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第326便 なんもかも

2022.02.10
 2021年12月5日のこと、中京競馬11R、第22回チャンピオンズCの16頭がゲートを飛び出し、テレビにかじりつきそうに見ているうちのバアさんが、「6番、6番、6番」と、祈るように呟いている。
 (私が妻のことをバアさんと言ったり書いたりすると、女性にたいして失礼だと叱る人がいるのだが、12月5日が誕生日で83歳になる妻をバアさんと書くのが、私としては自然だ。10年ぐらい前まではカミさんと言ったり書いたりしてたけれど)
 「6番」は松山弘平騎乗のテーオーケインズで1番人気。2番人気がソダシで、3番人気がチュウワウィザードである。
 うちのバアさん、競馬のことを書くのが仕事の私と六十年近く暮らしながら、いっこうに競馬のことを知ろうとしない。
 そうなのだけれども、長いおつきあいをしている牧場の生産馬が出走すると、眼の色を変えて必死に応援をする。
 ソダシが崩れ、直線、するどく馬群を抜けだす6番に、「よしっ、よしっ、よしっ」とバアさんの声が飛び、2番チュウワウィザードに6馬身差の、テーオーケインズの圧勝だった。
 そのゴールインとほとんど同時にバアさんの指がスマホで動き、
 「おめでとう。よかった。すごーい」
 と声が跳ねる。
 その声の相手は、テーオーケインズを生産したヤナガワ牧場の弘子夫人だ。バアさんと弘子夫人は長いおつきあいの仲よしである。
 電話の相手が梁川正克さんに変わり、
 「心臓、大丈夫?」
 と私が聞いた。最近、正克さんが心臓の治療をしたのを知ってるからだ。
 正克さんも後期高齢者。仕事は息子の正普さんに任せているけれど、2017年有馬記念のキタサンブラック以来のGⅠ勝利に、心臓が躍ったにちがいない。
 「こういうことがあるから、なんもかも忘れて、また仕事が出来るんだよね。馬の仕事は、面倒なことも、イヤなこともたくさんあるけど、こういうことがあるから、なんもかも忘れちゃう」
 という正克さんの言葉が私に残って、電話のあと、「なんもかも」と私はひとりごとを言っていた。
 牧場の仕事と私のケチな馬券のことを一緒にしてはいけないのかもしれないが、奇跡のように自分の狙った馬券が当たったりすると、人生の空しさとか悲しさとか、なんもかもブッ飛んで、いっぺんに幸せになるのよなあ、競馬って奴は。
 そう考えて私は、長いこと競馬とつきあっているのは、「なんもかも」を忘れるためなのかもしれないと、あらためて思うのだった。
 師走の日日の流れも早い。第66回有馬記念が近づいてきて、出走馬の1頭1頭の走りを思い返したり、生産牧場を確認したりしているうち、
 「この有馬、横山記念だな」
 と言いそうになった。1番人気になりそうなエフフォーリアに横山武史、かなり人気を集めそうなタイトルホルダーに横山和生、人気にはなりそうもないシャドウディーヴァに横山典弘と、父子3人が有馬記念のゲートに並ぶのである。
 凄い出来事、と思う私に、横山典弘の父の横山富雄が浮かんできて、
 「メジロファントム」
 と心で言っていた。

 私は仕事部屋から「有馬記念全史」という一冊を取ってきて、横山富雄とメジロファントムの記録を探す。
 1978年(昭和53)年、加賀武見のカネミノブが勝った有馬で、宮田仁が乗ったメジロファントムは13着。言わせてもらうと、私は41歳。おお!
 1979年、大崎昭一のグリーングラスの勝った有馬で横山富雄のメジロファントムは、ハナ差の2着だ。有馬のハナ差。おお!
 1980年の加藤和宏のホウヨウボーイが勝った有馬も横山富雄のメジロファントムが出走。1番人気だったが4着。横山典弘は12歳。おお!
 東信二のアンバーシャダイが勝った1981年の有馬も富雄ファントムが出走。10着。2着がホウヨウボーイで、二本柳俊夫厩舎のワンツー、おお!
 1982年の河内洋のヒカリデュールが勝った有馬も、メジロファントムは的場均でゲートイン。10着。5年連続有馬記念出走のメジロファントム。昭和41年から45年にかけて出場し、7歳と8歳で3歳下のアカネテンリュウを退けて連覇したスピードシンボリと並ぶ記録。おお!
 こうして横山富雄とメジロファントムのことを調べているあいだ、なんもかも忘れて私は、幸せな時間にいたようである。
 2021年12月26日、第66回有馬記念。家で私は孫のリュウタローとオゴヌキ(越後貫)くんとテレビの前にいた。ふたりとも研修医2年目の冬で、うまく有馬の日に休みが取れるので競馬場へ行きたかったが、抽せんにハズれてしまった。このふたりは学生時代の夏に、新冠や静内へ牧場めぐりに出かけたほどの競馬好きである。
 「おれは最近、若い奴に弱気なんだ。自分が喋りたいことがあっても、ただウルサイじいさんだと思われてしまうかもと警戒するんだ。うーん、今、おれは喋りたいことがある」
 そう私が言い、
 「ストレスは敵。喋ってください」
 とオゴヌキくんが笑った。
 私は梁川正克さんが電話で言った「なんもかも」のこと、穴馬券的中のときの「なんもかも」のこと、横山富雄とメジロファントムを思いだしている時の「なんもかも」のことを喋った。
 「ときどき、どうして自分がこんなに競馬が好きなのかなあって思うことがあるんですよね。この2年近く、コロナで思うようにいかないけど、競馬場にいるときの自分、ウインズにいる時の自分は、楽しくて仕方のない旅に出ている気分になってる。
 言われてみれば、ぼくもやっぱり、暗いことがなんもかも消えてるのかもしれない」
 とオゴヌキくんが言い、
 「なんもかも忘れて、自分が自分になってる」
 とリュウタローが言った。
 テレビのパドックに有馬の出走馬が現れる。

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