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烏森発牧場行き

吉川良 烏森発牧場行き

第307便 バー「たられば」

 「あと3日でダービー。スタンドに人がいない、新型コロナウイルスダービー、とか思いながら、そうか、おれ、ダービーのことを考えてる場合じゃないのだ。自分が食っていけるかいけないか、それを考えなくてはならぬのだ、と笑った」

 と私にメールをしてきたのは、相模原市に住む34歳の原田くん。独身。タクシー運転手をしながら画家をめざしている競馬好き。数年前に府中の酒場で知りあい、原田くんが出品したグループ展に行ってからのつきあい。
 5月初め、勤務するタクシー会社から突然に廃業を通告されたときもメールをもらった。私はメールをやらぬので、何を書いたらいいのか分からないと思いながら、「冗談を食ってでも生きのびてくれ」とか、手紙をおくった。
 新型コロナウイルスに襲われてステイホーム。外をうろうろと飲み歩いて、冗談をとばすのを人生のエネルギーにしている私も、仕方なく家でのひとり酒。夜おそく部屋を薄闇にし、ギターとかピアノとかフルートの曲を音量低く流し、美空ひばりの「悲しい酒」の、「ひとりしずかにのむさけは」を思いだしたりするのだ。
 その私のバーの名は、60年以上も馬券をやってることから「たられば」。バー「たられば」だなあ。酒の肴はたいてい「おもいで」。
 メンデルスゾーンのギターの「無言歌」をバックミュージックにしながら原田くんのメールのことを思いだし、夕方にかけてきたイノさんのケイタイのことも思いだした。
 「日ノ出町へ行かないとよ、何処へも行かないからウツ病になっちまうよ。なあ、考えてみりゃ、昔っから、日ノ出町さえあればさ、ほかに何処へ行くってことがなくてもよかったわけだよ。
 なあ、ダービーだってのに、どうにもならねえ。ほんと、もうおれなんか、死ぬしか用事がねえのかなあなんて思っちまう。どうすりゃいい?」
 と言うイノさんは75歳くらい。京浜急行線の弘明寺駅の近くに住んでいて、土曜と日曜、電車ですぐの日ノ出町駅へ来るわけで、イノさんは「ウインズ横浜」のことを「日ノ出町」と言うのだ。
 3年ほど前までは、ウインズ横浜の近くの居酒屋でイノさんと私はよく飲んでいる。私のことを「ガラケイ兄弟」と称ぶイノさんは胃の手術をし、デブだったのにヤセッポチになり、酒ものめなくなってしまった。
 原田君のメールとイノさんの声を酒の肴にしていると、東京の大学病院で外科医をしている石井さんからの手紙も思いだした。石井さんは私の次女の高校時代の友だちで52歳。東京の杉並に住んでいる。
 20年ほど前になるかな、東京競馬場のパドックの近くで偶然に顔を見合わせ、高校時代は私の家の近くに住んでいたので、「おお!」となったのだ。
 それから何度か一緒に競馬場で過ごしたり、手紙のやりとりをするようになった。
 「今年もダービーだ。月日の流れは早いというけれど、今年は余計にコロナのために時間感覚が異常ですね。
 ぼくはダービーと秋の天皇賞と有馬記念を競馬場で見る、というのをテーマにして日程を作っているわけで、せっかく苦心して手に入れたダービーの日に、競馬場へ行けないというのは、なんということでしょうか。
 先日、病院の屋上で休みながら青空を見ていて、無観客のダービーのことを考えていたら、ナリタブライアンがぼくのなかを走ったのです。
 1着が南井のブライアン。2着が岡部のエアダブリン。5馬身差。馬連1,020円。忘れません。3千円、それを買っていたぼくはシビレたのです。そのシビレ、忘れません。
 研修医のときです。大先輩の先生が、ぼくはひそかに愛しているものがあるのだが、君にはそれを見せたいなあと誘われ、それが競馬場で、ナリタブライアンでした。自分も競馬をひそかに愛するようになりました」
 その手紙を読んだときに私は、「ひそかに」が心に残った。
 
 バー「たられば」で私は、目の高さにまでグラスを持ちあげた。2020年の第87回日本ダービーと、原田くんとイノさんと石井さんに乾杯したのだ。
 ギターの音に気分をあずけていると、1986年5月25日の夕方へ私は旅をしていた。
 その日、増沢末夫騎乗のダイナガリバーが、田原成貴騎乗のグランパズドリームに半馬身差で、第53回日本ダービーを勝った。ダービー制覇が悲願となっていた社台ファームの吉田善哉さんの近くにいた私は、ダイナガリバーのゴールインの直後、固まってしまったような吉田善哉さんの全体を目にして息をのんだ。
 競馬場から祝勝会をする東北沢の料理屋へと向かう車に、私も吉田善哉さんと一緒にいた。車にいる時の吉田善哉さんはいつも助手席で、後には社台ファームの番頭さんと言われた山本寿夫さんと私がいた。
 車が走りだしてすぐ、
 「社長、ダービー、おめでとうございます」
 と運転手の染谷さんがあらたまった口調で言うと、
 「明日、千葉へ行くぞ」
 と吉田善哉さんはひとりごとのように返した。千葉の富里に社台ファーム分場がある。
 山本寿夫さんの靴が私の靴をノックした。「社長、うれしすぎて、テレてる」と山本さんの靴が言っているのだ。
 少し無言が続いたとき、
 「今日と同じくらいうれしかったダービーを思いだしたね」
 と吉田善哉さんが言った。
 「昭和22年。戦争が終わったあとの最初のダービーでね、客が集まるのかって、みんなで心配してたんだが、4万2千人の客だよ。
 いやあ、泣きたいくらいうれしくてね、尾形藤吉先生や野平祐二騎手たちと握手したり抱きあったりした」
 「凄い話だ」
 と山本さんがひとりごとで受けた。
 グラスを手にして私は2020年5月に戻り、
 「ダービーなのに、スタンドが空っぽなんです」
 と遠方にいる吉田善哉さんと山本寿夫さんに伝え、ぼんやりした。