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第215便 悲しいくらいに

2012.11.15
 横浜の川のほとりでバーを営む光枝さんは62歳。カラオケで都はるみの歌がめっぽううまい。とりわけ「好きになった人」、(白鳥朝詠作詞、市川昭介作曲)を歌うと、初めて聞く客など、なんでそんなにうまいのかって、目をまるくする。
 ところが最近、光枝さんは「好きになった人」を歌わなくなってしまった。歌の出だしが「さよーなら、さよなーら」で、そこを歌うと、死んでしまったお客さんのことが頭に浮かんでくるというのだ。
 29歳で開業し、同じ場所で34年もの営業で、このところ、次から次にという感じでお客さんの訃報が届く。
 「考えすぎって言われるけど、さよーなら、さよなーらの次が、元気でいてね、でしょ。その、元気でいてね、が引っかかるわけ」
 と光枝さんは少し笑って言うのだ。

 光枝さんの歌のことを書きはじめて、私のペンが止まった。何日か前、若い人に、
 「死んだ人のことを書きすぎじゃないですか。今の人、情報がないと読まないですよ」
 と忠告されたのを思いだしたからだ。
 「そうかもしれない。ごめん」
 とその場を逃げながら、「情報?人間は死ぬものだ」という情報を書いてるつもりなんだけど、と私は腹の中で言い返している。

 そんなことを私が言っても聞いてくれないかもしれないが、アップル社のCEOだったスティーブ・ジョブズ氏が、2005年6月12日、スタンフォード大学卒業生へ、
 「天国へ行きたいと願う人でさえ、そこに行くために死にたいとは思いません。しかし、死はすべての人間に共通の最終点なのです。それを免れた人は一人もいません。そして、それはそうあるべきです。なぜなら、ほぼ間違いなく、死は生命にとって唯一無二の発明品だからです。それは生命の変革の担い手です。古きものを払い、新しきものに道を開くものです」
 とスピーチしている。
 「あなたの時間には限りがあります。ですから、他の誰かの人生を生きて、無駄にしてはいけません」
 というジョブズ氏の言葉を、どう思う?

 2012年9月24日、月曜日の朝、2012年2月15日に63歳で死んでしまった正ちゃんのことを思いだしていた。3人の友だち、柏木集保さん、丹下日出夫さん、山戸正則さんと正ちゃんのお墓へ行く日である。

 年度代表馬ブエナビスタ(2010年度)の表彰式とパーティーが赤坂プリンスホテルであったのは2011年1月24日だ。パーティーが済み、ホテルを出ると小雨が降りはじめ、小走りで私は赤坂見附駅を過ぎ、そこから近い「笑ハウス赤坂TOKiO」へ行った。TOKiOは芸人正司トキオの経営で、昔、社台ファームの吉田善哉氏が懇意にした店で、「吉田善哉」とサインしたサントリーオールドの瓶が、今も飾ってある店だ。そうした関係で、客に馬主や調教師や生産者もいる。

 その晩、正ちゃんが小声で、
 「10年も通ってる町医者に、大きな病院へ行けって紹介状を渡されたの。ノドと胃の中間に変なものがあるみたいって」
 そう言い、白い封筒を見せ、
 「まいったなあ。こっちが先に紙オムツかも」
 と笑い声をたてた。
 年に1度、柏木、丹下、山戸、私、正ちゃんは、吉田善哉氏の墓へ行く。その前に善哉氏の片腕だった山本寿夫氏の墓へも行くので、JR高尾駅前のそば屋に集合だ。
 トイレへ行った正ちゃんが席に戻り、私を指差して、「ダメじゃないの。そんなことしちゃ」と笑いこけたことがあった。
 「紙オムツを捨てないで下さい」という注意書きが洗面台の上に貼ってあったのだ。グループの最年長である私への、正ちゃんの冗談である。
 「紙オムツって書いてあるけど、おれには、ハズレ馬券と読めた」
 私が冗談を返した。正ちゃんは、このごろの世間ではめったにいない馬券狂なのである。

 2012年9月24日の午後、近所に住む柏木さんとバス停で待ち合わせ、
 「ぼくが病院へ入院した日に、正ちゃんは死んじゃったんだなあ。その日、及川さんも死んだ」
 バスを待ちながら柏木さんが言った。柏木さんは骨の手術で慶應病院に入院したのだ。及川さんとは柏木さんと競馬評論家仲間の及川勉さんのことである。
 午後3時、世田谷線上町駅で4人がそろい、スーパー「おおぜき」で花と缶ビールを買い、そこから歩いてすぐの淨光寺へ行った。
 「病気してなかったのは正ちゃんだけだったのになあ」
 と墓に花を供えている丹下さんも、
 「さよならする2日前まで、馬券のことで電話をかけてきた」
 と線香に火をつけている山戸さんも、今のところ、大病からの復活中だ。
 ほどなく、「TOKiO」を引きついだ正ちゃんの息子、ケンちゃんが現れ、
 「おやじの鞄に入ってた。吉田善哉の墓へ行くときだけ使ったとか言ってました」
 と防虫スプレーを見せる。
 そのとおり、吉田善哉の墓で正ちゃんは何年も変わらず、私たちに防虫スプレーを使わせた。
 ケンちゃんはビニールシートも持ってきていて、正ちゃんの墓前にひろげた。
 そこに腰をおろすと、私には、辺りを支配しているイチョウの大木と青空が、示しあわせて時間を刻んでいるような気がした。
 「さあ、正ちゃん、のもう」
 私が言い、みんなが正ちゃんに缶ビールを向けた。
 「上山競馬場で百万近く儲けて、2泊3日だかのうちに、4人で、ぜーんぶ飲んじゃったこともあったなあ。反対に、ひどい馬券の旅もあったし」
 山戸さんが言い、
 「どうして正ちゃんがあんなにも、馬券が好きだったのかを、話し合ってみましょうか」
 そう柏木さんが笑い、
 「悲しいくらいに馬券が好きだったなあ」
 と丹下さんがつぶやいた。
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