15頭立て。1着がローウィラー騎乗11番人気のスイートドーナッツ。2着が15番人気の荻野騎乗サンライズテナンゴ。3着が2番人気の藤田騎乗グレイングロース。馬連13万6,300円、馬単30万6,400円。3連単134万2,200円。
 「こんなの間違って取れたら、女をつれて函館へ行くよな」
 と禿げたおっさん。
 「女、いるのかよ」
 と白髪のおっさん。
 「金を渡せば、誰か行ってくれるだろ」
 と禿げたおっさん。聞いていて私は、世の中にはそんな旅をしている奴もいるんだよな、と遊び人の友だちを思いだした。

 太ったおばさんが、馬券売り場の前にいる女子職員に、
 「福島の11レースの、④-⑫-⑬という3連単を3,000円、買いたいんだけど」
 と頼んでいる。
 「買い方がわからないんですね」
 そう聞いて職員がマークシートに記入し、おばさんを馬券発売機へ連れてゆき、
 「お金を、3,000円を、ここに」
 と指示している。
 「同じのを、もう1枚。3,000円」
 とおばさんが頼み、2枚の馬券をバッグに入れて帰って行った。
 同じのを3,000円とはどういうことなのだろうと思いながら、私は④を見ると1番人気。⑫は6番人気。⑬は2番人気。どんなドラマの3連単なのだろうと考えたが見当がつかない。
 福島11RはラジオNIKKEI賞。④-⑫-⑬は紙クズになった。

 ウインズの帰り道、関内駅から大船行きの電車に乗る。電車でたいていの人は、手のひらのものを見ているか、それを指でこすっているか。
 電車に乗ると、どんな人が一緒に乗っているのか、私は気にして周囲に目をやるのだが、もう今は手のひらのものを見ている人が殆どだ。他人なんか気にしているのは、時代の流れからはずれた人なのだろう。
 喋って、冗談をとばして、景色を見て、黙って、笑って、そうやって自分は生きているのだと思いながら私は、なんだか自分が社会の仕組みから追放されているのかもしれないという思いにもなるのだ。
 牧場ツアーに参加した人たちにも、会話を必要としていない人が増えているような気がする。私にしてみれば、喋る、冗談をとばすというのを、拒否されているようなのだ。
 でも、仕方がないよなあ。いまさら、感じ方を変えるわけにもいかないし、これまでどおり、喋って、冗談をとばして暮らすしかないものなあ、と私は思い、大船駅構内のレストランに入って、中ジョッキのビールをのんだ。
 となりのテーブルで、やはり老人が、ひとりでビールをのみ、なにやら宙を見つめている。
 「時代はずれという言葉、ありましたっけ?」
 と心で私は、老人に声をかけている。
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