烏森発牧場行き
第283便 ヌマさんのなみだ
2018.07.13
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5月の初めだったか、晴れた日の夕方、ピンポーンと玄関が鳴って出てみると、植木屋のヌマさんが笑い顔で立っていた。七十歳。まだ元気に仕事している。私とはウインズ横浜の古い仲間で、去年の暮れには、私の家の小さな庭もやってもらった。横浜の戸塚の造園会社に勤めている。
「こっちに現場があってさ、帰り道に通りかかったもんで寄らしてもらった。急で悪いと思ったけど、顔見て行こうかなって」
「車だよね。ビールはダメだな」
「すぐ帰る」
「そんなこと言わないで、せっかく来たんだから、お茶の一杯、のんで行ってよ」
「ありがと」
というわけでヌマさん、靴をぬいだ。
「飽きずに馬券をやってさ、タラレバばっかり食ってるのに、もうお手上げってことにならねえのはどういうわけ?それをのんだら競馬ぎらいになるクスリがあったらいいね」
「売れないよ。競馬好きはさ、タラレバが好きなんだから」
と私が笑い、ヌマさんも笑った。
爪楊枝で羊羹を割りながら、
「わたしね、昨夜、寝酒をのみながら思ったんだ。競馬をおぼえて十年ちょっと、競馬場に何度か行ったけど、死ぬまでに一度は、ダービーの日にいってみたいなあって」
「一緒に行くかい?」
と私が言い、ヌマさんがうれしそうな顔になった。
5月27日、快晴。ヌマさんと一緒に東京競馬場へ行った。
「わたし、六月に七十一になるの。いやあ、七十歳の記念にダービーの日の競馬場に来たっていうのは最高だ」
というのが競馬場に入って足を少し止め、人であふれるスタンドの景色を眺めながらのヌマさんの言葉だ。
「おれは何人かと会わねばならない約束があるし、最終レースのあとに会うまで、ひとりでうろうろしてよ」
と電車で私はヌマさんに言っておいた。
あとで会う場所をヌマさんと決め、まだ人と会う約束まで1時間あったので、
「この府中の競馬場で、来ると必ず行くおれの好きな場所がふたつあるの。そこ、見てくれる」
と私は言い、先ずメモリアルスタンド4階の、ガラスごしに道路をへだてた装鞍所の景色をヌマさんに見せた。
「ここで馬が鞍をつけて、それからパドックへ行くわけ。この景色がおれの好きな絵なんだ。この絵を見ないと、競馬場に来た気がしない」
と私はヌマさんにそこを見せ、次にベンチが並んでいる外のケヤキ並木へと移った。
「ここのベンチで、ちょいとぼんやりするのが好きなんだ」
と私は言い、ダービーの日なので空いているベンチはなく、私とヌマさんはそこで別れた。
自分の好きなものとして、装鞍所とケヤキ並木のベンチを案内するのは、ヌマさんにとって余計なことかもしれないが、おれの人とのつきあい方だから許してよ、とひとりになってから私は思った。
ダービーのあと会ったヌマさんは、
「馬券はダメだったけど、スタート前の手拍手をナマで聞いて感激したよ。1階の人ごみでレースはよく見えなかったけど、叫び声のなかにいて感激した」
そう言い、感激したというヌマさんに私は感激した。
6月3日、安田記念の日の夜、ヌマさんが電話をしてきて、
「アタっちゃったの、安田記念。それも馬単。たまげた。500円だけど、1万5,290円ついたから、気が変になった。たまげた。頭も身体もシビれた」
と言うのだ。
「よく買えたね、モズアスコット。凄い」
「GIレースでルメールがさ、人気のない馬に乗るなんてあんまりないことだから、それが穴だって思ったわけさ」
「そう思ったのが凄いよ。ほんと、その発想、凄いよ」
「相談があるの」
「何?」
「ほら、よく、大レースを勝ったらホテルでパーティーとかやるって話を聞くけど、あのさ、わたしの穴馬券なんて、そういう人たちからしたらチッポケなことかもしれないけど、わたしにしたら大事件で、馬の仲間で乾杯をしたいって思ったわけなんだ」
「いいね、いいね」
「でね、リョウさんにも来てほしいわけよ。うちの近くの居酒屋で、わたしのおごりで、わたしにしたらパーティーをしたいの」
「ヌマさん、凄いよ」
と私が言った。
6月6日、水曜日、横浜市戸塚の居酒屋で、ヌマさん、私、七十七歳のオグラさん、七十四歳のハヤシさん、六十九歳のイケダさんがテーブルを囲んだ。オグラさんもハヤシさんもイケダさんも、みんながヌマさんとウインズ横浜の仲間である。
「まず乾杯をする前に、ひとこと、ヌマさんのごあいさつ」
そう私が言い、ヌマさんがビールのグラスを持ったまま、少し黙った。
「生きてるうちに、おれ、一度は、馬券でこういうことをしてみたかった。なんだか、うれしくて、うれしくて」
と言ってヌマさんの言葉がつまり、ずいぶん黙ってしまったヌマさんの目に涙がたまっている。
