JBIS-サーチ

国内最大級の競馬情報データベース

第273便 風の子になった菜七子

2017.09.13
 「オダです。お久しぶりです。ほんとうにお久しぶりです」
 と2017年7月29日の夜、電話がかかってきた。オダさんとはずいぶん会っていないが、年賀状のやりとりは続いていた。
 「相変わらず、競馬が唯一の道楽です。それで相変わらず、週末は銀座へ通ってます。能のない人ねえ、ほかに何か見つけないのって、かみさんにバカにされているのも相変わらずです」
 そう言って笑い声を聞かせたオダさんは、江東区門前仲町に住んでいる。
 「今日も銀座で馬券をやっていたんですが、新潟10Rの古町特別、ストーミーシーの単勝を取りました。2番人気で440円で、買ったのは1,000円ですから、べつだん、特別な話にもなりませんが、その単勝を買ったのにはワケがあって、それはヨシカワリョウさんにしか通じないワケだと思って、それでどうしても電話をしたくなってしまったんです」
 「聞きたいなあ」
 「大野拓弥が乗るストーミーシーの血統に目が行ったら、母の父がゼンノエルシドなんです。リョウさん、わたしとゼンノエルシドといったら、京都で、リョウさんと、何か、思いだしていただけませんか」
 「マイルチャンピオンシップ」
 と私が言い、
 「いやあ、うれしいなあ、おぼえていてくれて。そう、それで、ストーミーシーの単勝を買ったら、直線半ばで外に持ちだして、しっかりと追いこんできて、きわどくハナ差で勝ってくれたんですよ。ちょっとふるえちゃいました」
 とオダさんが言った。
 それからオダさんと私は昔の話をした。オリビエ・ペリエ騎乗のゼンノエルシドがマイルチャンピオンシップを勝ったのは、今から16年前の2001年11月18日のことである。京都競馬場へ行っていた私は、パドックの近くでオダさんとばったり。オダさんは当時、製薬会社の大阪本社に東京支社から単身赴任していた。
 1970年代に私が薬品問屋勤務だったころ、私より10歳若いオダさんは製薬会社の若手社員だった。仕事でつながりがあり、おたがいに好きな競馬のつながりもあった。
 「どうしてかわたしはゼンノエルシドが好きで、1番人気になったスプリンターズSで単勝を1万円買ったんです。それが惨めな10着。
 カネを返してみろなんて気持ちで、わたしも元気だったんですね、4番人気だったかのマイルチャンピオンシップのエルシドの単勝を1万円買ったら勝ってくれて、単勝780円。エイシンプレストンとの馬連も持っていて、10万円払い戻して、わたしの競馬メモリーのベスト3に入ってるんです。
 その晩、京都の伏見の方のクラブで、リョウさん、酔っぱらって、ハダシで踊りまくって歌いまくった。おぼえてますか?」
 「あった、あった、エルシドの夜」
 おぼえてはいないけれど、そう私は言った。
 東京支社に戻ったオダさんは、その後に子会社の社長になったりし、定年後に半年近い入院生活もした。回復したオダさんと何度かウインズ銀座で会ったりしたが、私の主戦場がウインズ横浜になったこともあって、この数年は年賀状だけのつきあいだった。
 「会いましょうよ」
 私が言い、8月6日、午後2時に、オダさんと私はウインズ銀座の3階で会った。

 「7番10番、ナナジュウになりました」
 痩せて背の高い白髪のオダさんが笑顔になり、
 「おれは8番10番になっちゃった」
 と私も言って握手をした。
 小倉11Rは小倉記念。私は13頭立て3番人気のバンドワゴンからの馬単を買ったが、「さあ、これから」という地点で、「さあ!」と画面へ飛ばした私の声が悪かったのか、だらしなく後続馬に抜かれるばかりだった。
 「わたしは馬連を取れた。500円だけど」
 とオダさんが馬券を見せる。
 その配当は1,910円。しっかりした人生をおくった人は、いくつになっても、しっかりしているのだと私は思い、
 「バンドワゴン、11着」
 と心のなかでつぶやいた。
 新潟11Rはレパードステークス。
 「小倉が当たったので、馬単千円づつ、5点いきました。ここはエピカリスで間違いないでしょう。ルメールだし」
 「おれはそのエピカリスが2着になってほしい馬単を買ったけど、うーん、ルメールは失敗しないよなあ」
 「なんだかデムーロとルメールと戸崎の3人で競馬をやってるみたいだものなあ」
 とオダさんがひとりごとのように言った。
 レパードステークスの馬群が直線で争い、ウインズ銀座3階の大きな画面へ集まった男たちから、「おいおい!」「何してんだ!」「出られない!」と声が騒然と湧いた。単勝1.5倍のエピカリスの進路がふさがっている。
 1着が15頭立て11番人気のローズプリンスダム。2着が12番人気のサルサディオーネ。エピカリスは3着だった。
 「競馬だなあ」
 オダさんがつぶやいた。
 新潟12R3歳上500万下、ダート1,200㍍、15頭立て。ウインズ銀座3階にいた男たちから、「岩田と内田に返してもらおう」というような人気馬に頼む声が、いくつか聞こえてきた。
 4コーナーを過ぎ、先頭集団の人気馬でキマリといった直線での流れを、13番人気グランアラミスが外から襲い、さらに大外から11番人気コパノディールが襲い、12番人気のネコビッチも奮戦し、勝ったのはコパノディール。藤田菜七子の騎乗だった。
 オダさんと私はビヤホールに行って再会を乾杯し、もうひとつ、「20歳の誕生日目前に、風の子になった藤田菜七子に乾杯!」と私が言って乾杯をした。オダさんも、「あの飛んできた藤田菜七子には感動した」と言う。そのオダさんの表現に私は感動し、少し黙った。
トップへ