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第216便 なんも言えねえ

2012.12.17
 10月25日の昼のこと、京都市内でタクシーをひろい、しばらくは無言だったが、そのうちに言葉を交わすと、若い運転手は話好きのようだった。
 「出身地はどちらですか?」
 誰と会っても、その人の故郷を知りたがるのは私の癖だ。
 「青森です」
 「青森のどこ?」
 「七戸というとこ」
 「行ったことある」
 「ぼくの名前、キクオいうんですわ」
 運転手は助手席の前にある運転手の名札へ指先を向け、
 「その名前と故郷が関係しとるんです」
 と信号が赤で車を停めた。助手席の前を見ると、名札に「菊男」という2文字があった。
 「両親が七戸の牧場に住み込んでたんやけど、ぼくが生まれる2日前に、近くの牧場で生まれた馬が、大レースで優勝したんやね」
 「グリーングラス。菊花賞。天間林の諏訪牧場。間悌三さん」
 と私が言ったものだから、信号が青になって走りだしたのに、
 「ちょっと、停めさせて」
 運転手は堀川通りのきわでブレーキを踏み、
 「びっくりや」
 あわてた声になった。
 「こっちだってびっくりや」
 私も言い、
 「4日前に菊花賞があったばかり。その菊花賞の菊を取った名前の菊男さんの車に乗り合わせるとは、おシャカさまでもたまげるわ」
 と目をまるくした。

 1976(昭和51)年の菊花賞を安田富男騎手で勝ったグリーングラスの生産者、間悌三さんを取材したことがあるのだと私が説明すると、
 「なんも言えねえ」
 菊男さんはふりかえって私を見て笑い顔になり、それからアクセルを踏んだ。
 下車するまで菊男さんの話を聞いた。

 菊男さんは小学生になってすぐ、秋田県横手市に移ったという。ちょっと人には言えん理由で両親が牧場を出たというから、その言えん理由を知りたいと私は聞いたのだが、それは言わん、と菊男さんはきっぱり返事した。
 菊男さんに姉がいて、京都の宇治市へ働きに出た。その工場へ、中学を出て菊男さんも就職したという。
 「それにしても、よく晴れた日の京都で、グリーングラスの菊男さんに会うとは、おれも、なんも言えねえ」
 「おれだって、天間林の諏訪牧場だなんて話、何十年ぶりやし、なんも言えねえ」
 菊男さんと私は顔を見合わせた。

 私は銀閣寺に続く哲学の道の、小川のほとりにあるレストランに、友だちとの約束より40分も早く着いてしまい、ビールをのむしかなかった。
 「なんも言えねえ」
 と心でつぶやいている。

 私は東京の渋谷区幡ヶ谷に住む石橋忠之さんを思い浮かべた。
 10月13日のこと、東京3R2歳新馬、ダート1600、15頭立ての8番人気(20.8倍)、武士沢騎乗のモリトリュウコが勝った。
 金成吉田牧場の生産、父シニスターミニスター、母ヘクタープリンセス、母の父ヘクタープロテクターのモリトリュウコの馬主が石橋さんだ。
 石橋さんは故郷が千葉県香取市で、昔は佐原市森戸で、冠名モリトなのである。
 新馬戦1着は馬主の夢物語であろう。
 「モリトリュウコ、乾杯!」
 と私がハガキをおくると、石橋さんから返事が来て、
 「森戸竜虎。何もイエネェー」
 と書いてあった。
 「何も言えねえ」は水泳の北島康介選手の、オリンピックで金メダルを取った直後の名ゼリフであるが、石橋さんの気持ちがそっくり私に伝わってくるようだった。

 石橋さんの親友に松下征弘さんがいた。2012年2月3日に松下さんは亡くなってしまったが、最後に走っていた馬はキソウテンガイ(父ルールオブロー、母リスペット、母の父アドマイヤベガ)だったかなあ。勝てなかった。
 松下さんのステージプリマがエリザベス女王杯に出たとき、一緒に京都へ来て、竜安寺や仁和寺を歩いたよなあ。
 「もういちど、オープン馬を持ちたい」
 旅立つ日が間近になっていた松下さんの、私に言ったのではない、ひとりごとだった。
 門別の木村牧場や日高大洋牧場で馬を見ているときの松下さんがよみがえってきて、そのうれしそうな顔が、
 「何も言えねえ」
 と言っていたような気がした。

 私は庭のテーブルに座っている。どこかで猫のなき声がした。哲学の道の静寂がきわだち、2012年10月25日、と私は意識をした。
 京都へ私は友だちの野辺送りに来たのだった。昨日、骨をひろった。はたちのころに、京都の河原町三条の酒場でいっしょに働き、休みの日には淀の競馬場へいっしょに行っていた友だちの骨である。
 何度も音沙汰がなくなったりしながら、半世紀以上も、つきあいが続いたといっていいだろう。
 あとで調べてみたのだが、その友だちと京都競馬場に座っていたのは、菊花賞で言ってみれば、矢倉義勇騎乗のラプソデーとか浅見国一騎乗のコマヒカリが勝ったころのことだ。
 むろん記憶しているわけではないが、私も友だちも小銭を賭けて、競馬場の風に吹かれていたのだろう。
 よくもまあ、私も友だちも、じいさんになるまで生きていたよな。
 「何も言えねえ」
 私は友だちに言い、ぼんやりするとタクシー運転手の菊男さんや、石橋さんや、松下さんや、友だちの骨の色が脳裡に写り、いろいろな「何も言えねえ」があるもんだと思い、空を、青い空を、何も言えねえ、と見あげていた。
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