第5コーナー ~競馬余話~
第86回 「早熟」
2018.05.13
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旧聞に属するが、日本時間の4月1日、海の向こうとこちら側で2頭の4歳馬が明暗を分けた。
昨年の日本ダービー優勝馬レイデオロ(牡4歳、美浦・藤沢和雄厩舎)はアラブ首長国連邦ドバイのメイダン競馬場で行われたドバイシーマクラシック(GⅠ、芝2410㍍)に出走し、4着に終わった。レースはホークビルが先手を奪って、スローペースの流れとなり、そのままホークビルが先頭でゴールした。展開に恵まれず、レイデオロは本来の力を出せずじまいだった。
レイデオロには、日本ダービー馬史上初の海外GⅠ勝利という快挙を期待していた。だが、今回も宿題は宿題のまま残された。
初めて海を渡った日本ダービー馬はハクチカラだ。1956年にダービーを制したハクチカラは5歳になった1958年に米国に渡った。5戦目までは日本から一緒に米国入りした保田隆芳騎手が手綱を取ってレースに挑んだが2度最下位になるなど苦戦した。翌年も米国に残ったハクチカラは2月23日、サンタアニタパーク競馬場でワシントンバースデイHに出走し、ついに優勝した。渡米11戦目の快挙だった。しかしワシントンバースデイHは、GⅠ級とはいえなかった。
日本ダービー馬はハクチカラ以降も海外遠征を繰り返した。シンボリルドルフ(1984年優勝)、シリウスシンボリ(1985年)、ディープインパクト(2005年)、メイショウサムソン(2006年)、ウオッカ(2007年)。エイシンフラッシュ(2010年)以降はオルフェーヴル(2011年)、ディープブリランテ(2012年)、キズナ(2013年)、ワンアンドオンリー(2014年)、ドゥラメンテ(2015年)、マカヒキ(2016年)、レイデオロ(2017年)と連続して8頭の日本ダービー馬が海を渡った。
ゴール寸前でソレミアに差された凱旋門賞のオルフェーヴルや、蹄鉄が一つない状態で2着になったドバイシーマクラシックのドゥラメンテなど勝ちに等しい内容のレースもあった。日本ダービーというビッグタイトルに甘んじることなく、果敢に世界へ挑んでいる姿勢は尊敬に値するが、まだGⅠ制覇という夢には届いていない。
レイデオロがドバイで敗れた数時間後、阪神競馬場ではスワーヴリチャード(牡4歳、栗東・庄野靖志厩舎)が大阪杯を制し、初のGⅠタイトルを手にした。昨年のダービーではレイデオロの後塵を拝し、4分の3馬身差の2着に終わった。
夏を休養に充てたスワーヴリチャードは復帰初戦のアルゼンチン共和国杯を快勝すると、有馬記念で4着となり、年明けの金鯱賞で通算4勝目を挙げた。そして迎えた大阪杯で見事栄冠をつかんだ。
ダービー2着馬はその悔しさをバネにするかのように頑張る。
1990年以降のダービー馬とダービー2着馬の成績を調べると、その傾向は明らかだ。ダービーの後にGⅠレースを勝ったダービー馬はトウカイテイオー、ナリタブライアン、スペシャルウィーク、ジャングルポケット、ディープインパクト、メイショウサムソン、ウオッカ、オルフェーヴル、エイシンフラッシュの9頭なのに対し、ダービー2着馬はメジロライアン、レオダーバン、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ダンスインザダーク、ジェニュイン、シルクジャスティス、ナリタトップロード、エアシャカール、ダンツフレーム、シンボリクリスエス(USA)、ゼンノロブロイ、ハーツクライ、アサクサキングス、ローズキングダム、フェノーメノ、エピファネイア、サトノダイヤモンド、そしてスワーヴリチャードと19頭を数える。勝利数もダービー馬の25勝に対し、31勝とダービー2着馬の方が上回る。
人ならば「ダービー」というタイトルの重みに押しつぶされ、不振に陥ることも考えられるが、競走馬でも同じなのだろうか。僕個人の考えでは、3歳5月の時点の1着と2着の差は成長度の差だと思っている。ダービーを勝つためにはライバルよりも早熟であることが必要なのだろう。そうでなければ、ダービー馬がいまだに海外GⅠを勝っていないことをうまく説明することはできない。
