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第139回 「女王」

2022.10.12
 2022年9月8日、英国のエリザベス女王が亡くなった。96歳だった。競馬を愛した女王の崩御は競馬界の大きな損失だ。
 一度だけ女王をこの目で見たことがある。それは2003年3月、英国チェルトナム競馬場でのことだった。その日、チェルトナム競馬場では、クイーンマザーの銅像が完成し、除幕式が行われた。クイーンマザーはエリザベス女王の母。僕が見たのは除幕式に出席したエリザベス女王だった。馬主であり、生産者でもあるエリザベス女王が平地競馬に力を注いだのに対し、クイーンマザーは障害レースを愛好した。チェルトナム競馬場は障害専用の競馬場。その前年に101歳で亡くなったクイーンマザーの功績を称え、この場に銅像が建てられた。

 英国王室と競馬の関係は想像以上に深い。この時の英国滞在中、僕はエリザベス女王が競走馬を生産しているロイヤルスタッドを訪れた。王室の牧場なので入場は難しいのかと思っていたが、訪問したい旨のメールを出すと、歓迎するという返事が届いた。いそいそと出かけ、見学させてもらった。当時は種牡馬が1頭いて、繁殖牝馬が20頭ちかくいた。

 エリザベス女王の持ち馬は英クラシック5レースのうち4レースを制している。最初のタイトルは1957年のオークスで、カロッツァが優勝した。翌1958年にはポールモールが2000ギニーを制した。1974年にハイクレアが1000ギニーで勝ち、フランスに遠征して仏オークスでも1着になった。1977年にはダンファームリンがオークスとセントレジャーの変則2冠に輝いた。

 唯一勝てなかったのがダービーだった。1953年のオリオールがピンザの2着になったのが最良の成績である。

 オリオールは4歳になって本格化。キングジョージ6世&クイーンエリザベスSをはじめ、この年、5戦4勝の成績を残し、翌年から種牡馬になった。オリオール産駒は日本にも輸入され、実績を残した。その代表馬がセントクレスピン(GB)だ。凱旋門賞やエクリプスSを制したセントクレスピンは父としてタイテエム(天皇賞・春)、エリモジョージ(天皇賞・春、宝塚記念)を送り出した。

 エリザベス女王の持ち馬でもっとも日本に影響を与えたのは1000ギニー優勝馬の牝馬ハイクレアだ。

 孫娘のウインドインハーヘア(IRE)は1994年の英オークスで2着になった実力の持ち主だった。1995年にはドイツのGⅠアラルポカルで優勝した。面白いのは唯一のGⅠタイトルをとったこの時に妊娠していたことだ。どうして、こんなことになるのか日本のルールでは想像もできないが、翌年の春に牝馬を出産しているから間違いない。

 日本に輸入されたウインドインハーヘアは2002年、サンデーサイレンス(USA)との間に小柄な牡馬を出産した。「ウインドインハーヘアの2002」はセレクトセールに上場され、7,000万円で落札された。のちのディープインパクトである。通算14戦12勝。うちGⅠ7勝。史上最強の名をほしいままにし、引退後、種牡馬になってからも期待通りの大活躍。2012年から2021年まで中央競馬のリーディングサイアーを守り続け、2022年も9月11日現在、トップを走る。もしエリザベス女王が競馬好きでなかったら、ハイクレアは生まれず、ディープインパクトも存在していなかった。

 ハイクレアの牝系はディープインパクトばかりでなく、ダービー馬レイデオロ、NHKマイルカップを制したウインクリューガー、帝王賞優勝のゴルトブリッツなども送り出し、日本の競馬にフィットした。7月のアイビスサマーダッシュに優勝し、7歳で重賞初制覇を果たしたビリーバーも6代母にハイクレアを持つ血統だ。

 5つある英クラシックレースのうち、エリザベス女王が唯一勝てなかったのがダービーだったと書いた。

 オリオールが2着になった以外にも大きな優勝チャンスを逃している。それはやはりハイクレアと関係があった。

 1979年にハイクレアはバスティノとの間に牝馬ハイトオブファッションを産んだ。ハイトオブファッションは女王の持ち馬として走った。騎乗したことのあるウィリー・カーソン元騎手によると、脚の長い、顔の大きな馬だったという。素晴らしいストライドで走る能力の高い牝馬だったとも語っている。GⅠ勝ちこそないが、重賞3勝を挙げる活躍をし、3歳で引退した。

 才能あふれるハイトオブファッションに目を付けたのがアラブ首長国連邦ドバイのハムダン殿下だった。ハイトオブファッションの購入を申し入れた。言い値は120万ポンドだったといわれる。当時の1ポンドは350円ほど。邦貨にすると4億円ほどだった。女王側はハムダン殿下の申し込みを受け入れ、ハイトオブファッションを手放した。

 ハイトオブファッションの3番子はブラッシンググルーム(FR)との間に生まれた牡馬だった。ナシュワンと名付けられた栗毛馬はデビューから白星街道を歩み続けた。3戦全勝で3冠の第一関門、英2000ギニーを制し、迎えた4戦目が英ダービーだった。1番人気に支持されたナシュワンは2着に5馬身差をつけ圧勝した。

 もしハイトオブファッションを手放さなければ、女王はダービー優勝という栄誉を手にしたかもしれない。歴史によくある「もし」だ。
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