第5コーナー ~競馬余話~
第84回 「隔世」
2018.03.12
Tweet
2月11日に東京競馬場で行われた第52回共同通信杯は6番人気のオウケンムーン(牡3歳、美浦・国枝栄厩舎)が優勝し、父のオウケンブルースリにJRA重賞初勝利をプレゼントした。
2008年の菊花賞馬オウケンブルースリだが、産駒は数少ない。種牡馬1年目の2013年には23頭に種付けし、翌年13頭が誕生した。その後の種付頭数は12頭、9頭、8頭と少しずつ減り続け、昨2017年はついに1頭になった。
産駒が競走年齢の2歳に達した2016年7月にライフラインが初出走したのを皮切りに、2018年2月11日までにJRAで15頭が75戦し、3頭が計5勝を挙げている。オウケンムーンがこのうち3勝。残りの2勝はプリモガナドール(牝4歳、栗東・本田優厩舎)とドラゴンハート(牡3歳、美浦・小西一男厩舎)がそれぞれ1勝したものだ。そんな数少ない産駒の中から重賞勝ち馬が出現したのは幸いだった。オウケンムーン、オウケンブルースリの馬主である福井明さんは共同通信杯のレース後、「この勝利でオウケンブルースリの種付けが増えることになればいい」と話した。
オウケンムーンの父系をさかのぼると、父はオウケンブルースリで、その父はジャングルポケットとなる。2001年のダービーを制したジャングルポケットは同年秋のジャパンカップでも優勝し、日本産の3歳馬として史上初めてのジャパンカップ制覇を果たした。2002年の有馬記念を最後に現役を引退するまで13戦5勝の成績を残した。
その5勝のうちの1勝が共同通信杯である。3戦2勝。すでに重賞の札幌3歳S(現札幌2歳S)のタイトルを持っていたジャングルポケットは1番人気の支持を受け、2着以下に2馬身差をつける内容で通算3勝目を挙げた。
ジャングルポケットとオウケンムーン。17年後に孫が祖父と同じ重賞レースを制したことになる。
父子3代同一重賞制覇としてはメジロアサマ→メジロティターン→メジロマックイーンの天皇賞の例が有名だが、このように祖父と孫は勝っているが、間に入った父は勝てなかった、出走していなかったという例はあるのだろうか。懸命に調べた結果、共同通信杯以外のケースを2例見つけることができた。
1件目はAJC杯だった。1982、83年に2連覇したアンバーシャダイが息子のメジロライアンを挟んで1998年にメジロブライトの優勝に結びつけたケース。もう1件は有馬記念で、1998、99年に連覇したグラスワンダー(USA)がスクリーンヒーローを挟んで2015年の優勝馬ゴールドアクターにつないだ例。手作業であるし、古いレースは調べ切れなかったので完全とはいえないが、以上の2例は確かにオウケンムーンと同じパターンだった。
オウケンムーンの例でいうと、ジャングルポケットは共同通信杯、ダービー、ジャパンカップと東京競馬場では3戦して3勝と抜群の相性の良さを見せていた。その息子オウケンブルースリは2009年のジャパンカップで2着に健闘したことはあるものの、東京競馬場では9戦して未勝利だった。オウケンムーンが初出走の東京競馬場を苦にしなかったのは祖父から受け継いだ「隔世遺伝」なのかもしれない。
アンバーシャダイ→メジロライアン→メジロブライト、グラスワンダー→スクリーンヒーロー→ゴールドアクターの二つのケースではいずれも父子3代とも同じレースに挑んでいるが、真ん中に挟まれた2代目だけはタイトルに届いていない。
メジロライアンは1992年のAJC杯で1番人気に支持された。前年の宝塚記念で初のGⅠ勝利を飾っていた。だがAJC杯では逃げたトウショウファルコを捉えることができず、まさかの6着に終わった。スクリーンヒーローもジャパンカップを制した勢いで2008年の有馬記念に臨んだが、こちらもダイワスカーレットの逃げ足の前に本領を発揮することができず、5着という成績だった。
テスコボーイ(GB)やノーザンテースト(CAN)、サンデーサイレンス(USA)など外国産種牡馬が長くリーディングサイアーとして君臨した日本の競馬界だが、近年は内国産種牡馬が上位を占める。内国産馬がつなぐオウケンムーンのようなケースは今後増えていくと予想される。
