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第321便 五輪の夏

2021.09.10
 家で、テレビで、オリンピックを見ている。2021年、コロナ禍の夏で、スタンドに客はいない。アスリートたちは、からっぽの客席を見て、どんな気持ちになるだろう。
 私は25メートルぐらいは泳げるけれども、50メートルとなるとキツい。ましてや泳ぎの競争なんてしたことがない。競泳のシーンを見ながら、凄いなと感じながら、でもオレ、競馬が好きで、17歳ぐらいから84歳の今まで、ずうっと見ているのだ、と誰かに言ってる。
 頭の中をヒカルイマイが走る。1971年のダービー馬だ。どうして水泳の試合を見ながら、ヒカルイマイが自分のなかを走るのか分からない。
 私は走れるけれども、ただ走れるだけで、競走などしたことはない。グラウンドを何周も走ったり、100メートルを9秒80とかで走ったりする男や女を見ながら、凄いなと感じながら、すみません、おれ、競馬のレースを見ているほうが好きと思い、そんなことを言わずに、テレビのオリンピックに集中しろよ、と自分を叱る。
 そんな時も、頭の中にエルプスが走ってきた。1985年の桜花賞馬だ。どうしてエルプスが走ってきたのか。自分にもナゾだ。
 テレビでサッカーの試合を見る。どうしたら、あんなふうにボールを蹴れるのか。それにあんなに走りまわったり、相手のボールを奪えるのか、凄いなあと感じながら、でもオレ、サッカーを見ているよりも、競馬のレースを見ているほうが、ドキドキワクワクしてるんだよなあと思い、オグリキャップとバンブーメモリーの、1989年のマイルチャンピオンシップでの、直線での接戦を思いだしている。サッカーを見ている時はサッカーに集中しろよ、と自分に言うのだが、どうしたってオグリキャップとバンブーメモリーが出てきてしまうのだから仕方がない。
 テレビに走り幅跳びや走り高跳びの選手が映る。どうしてそんなふうに飛べるのか。踏切板から8メートルも飛んでみたり、高さ2メートルのバーを背面跳びで越えようとしたり。このオリンピックの日まで、くる日もくる日も練習を重ねてきたのだろうなあ。
 さあ、ファールするなよとか、こちらも緊張しながら、ほとんど突然のように、サクラオンリーが平井雄二の手綱で大竹柵を飛越するシーンが浮かんでくる。1976年12月の中山大障害だなあ。オレ、サクラオンリーという名前が好きだったんだなあ。うーん、1976年は昭和51年。オレ、39歳だよ。オレにも39歳のときがあったんだよ。オレだって、ハジメっからジイさんだったわけじゃないんだ。
 テレビの画面が女子レスリングになって、タックルを狙ったり、相手をかかえて回転させたり。
 どの選手も小学生のときとか中学生のときとかから、オリンピックの選手になるぞと、必死に、遊ばないで練習に練習を重ねてきたのかなあ。そうでなければ、オリンピックでメダルをなんて言えないよね。
 うわあー、姉と妹で金メダルを狙ってるのか。
 ああ、柔道で兄と妹が金メダルを取ったよなあ。そんな凄い家族って、どんな会話をしているのだろう。

 どうしてか私の頭に、シンボリルドルフが浮かんできた。1984年のダービー馬だ。そう、その翌年のダービー馬がシリウスシンボリ。シンボリ牧場の生産馬で、牧場のボスの和田共弘さんがキラキラしてたなあ。
 よく私はシンボリ牧場を訪ねていたが、和田共弘さん、私にコップ酒をふるまってくれた。
 「ヨシカワくんは吉田善哉の子分だから、テキに塩をおくっておかないとねえ」
 と和田共弘さんがコップ酒をサービスしてくれるのだが、どうしてコップ酒だったのだろうか。
 テレビで身体の大きな女がヤリ投げをしている。投げながらもの凄い声を出したりするけれど、けっこう日常生活は静かなんじゃないか。ヤリ投げの選手と恋をして、夕陽の沈みかけた海を眺めたりしてみたいなとか、じいさんのくせにバカなことを考えたりしながら、ウオッカという牝馬、2007年のダービーを勝ったんだよなあと思いだしている。
 ところでウオッカは何番人気だったのか。そう思ったら、どうにも気になって、仕事部屋へ重賞年鑑を見に行った。
四位洋文をダービージョッキーにしたウオッカは3番人気。2着が14番人気の福永祐一が乗ったアサクサキングスで、馬連が5万4,470円、馬単が9万7,890円。
 ああ、そうだった、ダービーのウオッカで3馬身の差をつけたアサクサキングスに、菊花賞では四位洋文が乗って勝ったのだった。
 アサクサキングスは田原源一郎オーナーがセレクトセールで見初めた馬。田原源一郎と慶子夫妻と長いおつきあいのある私は、無念にも天国へ旅立ってしまった田原源一郎が、四位洋文とともにアサクサキングスに乗っているように見てた。
 「うれしくてうれしくてうれしくて、主人がいないのが悲しくて悲しくて」
 と田原慶子は、何日も泣いていたのだった。
 テレビでスケートボードの女子選手が空中で回転する。どうしてあんなことが出来るのだろう。
 スポーツクライミングで、新体操で、自転車の女子オムニアムで、サーフィンで、おそろしいような人間の奮闘をテレビで見ながら、いつのまにか私の頭には競馬のシーンが浮かんでくるのだった。
 男子マラソンでキプチョゲ選手が札幌の北海道大学の構内を走っている。もうすぐ、42.195キロのゴールだ。独走になったキプチョゲの強さも美しいし、大学の構内の景色も美しい。
 キプチョゲが勝つと、オリンピック連覇だなあ、凄いなあと思いながら、頭の中で私は、家からバス停へ歩き、バスに乗ってJR鎌倉駅へと行き、そこで横須賀線に乗って武蔵小杉まで行き、そこでかなりの距離を歩いて南武線の立川行きに乗り、府中本町駅で下車する自分も見ている。
 改札口を出て、富士山が見える長い通路を歩いて競馬場に着き、まるで故郷を眺めるように、馬場とスタンドのひろがりを眺める。
 そうなのだ、キプチョゲの走りを見ながら、コロナ禍で行けない競馬場を私は思いだしている。
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