烏森発牧場行き
第295便 エポワスおじさん
2019.07.12
Tweet
第86回ダービーは浜中俊騎乗の12番人気、単勝9,310円のロジャーバローズが勝った。私は地下での、勝利騎手の共同記者会見場にいて、
「3年前に亡くなったおじいちゃんに、今日の日を見せたかった」
とそれまで笑顔だったのに、突然のように祖父のことを言って泣きだした浜中騎手を見ていて、ロジャーバローズが先頭でゴールポストを通過したシーンがよみがえり、ああ、今年も、生きていて、ダービーの日の競馬場にいて幸せだな、と自分に言った。
その2日後の夕方、
「今さ、喫茶店に座って新聞をひろげたら、リョウさんの写真が出てきたんでびっくりした」
とエポワスおじさんがケイタイをかけてきた。
5月28日から6月1日までの5日間、夕刊紙「日刊ゲンダイ」の、「喜怒哀楽のサラリーマン時代」という連載読みものに、「競馬作家吉川良さん82歳」が載るのだった。
「はずかしいよ」
と私が言い、
「バーテンやりながら放浪してたんだね」
とエポワスおじさんが言った。
読みものの話が済んだあと、
「6月1日、場外に来る?」
「中学1年の孫の運動会へ行くんで、ウインズお休み。10年もいた京都から東京へ引越したばかりの孫なので、見に行く約束をしたの」
「夜は?夜もつかまってる?」
「何かあるの?」
「いやあ、おれ、誕生日で、リョウさんと酒のめたら、うれしいなと思って」
という会話になった。
6月1日、運動会のあとの孫や娘たちと新宿で食事した私は、ちょいとキザなことをやってやれと、電車を乗りかえる品川駅で赤いバラの花を10本買い、7時30分に会うという約束の、京浜急行空港線の穴守稲荷駅へ向かった。
本名は島田友治だが、私はエポワスおじさんという別名をつけた。2017年8月27日の札幌のキーンランドカップで、島田さんは13頭立て12番人気エポワスと、2番人気ソルヴェイグとの馬単⑧-⑪、1万3,640円を300円持っていて、そのときウインズでいっしょの男が3人、野毛の中華料理店でごちそうになった。
「9歳の騙馬だけど、藤沢和雄厩舎でルメールが乗ってブービー人気は狙っておもしろいと思ったんだ。一生に一度のおれの冴えだよ。エポワス、死ぬまで忘れないね」
と言う島田さんのセリフが私には忘れがたく、エポワスおじさんと呼びたくなったのだった。
穴守稲荷駅の改札口にいたエポワスおじさんは、すでに酔っぱらいの赤ら顔で、
「リョウさん、すみません、ありがとう。おれなんかの誕生日なんてクソみたいなもんなのに、いやあ、老体にムチ打って、穴守稲荷まで来てくれるなんて」
そう言ってエポワスおじさんは、泣きそうな顔で私に握手をしてきた。
「なんのなんの。じいさん、声がかかるとうれしいんだ」
私がバラの花束を渡すと、
「おお、おれ、こんなのもらうの、生まれて初めてだ」
とエポワスおじさんはのけぞるようにして、花束を夜空へ見せつけた。
エポワスおじさんの家は駅から近かった。仏壇のある居間に酒や食べものが並び、エポワスおじさんと大工仲間の、40歳の久保くんがいた。
「中華料理屋で飲んだとき、じいさんの左官屋さんがいたよね」
と私が言い、
「左官のじいさん、去年、死んだ」
と久保くんが言った。
「かみさんにあげていいかなあ」
そう言いながらエポワスおじさんは、花瓶にさしたバラを、妻の遺影のある仏壇に供えた。
「何歳の誕生日?」
私が聞き、
「63」
エポワスおじさんが答え、
「ぼくの父親と同じ年なんです。ぼくの父親は会社を定年になってうろうろしてるけど、島田さんはぼくらと変わらずに仕事してる」
と久保くんが言った。
「おれね、誕生日にね、リョウさんに来てほしいと思ったのは、競馬に関係ない、別のことなんだ。かなりショックなことがあって、それを聞いてほしくなったわけ。
おれ、若いときから、仕事がちゃんと出来れば、あとは自分の意見をストレートに言っていいのだと思ってきたの。
どんな地位にいる人にたいしても、それは間違いだと思えば、違うんじゃないですかと言うし、若い職人たちにも、仕事でも人のつきあいでも、手を抜くなよって言ってきた。
それがね、最近、島田ってひと、グチばっかり言ってるって言われてるらしいんだ。
おれとしてはちゃんと意見を言ってるつもりだけど、その意見がグチだというんだな。
なんだかイやな時代だなあ。なんだかさびしい時代だなあって、おれ、そういう気持ちを誰かに聞いてほしくなってる。何か喋ると、またグチを言ってると思われそうで怖いの。
で、リョウさんに、誕生日に来てほしかった」
とエポワスおじさんは一生懸命な顔になって喋った。
「島田さんはホントのことを言うんだよな」
と久保くんがひとりごとのように言った。
「情報化時代というか、ネット時代というか、誰もがスマホという麻薬常習者。そんな変化に、おれとか島田友治はついていけない。仕方ないからウインズで馬券やって、なぐさめあっていこうじゃないかってこと。
島田友治はエポワスなんだ。9歳の騙馬で、13頭立ての12番人気で、それでもしっかり走って、初めて重賞レースを勝った。