2008年の菊花賞馬オウケンブルースリだが、産駒は数少ない。種牡馬1年目の2013年には23頭に種付けし、翌年13頭が誕生した。その後の種付頭数は12頭、9頭、8頭と少しずつ減り続け、昨2017年はついに1頭になった。
産駒が競走年齢の2歳に達した2016年7月にライフラインが初出走したのを皮切りに、2018年2月11日までにJRAで15頭が75戦し、3頭が計5勝を挙げている。オウケンムーンがこのうち3勝。残りの2勝はプリモガナドール(牝4歳、栗東・本田優厩舎)とドラゴンハート(牡3歳、美浦・小西一男厩舎)がそれぞれ1勝したものだ。そんな数少ない産駒の中から重賞勝ち馬が出現したのは幸いだった。オウケンムーン、オウケンブルースリの馬主である福井明さんは共同通信杯のレース後、「この勝利でオウケンブルースリの種付けが増えることになればいい」と話した。
オウケンムーンの父系をさかのぼると、父はオウケンブルースリで、その父はジャングルポケットとなる。2001年のダービーを制したジャングルポケットは同年秋のジャパンカップでも優勝し、日本産の3歳馬として史上初めてのジャパンカップ制覇を果たした。2002年の有馬記念を最後に現役を引退するまで13戦5勝の成績を残した。
その5勝のうちの1勝が共同通信杯である。3戦2勝。すでに重賞の札幌3歳S(現札幌2歳S)のタイトルを持っていたジャングルポケットは1番人気の支持を受け、2着以下に2馬身差をつける内容で通算3勝目を挙げた。
ジャングルポケットとオウケンムーン。17年後に孫が祖父と同じ重賞レースを制したことになる。
父子3代同一重賞制覇としてはメジロアサマ→メジロティターン→メジロマックイーンの天皇賞の例が有名だが、このように祖父と孫は勝っているが、間に入った父は勝てなかった、出走していなかったという例はあるのだろうか。懸命に調べた結果、共同通信杯以外のケースを2例見つけることができた。
1件目はAJC杯だった。1982、83年に2連覇したアンバーシャダイが息子のメジロライアンを挟んで1998年にメジロブライトの優勝に結びつけたケース。もう1件は有馬記念で、1998、99年に連覇したグラスワンダー(USA)がスクリーンヒーローを挟んで2015年の優勝馬ゴールドアクターにつないだ例。手作業であるし、古いレースは調べ切れなかったので完全とはいえないが、以上の2例は確かにオウケンムーンと同じパターンだった。
オウケンムーンの例でいうと、ジャングルポケットは共同通信杯、ダービー、ジャパンカップと東京競馬場では3戦して3勝と抜群の相性の良さを見せていた。その息子オウケンブルースリは2009年のジャパンカップで2着に健闘したことはあるものの、東京競馬場では9戦して未勝利だった。オウケンムーンが初出走の東京競馬場を苦にしなかったのは祖父から受け継いだ「隔世遺伝」なのかもしれない。
アンバーシャダイ→メジロライアン→メジロブライト、グラスワンダー→スクリーンヒーロー→ゴールドアクターの二つのケースではいずれも父子3代とも同じレースに挑んでいるが、真ん中に挟まれた2代目だけはタイトルに届いていない。
メジロライアンは1992年のAJC杯で1番人気に支持された。前年の宝塚記念で初のGⅠ勝利を飾っていた。だがAJC杯では逃げたトウショウファルコを捉えることができず、まさかの6着に終わった。スクリーンヒーローもジャパンカップを制した勢いで2008年の有馬記念に臨んだが、こちらもダイワスカーレットの逃げ足の前に本領を発揮することができず、5着という成績だった。
テスコボーイ(GB)やノーザンテースト(CAN)、サンデーサイレンス(USA)など外国産種牡馬が長くリーディングサイアーとして君臨した日本の競馬界だが、近年は内国産種牡馬が上位を占める。内国産馬がつなぐオウケンムーンのようなケースは今後増えていくと予想される。