昨年の日本ダービー優勝馬レイデオロ(牡4歳、美浦・藤沢和雄厩舎)はアラブ首長国連邦ドバイのメイダン競馬場で行われたドバイシーマクラシック(GⅠ、芝2410㍍)に出走し、4着に終わった。レースはホークビルが先手を奪って、スローペースの流れとなり、そのままホークビルが先頭でゴールした。展開に恵まれず、レイデオロは本来の力を出せずじまいだった。
レイデオロには、日本ダービー馬史上初の海外GⅠ勝利という快挙を期待していた。だが、今回も宿題は宿題のまま残された。
初めて海を渡った日本ダービー馬はハクチカラだ。1956年にダービーを制したハクチカラは5歳になった1958年に米国に渡った。5戦目までは日本から一緒に米国入りした保田隆芳騎手が手綱を取ってレースに挑んだが2度最下位になるなど苦戦した。翌年も米国に残ったハクチカラは2月23日、サンタアニタパーク競馬場でワシントンバースデイHに出走し、ついに優勝した。渡米11戦目の快挙だった。しかしワシントンバースデイHは、GⅠ級とはいえなかった。
日本ダービー馬はハクチカラ以降も海外遠征を繰り返した。シンボリルドルフ(1984年優勝)、シリウスシンボリ(1985年)、ディープインパクト(2005年)、メイショウサムソン(2006年)、ウオッカ(2007年)。エイシンフラッシュ(2010年)以降はオルフェーヴル(2011年)、ディープブリランテ(2012年)、キズナ(2013年)、ワンアンドオンリー(2014年)、ドゥラメンテ(2015年)、マカヒキ(2016年)、レイデオロ(2017年)と連続して8頭の日本ダービー馬が海を渡った。
ゴール寸前でソレミアに差された凱旋門賞のオルフェーヴルや、蹄鉄が一つない状態で2着になったドバイシーマクラシックのドゥラメンテなど勝ちに等しい内容のレースもあった。日本ダービーというビッグタイトルに甘んじることなく、果敢に世界へ挑んでいる姿勢は尊敬に値するが、まだGⅠ制覇という夢には届いていない。
レイデオロがドバイで敗れた数時間後、阪神競馬場ではスワーヴリチャード(牡4歳、栗東・庄野靖志厩舎)が大阪杯を制し、初のGⅠタイトルを手にした。昨年のダービーではレイデオロの後塵を拝し、4分の3馬身差の2着に終わった。
夏を休養に充てたスワーヴリチャードは復帰初戦のアルゼンチン共和国杯を快勝すると、有馬記念で4着となり、年明けの金鯱賞で通算4勝目を挙げた。そして迎えた大阪杯で見事栄冠をつかんだ。
ダービー2着馬はその悔しさをバネにするかのように頑張る。
1990年以降のダービー馬とダービー2着馬の成績を調べると、その傾向は明らかだ。ダービーの後にGⅠレースを勝ったダービー馬はトウカイテイオー、ナリタブライアン、スペシャルウィーク、ジャングルポケット、ディープインパクト、メイショウサムソン、ウオッカ、オルフェーヴル、エイシンフラッシュの9頭なのに対し、ダービー2着馬はメジロライアン、レオダーバン、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ダンスインザダーク、ジェニュイン、シルクジャスティス、ナリタトップロード、エアシャカール、ダンツフレーム、シンボリクリスエス(USA)、ゼンノロブロイ、ハーツクライ、アサクサキングス、ローズキングダム、フェノーメノ、エピファネイア、サトノダイヤモンド、そしてスワーヴリチャードと19頭を数える。勝利数もダービー馬の25勝に対し、31勝とダービー2着馬の方が上回る。
人ならば「ダービー」というタイトルの重みに押しつぶされ、不振に陥ることも考えられるが、競走馬でも同じなのだろうか。僕個人の考えでは、3歳5月の時点の1着と2着の差は成長度の差だと思っている。ダービーを勝つためにはライバルよりも早熟であることが必要なのだろう。そうでなければ、ダービー馬がいまだに海外GⅠを勝っていないことをうまく説明することはできない。