烏森発牧場行き
第266便 自分で
2017.02.12
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年の瀬の夜おそく、ひとり忘年会みたいな気分でウイスキーをのみながら、テレビの「ドキュメント72時間」というのを見ていた。雨が降っている日のガソリンスタンドに寄る人たちに、「これからどちらへ」とかインタビュアーが何気ない口調で声をかけ、その人の現実をなんとなく探ろうというのが番組の狙いなのだろう。
40歳ぐらいの女が軽自動車にセルフで給油している。
「これからどちらへ?」
「高校生の娘が部活でバレーボールの試合があるので見に行くの。娘は補欠で試合に出ないらしいけど、母親として娘の部活に関心があるよというのを見せておこうと思って」
と女は少し笑った。
「お仕事してるんですか?」
「してるわよ。今日は休みだけど、昼も夜も。わたし、娘が4歳のときに離婚しちゃったんで、働かなくちゃ育てられないし、だいいち、食べていけない」
「大変ですね」
「大変よ。わたしの姉も離婚して男の子を育ててたんだけど、三年ぐらい前、41歳で死んじゃった、自分で」
給油が済み、軽自動車は走りだした。
女が言った「自分で」にインタビュアーは反応しなかったが、私には石ころをのみこんだように、その言葉が残った。
あの人のお姉さん、自分で死んじゃったのだ、と私のひとり忘年会は、自分で死んじゃった友だちもやってきて、「自分で」という曲が静かに流れているようだった。
正月四日、山形県上山市から来たトシくんが私の家に泊まっていた。トシくんは25歳。3歳の男の子の父親で、長距離トラックの運転手をしている。
トシくんの祖父のリュウさんは、30代の私が薬品問屋勤務のころ、製薬業界紙の記者。よく一緒に東京や中山へ行き、上山競馬場へ行ったときには、上山に近い西置賜郡のリュウさんの実家に泊まったこともあった。
リュウさんの息子のアキラさんは山形市で役所に勤務。アキラさんの息子がトシくん。リュウさん一家とは遠い親戚のようなつきあいが続いていた。
有馬記念の中山へ行ってみたいとトシくんが電話をしてきて、「正月の金杯のときにしなよ。初めての中山なら、そのほうがゆっくり楽しめると思う。それでその一年の終わりの有馬を見にくるほうがドラマチックだ」と私が言ったのだった。
中山競馬場へ行く電車が江戸川を渡るころ、
「後藤騎手はどうして自殺したのかなあ」
とトシくんに聞かれた。
「おれ、知りあいだったけど、どうしてだかはわからない。たしかなのは、自分で決めて死んだことだね」
と言って私は、また自分のなかに、「自分で」という曲が流れたのを感じ、そこで黙って車窓からの明るみを受けとりながら、人間は何をするにしても結局は自分で決めるもので、こうしてトシくんが中山競馬場へ行ってみたいと遠方から出てきたのも、リュウさんの昔話などに影響されながら、自分で決めたのだろうと、そんなことを思いめぐらせた。
これがスタンドか!これがパドックか!ここにレースした馬たちが戻ってくるのか!とトシくんは子供のように一所懸命なので私はうれしかったが、トシくんの馬券はことごとくアウトで、なんかひとつは当たってほしいと私は思った。
「どうしても当たらんから、記念に、思い出に、おじさんが日刊競馬で予想してる馬単2点を2,000円ずつ買う。もう記念にするだけでいいわ」
とトシくんが言ったのは、中山金杯のパドックでだった。
「それはやめよう。記念になんかならん。おれ、めったに当たらないんだ。冗談でなく、やめたほうがいい」
そう私は言ったのだが、その馬単③―②と③―⑩だけをトシくんは買った。
ゴール板が真正面に見える1階スタンドの人の波のなかでスタートを待ちながら、
「その馬券、自分で、自分で決めて買った馬券だから、ダメでも仕方ないよ」
と私はトシくんに言い、言ってから、くだらないことを言ってしまったかなあと思った。
私もトシくんもレースを見ていたのだが、初めから終わりまで無言のままだった。トシくんがいきなり私の手を痛いほど強く握って、
「なんだ、これは」
と声を出した。1着ツクバアズマオー、2着クラリティスカイの馬単③―②が当たってしまったのである。
「なんだ、これは」
と私も言った。
トシくんと私は西船橋の居酒屋で座ってビールのジョッキをぶつけあった。
「なんだかおれたち、うまく行きすぎてるな」
私が言い、
「たまにはそういうこともなくちゃね」
とトシくんは口笛をピッと鳴らした。
八人掛のテーブルで私たちは相席の隅に並び、向いの席の隅っこの、私の前にいる男は、どうやらひとりで飲んでいるようなのだ。
「おひとりですか?」
私が聞いて、
「そうです」
男が言い、
「そちらもうまく行ったようですけど、ぼくもうまく行ったんです。中山の8Rから12Rまで、馬連の④―⑧を千円ずつ買ったんですよ。今日、自分が48歳の誕生日なものですから。
10Rの招福Sが④―⑧だったんですよ。これって、奇跡みたいなもんですよね。どうしたって、ひとりなんだけど、乾杯したくて、この店に」
