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第45回 「細い糸」

2014.12.12
 11月12日に東京・大井競馬場で行われた第47回ハイセイコー記念で、優勝馬ストゥディウムの豪快なレースぶりに驚かされた。
 14頭立ての13番枠から出たストゥディウムはスタートでつまずくようなかっこうになり、行き脚がつかず、1コーナーを最後方で回った。2コーナー、3コーナーでも位置取りは変わらず、4コーナーでもまだ11番手。最後の直線、石崎駿騎手はストゥディウムを馬群に潜り込ませ、猛スパートをかけた。1完歩ごとに前との差を詰め、最後のひと伸びで先行2頭を捕らえ、優勝のゴールを駆け抜けた。2着オウマタイムとの差はクビ。さらに3着のヴェスヴィオがアタマ差で続くというきわどい勝負だった。大井競馬場のダート1600㍍で、勝ちタイムは1分41秒7だった。

 ストゥディウムは2012年4月18日に北海道様似町の清水誠一さんの牧場で生まれた。父ルースリンド、母ルナマリア、その父ジェイドロバリー(USA)という血統だ。この年にルースリンドが送り出した8頭の産駒のうちの1頭だ。

 ルースリンドは2001年、父エルコンドルパサー(USA)、母ルーズブルーマーズ(USA)との間に生まれ、中央競馬の美浦トレーニング・センターにある上原博之厩舎からデビューをしている。3歳時に9戦したが、勝ち星を挙げることはできず、地方・船橋競馬に移籍した。船橋の水が合ったのか、移籍初戦から勝利を挙げると、その後3連勝。一度2着になった後、再び3連勝。続いて3着になり、またまた3連勝。南関東のトップクラスに駆け上がった。

 しかし2006年は2戦しかできず、復帰した2007年7月、川崎競馬場のスパーキングサマーカップ(1600㍍)でうれしい重賞初勝利を飾る。9歳まで現役を続け、金盃(大井2000㍍)、東京記念2勝(大井2400㍍)の重賞勝ちを加えた。地方通算36戦14勝、2着10回の成績を残した。地方での収得賞金は2億3,685万円に達した。結果的に地方への移籍は大正解だった。

 2011年から種牡馬になり、今年2014年、産駒は競走年齢の2歳に達した。産駒は11月20日現在、6頭がデビューし、このうち4頭が勝ち馬になった。出世頭はストゥディウムでハイセイコー記念を終えた時点で7戦3勝。ハイセイコー記念のほか平和賞(船橋1600㍍)でも重賞勝ちを収めている。

 ストゥディウムを育てる船橋の矢野義幸調教師(63)は、かつてルースリンドを手がけた縁がある。さらにストゥディウムの母ルナマリアも矢野調教師が預かっていたという因縁を持つ。父も母も知り尽くす調教師が、その息子も育て、来春のクラシックを目指す。競馬のだいご味だろう。

 ストゥディウムの父ルースリンドはその父エルコンドルパサーが残した数少ない後継種牡馬だ。
 1999年にJRA年度代表馬になるなど活躍したエルコンドルパサーは若くして命を落とした。種牡馬生活はわずか3年。その短かった種牡馬生活から3頭のGⅠ馬を生み出した。ソングオブウインド(菊花賞)、ヴァーミリアン(ジャパンカップダートなど)、アロンダイト(ジャパンカップダート)だ。エルコンドルパサーが天寿をまっとうしていたら、どれだけ素晴らしい後継馬を送り出したか。想像すればするほど悔やまれる。

 ただストゥディウムの活躍を見ていると、細いながらも糸がつながったことを幸いに思う。
 思い出されるのは父子3代の天皇賞制覇を果たしたメジロアサマ→メジロティターン→メジロマックイーンの例だ。メジロアサマは1年目の種付けで1頭も受胎せず、授精能力を疑われた。しかし北野豊吉オーナーが執念を見せ、メジロティターンが誕生した。途切れかけた遺伝子のリレーはかろうじてつながり、メジロマックイーンによる父子3代の天皇賞優勝という偉業につながった。

 そればかりではない。メジロマックイーンは母の父として抜群の威力を発揮した。3冠馬オルフェーヴル、GⅠレース5勝のゴールドシップを生み出す原動力になった。エルコンドルパサー→ルースリンドの父系が平成のメジロ一族になれば、面白い。
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