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第328便 新得物語

2022.04.11
 2月1日、心臓の調子が崩れて入院した。1月26日に吉田和子さん(社台ファーム創業者吉田善哉氏の妻)の野辺送りをしたばかりで、告別式で合唱した讃美歌405番「神ともにいまして」の、「また会う日までかみの守り、汝が身を離れざれ」がよみがえり、歌いながら私は、また会う日は遠くないですと思ったことがよみがえった。
 私は2005年に心筋梗塞で入院して以来、循環器の主治医が変わらずに田中先生で、10数年のおつきあいになる。なので私が競馬のことを文章にしているのも知っていて、
 「わたしの医療チームに新しく入った看護師のコバヤシさんは、競馬が好きみたいです」
 と内緒話をするように言った。
 病室へ血圧を測りにきたコバヤシユリさんに、
 「ごめんなさい。ぼくは初めて会った人に、故郷は何処ですかと聞かないと気が済まないのです」
 と私が言い、
 「北海道です」
 と声が返ってきた。
 「北海道の何処ですか」
 「誰も知らないと思うけど、新得」
 「知ってますよ。となりの鹿追の神田日勝記念館には3度行ってます。それにぼくの頭のなかには、新得物語というドラマがあるし」
 そう私が言うと、
 「神田日勝はわたしのいちばん好きな画家です」
 とユリさんの表情が変わり、
 「夢のなかの話みたい」
 そう呟いた。
 神田日勝は私と同じ1937(昭和12)年に東京の練馬の生まれ。1945年、8歳のとき、一家が戦災者集団帰農計画に基ぐ拓北農兵隊として、終戦直後の北海道河東郡鹿追村に入植した。
 のちに東京芸術大学に進学した兄に油絵の手ほどきを受け、農業を継いでいた日勝も絵と向きあい、やがて各地で入選を重ね、画家として頭角を露しながら、腎盂炎による敗血症のため、1970年、32歳で死去している。
 ギャロップダイナやダイナガリバーやサッカーボーイを育成したころの、社台ファーム空港牧場の場長だった大沢俊一さんも神田日勝の絵が大好きで、ふたりで鹿追まで、日勝の描く人、馬、景色を見に行ったのだ。
コバヤシユリさんは38歳。離婚をして小学生の息子と、私の家から歩いて20分ほどのアパートで暮らしていることが判り、
 「新得物語と言ってましたよね。何だろうって気になって仕方ない」
 と電話をしてきたので、
 「息子さんといっしょに遊びに来なさいよ」
 そう私が言い、3月の初めの午後、小学校4年生のタケルくんと、さくら餅をおみやげに、私の家に現れた。
 「わたしが今のタケルと同じころ、おじいちゃんが札幌の競馬場へ連れて行ってくれたんです。
 おじいちゃんは新得の近くの清水町の牧場で働いていて、自分の育てた馬がレースに出るのを見に行ったのでしょう。
 やさしいおじいちゃんでした。おじいちゃんのことを思いだすと、わたし、元気になります。
 父と兄たちは、帯広に移って会社勤めになったけど、新得にいたころのおじいちゃんとの思い出は、わたしの新得物語ですね。

 それでわたし、競馬が気になって、中山に1度、東京競馬場に1度、出かけたりしたんですけど、そのあとはコロナで行けなくなって」
 とユリさんが言った。
 「ぼくは40歳すぎに競馬のことを書きだして、美浦トレセンという所に行き始めたのだけど、知り合いも殆どいない。
 そんなころ、少し会話をしたのをきっかけに、ここに座りなさいって、高橋英夫という調教師が、調教師ルームに案内してくれたんです。
 高橋英夫調教師のやさしさがぼくを安心させてくれて、その安心、忘れられないです。
 高橋英夫のことを知りたくて、いろいろと話を聞きました。新得尋常小学校を出て、家の農家を手伝っていた高橋英夫は、母の春枝さんが10円札を2枚縫いつけたシャツを着て東京に来たんです。それが昭和10年、高橋英夫、16歳のとき。
 第1回ダービーを勝ったのがワカタカ。騎手は凾館孫作。その人の義弟の七尾さんという人が新得にいて、身体の小さな英夫に騎手になれというわけ。
 東京までひとりで、船に乗るのも初めての英夫は、3日かかって東京に着いた。で、昭和12年、凾館孫作厩舎で騎手になった。でも、小僧なんて、なかなか乗せてもらえなくて貧乏。つらくて何度も新得に帰りたかったけど、汽車賃もない。
 戦争中、昭和20年、室蘭の高射砲隊に召集され、敗戦後、藤本冨良厩舎をへて、鈴木信太郎厩舎に所属した。
耐えて耐えて、踏んばって踏んばって、昭和37年、1962年、高橋英夫はフエアーウインでダービージョッキーになった。通算、平地で856勝、障害で80勝。そうして、昭和43年、調教師になった。
 調教師になって、カミノテシオで天皇賞、ダイナカールでオークスを勝ってる。
 そうなんだよ、おれ、高橋英夫のことなら、こうしてしっかりおぼえてるんだ。そのくらい、高橋英夫のやさしさは、おれにとって、ありがたいものだったなあ。
 だから、神田日勝の絵を見に行くのも、もうひとつ、高橋英夫のふるさと、新得の景色を見るという楽しみもあったんだ。
 ああ、そうそう、2022年2月いっぱいで、高橋英夫の息子さんの、高橋祥泰調教師が70歳で定年退職をした。いやあ、時は流れたなあ、としみじみ思った。
 ありがとう、ぼくの新得物語を聞いてくれて」
 と私はユリさんに言った。
 私が話しているあいだ、退屈そうにクッキーを食べていたタケルくんが、
 「ぼくも新得へ行ったこと、ある」
 と私をしっかりと見て言った。
 「小学校へ入学する前、おじいちゃんのお墓に報告したよね。離婚の報告もした」
 とユリさんが笑った。
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