と腕を目にあてて泣くマネをした。
私が男のハイボールのグラスにジョッキをぶつけ、トシくんも続いた。
この黒いジャンパーの、いかにも実直そうな痩せた男は、自分で、自分で決めて、誕生日馬券を買って中山競馬場にいたのだ、と私は思った。
40歳ぐらいの女が軽自動車にセルフで給油している。
「これからどちらへ?」
「高校生の娘が部活でバレーボールの試合があるので見に行くの。娘は補欠で試合に出ないらしいけど、母親として娘の部活に関心があるよというのを見せておこうと思って」
と女は少し笑った。
「お仕事してるんですか?」
「してるわよ。今日は休みだけど、昼も夜も。わたし、娘が4歳のときに離婚しちゃったんで、働かなくちゃ育てられないし、だいいち、食べていけない」
「大変ですね」
「大変よ。わたしの姉も離婚して男の子を育ててたんだけど、三年ぐらい前、41歳で死んじゃった、自分で」
給油が済み、軽自動車は走りだした。
女が言った「自分で」にインタビュアーは反応しなかったが、私には石ころをのみこんだように、その言葉が残った。
あの人のお姉さん、自分で死んじゃったのだ、と私のひとり忘年会は、自分で死んじゃった友だちもやってきて、「自分で」という曲が静かに流れているようだった。
正月四日、山形県上山市から来たトシくんが私の家に泊まっていた。トシくんは25歳。3歳の男の子の父親で、長距離トラックの運転手をしている。
トシくんの祖父のリュウさんは、30代の私が薬品問屋勤務のころ、製薬業界紙の記者。よく一緒に東京や中山へ行き、上山競馬場へ行ったときには、上山に近い西置賜郡のリュウさんの実家に泊まったこともあった。
リュウさんの息子のアキラさんは山形市で役所に勤務。アキラさんの息子がトシくん。リュウさん一家とは遠い親戚のようなつきあいが続いていた。
有馬記念の中山へ行ってみたいとトシくんが電話をしてきて、「正月の金杯のときにしなよ。初めての中山なら、そのほうがゆっくり楽しめると思う。それでその一年の終わりの有馬を見にくるほうがドラマチックだ」と私が言ったのだった。
中山競馬場へ行く電車が江戸川を渡るころ、
「後藤騎手はどうして自殺したのかなあ」
とトシくんに聞かれた。
「おれ、知りあいだったけど、どうしてだかはわからない。たしかなのは、自分で決めて死んだことだね」
と言って私は、また自分のなかに、「自分で」という曲が流れたのを感じ、そこで黙って車窓からの明るみを受けとりながら、人間は何をするにしても結局は自分で決めるもので、こうしてトシくんが中山競馬場へ行ってみたいと遠方から出てきたのも、リュウさんの昔話などに影響されながら、自分で決めたのだろうと、そんなことを思いめぐらせた。
これがスタンドか!これがパドックか!ここにレースした馬たちが戻ってくるのか!とトシくんは子供のように一所懸命なので私はうれしかったが、トシくんの馬券はことごとくアウトで、なんかひとつは当たってほしいと私は思った。
「どうしても当たらんから、記念に、思い出に、おじさんが日刊競馬で予想してる馬単2点を2,000円ずつ買う。もう記念にするだけでいいわ」
とトシくんが言ったのは、中山金杯のパドックでだった。
「それはやめよう。記念になんかならん。おれ、めったに当たらないんだ。冗談でなく、やめたほうがいい」
そう私は言ったのだが、その馬単③―②と③―⑩だけをトシくんは買った。
ゴール板が真正面に見える1階スタンドの人の波のなかでスタートを待ちながら、
「その馬券、自分で、自分で決めて買った馬券だから、ダメでも仕方ないよ」
と私はトシくんに言い、言ってから、くだらないことを言ってしまったかなあと思った。
私もトシくんもレースを見ていたのだが、初めから終わりまで無言のままだった。トシくんがいきなり私の手を痛いほど強く握って、
「なんだ、これは」
と声を出した。1着ツクバアズマオー、2着クラリティスカイの馬単③―②が当たってしまったのである。
「なんだ、これは」
と私も言った。
トシくんと私は西船橋の居酒屋で座ってビールのジョッキをぶつけあった。
「なんだかおれたち、うまく行きすぎてるな」
私が言い、
「たまにはそういうこともなくちゃね」
とトシくんは口笛をピッと鳴らした。
八人掛のテーブルで私たちは相席の隅に並び、向いの席の隅っこの、私の前にいる男は、どうやらひとりで飲んでいるようなのだ。
「おひとりですか?」
私が聞いて、
「そうです」
男が言い、
「そちらもうまく行ったようですけど、ぼくもうまく行ったんです。中山の8Rから12Rまで、馬連の④―⑧を千円ずつ買ったんですよ。今日、自分が48歳の誕生日なものですから。
10Rの招福Sが④―⑧だったんですよ。これって、奇跡みたいなもんですよね。どうしたって、ひとりなんだけど、乾杯したくて、この店に」
と腕を目にあてて泣くマネをした。
私が男のハイボールのグラスにジョッキをぶつけ、トシくんも続いた。
この黒いジャンパーの、いかにも実直そうな痩せた男は、自分で、自分で決めて、誕生日馬券を買って中山競馬場にいたのだ、と私は思った。