それを見て私も涙ぐんでしまい、その私を見たハヤシさんも涙ぐんでしまい、
「かんぱい」
とやっと口にしたヌマさんのグラスに、四つのグラスが集まってきた。
「泣けるよなあ」
とイケダさんが言い、
「いやあ、すばらしい晩だ」
とオグラさんが言った。
「こっちに現場があってさ、帰り道に通りかかったもんで寄らしてもらった。急で悪いと思ったけど、顔見て行こうかなって」
「車だよね。ビールはダメだな」
「すぐ帰る」
「そんなこと言わないで、せっかく来たんだから、お茶の一杯、のんで行ってよ」
「ありがと」
というわけでヌマさん、靴をぬいだ。
「飽きずに馬券をやってさ、タラレバばっかり食ってるのに、もうお手上げってことにならねえのはどういうわけ?それをのんだら競馬ぎらいになるクスリがあったらいいね」
「売れないよ。競馬好きはさ、タラレバが好きなんだから」
と私が笑い、ヌマさんも笑った。
爪楊枝で羊羹を割りながら、
「わたしね、昨夜、寝酒をのみながら思ったんだ。競馬をおぼえて十年ちょっと、競馬場に何度か行ったけど、死ぬまでに一度は、ダービーの日にいってみたいなあって」
「一緒に行くかい?」
と私が言い、ヌマさんがうれしそうな顔になった。
5月27日、快晴。ヌマさんと一緒に東京競馬場へ行った。
「わたし、六月に七十一になるの。いやあ、七十歳の記念にダービーの日の競馬場に来たっていうのは最高だ」
というのが競馬場に入って足を少し止め、人であふれるスタンドの景色を眺めながらのヌマさんの言葉だ。
「おれは何人かと会わねばならない約束があるし、最終レースのあとに会うまで、ひとりでうろうろしてよ」
と電車で私はヌマさんに言っておいた。
あとで会う場所をヌマさんと決め、まだ人と会う約束まで1時間あったので、
「この府中の競馬場で、来ると必ず行くおれの好きな場所がふたつあるの。そこ、見てくれる」
と私は言い、先ずメモリアルスタンド4階の、ガラスごしに道路をへだてた装鞍所の景色をヌマさんに見せた。
「ここで馬が鞍をつけて、それからパドックへ行くわけ。この景色がおれの好きな絵なんだ。この絵を見ないと、競馬場に来た気がしない」
と私はヌマさんにそこを見せ、次にベンチが並んでいる外のケヤキ並木へと移った。
「ここのベンチで、ちょいとぼんやりするのが好きなんだ」
と私は言い、ダービーの日なので空いているベンチはなく、私とヌマさんはそこで別れた。
自分の好きなものとして、装鞍所とケヤキ並木のベンチを案内するのは、ヌマさんにとって余計なことかもしれないが、おれの人とのつきあい方だから許してよ、とひとりになってから私は思った。
ダービーのあと会ったヌマさんは、
「馬券はダメだったけど、スタート前の手拍手をナマで聞いて感激したよ。1階の人ごみでレースはよく見えなかったけど、叫び声のなかにいて感激した」
そう言い、感激したというヌマさんに私は感激した。
6月3日、安田記念の日の夜、ヌマさんが電話をしてきて、
「アタっちゃったの、安田記念。それも馬単。たまげた。500円だけど、1万5,290円ついたから、気が変になった。たまげた。頭も身体もシビれた」
と言うのだ。
「よく買えたね、モズアスコット。凄い」
「GIレースでルメールがさ、人気のない馬に乗るなんてあんまりないことだから、それが穴だって思ったわけさ」
「そう思ったのが凄いよ。ほんと、その発想、凄いよ」
「相談があるの」
「何?」
「ほら、よく、大レースを勝ったらホテルでパーティーとかやるって話を聞くけど、あのさ、わたしの穴馬券なんて、そういう人たちからしたらチッポケなことかもしれないけど、わたしにしたら大事件で、馬の仲間で乾杯をしたいって思ったわけなんだ」
「いいね、いいね」
「でね、リョウさんにも来てほしいわけよ。うちの近くの居酒屋で、わたしのおごりで、わたしにしたらパーティーをしたいの」
「ヌマさん、凄いよ」
と私が言った。
6月6日、水曜日、横浜市戸塚の居酒屋で、ヌマさん、私、七十七歳のオグラさん、七十四歳のハヤシさん、六十九歳のイケダさんがテーブルを囲んだ。オグラさんもハヤシさんもイケダさんも、みんながヌマさんとウインズ横浜の仲間である。
「まず乾杯をする前に、ひとこと、ヌマさんのごあいさつ」
そう私が言い、ヌマさんがビールのグラスを持ったまま、少し黙った。
「生きてるうちに、おれ、一度は、馬券でこういうことをしてみたかった。なんだか、うれしくて、うれしくて」
と言ってヌマさんの言葉がつまり、ずいぶん黙ってしまったヌマさんの目に涙がたまっている。
それを見て私も涙ぐんでしまい、その私を見たハヤシさんも涙ぐんでしまい、
「かんぱい」
とやっと口にしたヌマさんのグラスに、四つのグラスが集まってきた。
「泣けるよなあ」
とイケダさんが言い、
「いやあ、すばらしい晩だ」
とオグラさんが言った。