島田さんも久保くんもおれも、エポワスを忘れないで生きていこう。エポワスおじさん、乾杯!」
と私は声をはりあげた。
「3年前に亡くなったおじいちゃんに、今日の日を見せたかった」
とそれまで笑顔だったのに、突然のように祖父のことを言って泣きだした浜中騎手を見ていて、ロジャーバローズが先頭でゴールポストを通過したシーンがよみがえり、ああ、今年も、生きていて、ダービーの日の競馬場にいて幸せだな、と自分に言った。
その2日後の夕方、
「今さ、喫茶店に座って新聞をひろげたら、リョウさんの写真が出てきたんでびっくりした」
とエポワスおじさんがケイタイをかけてきた。
5月28日から6月1日までの5日間、夕刊紙「日刊ゲンダイ」の、「喜怒哀楽のサラリーマン時代」という連載読みものに、「競馬作家吉川良さん82歳」が載るのだった。
「はずかしいよ」
と私が言い、
「バーテンやりながら放浪してたんだね」
とエポワスおじさんが言った。
読みものの話が済んだあと、
「6月1日、場外に来る?」
「中学1年の孫の運動会へ行くんで、ウインズお休み。10年もいた京都から東京へ引越したばかりの孫なので、見に行く約束をしたの」
「夜は?夜もつかまってる?」
「何かあるの?」
「いやあ、おれ、誕生日で、リョウさんと酒のめたら、うれしいなと思って」
という会話になった。
6月1日、運動会のあとの孫や娘たちと新宿で食事した私は、ちょいとキザなことをやってやれと、電車を乗りかえる品川駅で赤いバラの花を10本買い、7時30分に会うという約束の、京浜急行空港線の穴守稲荷駅へ向かった。
本名は島田友治だが、私はエポワスおじさんという別名をつけた。2017年8月27日の札幌のキーンランドカップで、島田さんは13頭立て12番人気エポワスと、2番人気ソルヴェイグとの馬単⑧-⑪、1万3,640円を300円持っていて、そのときウインズでいっしょの男が3人、野毛の中華料理店でごちそうになった。
「9歳の騙馬だけど、藤沢和雄厩舎でルメールが乗ってブービー人気は狙っておもしろいと思ったんだ。一生に一度のおれの冴えだよ。エポワス、死ぬまで忘れないね」
と言う島田さんのセリフが私には忘れがたく、エポワスおじさんと呼びたくなったのだった。
穴守稲荷駅の改札口にいたエポワスおじさんは、すでに酔っぱらいの赤ら顔で、
「リョウさん、すみません、ありがとう。おれなんかの誕生日なんてクソみたいなもんなのに、いやあ、老体にムチ打って、穴守稲荷まで来てくれるなんて」
そう言ってエポワスおじさんは、泣きそうな顔で私に握手をしてきた。
「なんのなんの。じいさん、声がかかるとうれしいんだ」
私がバラの花束を渡すと、
「おお、おれ、こんなのもらうの、生まれて初めてだ」
とエポワスおじさんはのけぞるようにして、花束を夜空へ見せつけた。
エポワスおじさんの家は駅から近かった。仏壇のある居間に酒や食べものが並び、エポワスおじさんと大工仲間の、40歳の久保くんがいた。
「中華料理屋で飲んだとき、じいさんの左官屋さんがいたよね」
と私が言い、
「左官のじいさん、去年、死んだ」
と久保くんが言った。
「かみさんにあげていいかなあ」
そう言いながらエポワスおじさんは、花瓶にさしたバラを、妻の遺影のある仏壇に供えた。
「何歳の誕生日?」
私が聞き、
「63」
エポワスおじさんが答え、
「ぼくの父親と同じ年なんです。ぼくの父親は会社を定年になってうろうろしてるけど、島田さんはぼくらと変わらずに仕事してる」
と久保くんが言った。
「おれね、誕生日にね、リョウさんに来てほしいと思ったのは、競馬に関係ない、別のことなんだ。かなりショックなことがあって、それを聞いてほしくなったわけ。
おれ、若いときから、仕事がちゃんと出来れば、あとは自分の意見をストレートに言っていいのだと思ってきたの。
どんな地位にいる人にたいしても、それは間違いだと思えば、違うんじゃないですかと言うし、若い職人たちにも、仕事でも人のつきあいでも、手を抜くなよって言ってきた。
それがね、最近、島田ってひと、グチばっかり言ってるって言われてるらしいんだ。
おれとしてはちゃんと意見を言ってるつもりだけど、その意見がグチだというんだな。
なんだかイやな時代だなあ。なんだかさびしい時代だなあって、おれ、そういう気持ちを誰かに聞いてほしくなってる。何か喋ると、またグチを言ってると思われそうで怖いの。
で、リョウさんに、誕生日に来てほしかった」
とエポワスおじさんは一生懸命な顔になって喋った。
「島田さんはホントのことを言うんだよな」
と久保くんがひとりごとのように言った。
「情報化時代というか、ネット時代というか、誰もがスマホという麻薬常習者。そんな変化に、おれとか島田友治はついていけない。仕方ないからウインズで馬券やって、なぐさめあっていこうじゃないかってこと。
島田友治はエポワスなんだ。9歳の騙馬で、13頭立ての12番人気で、それでもしっかり走って、初めて重賞レースを勝った。
島田さんも久保くんもおれも、エポワスを忘れないで生きていこう。エポワスおじさん、乾杯!」
と私は声をはりあげた。