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第357便 チーム力

2024.09.11

 2024年7月、異様に暑い日が続く。朝も昼も夜も関係なしに、何日も何日も異常な暑さが続く。何か恨みでもあるのかと、私は窓の外の陽射しを見つめる。
 どうしても行かねばならぬ用事があって、覚悟をしてバス停へ歩く。おい、ジイさんを殺す気かよと、顔面を炙ってくる熱気に怯える。
 そんな日、パリでオリンピックが開幕し、体操男子団体で、最終鉄棒を残して中国に3.267点差負けていたのに、最後の鉄棒の橋本大輝の演技が終わると、日本が奇跡の大逆転を果たして、異常な暑さへの恨みを吹きとばしてくれた。
 私は日記ノートに、橋本大輝、萱和磨、谷川航、岡慎之助、杉野正尭と、体操チームの名を書いた。そうして記録することが、私の敬意の表し方である。橋本大輝の鉄棒の演技で着地を決めた時、メンバーたちの興奮もテレビに映ったが、私もメンバーの一員になったようにガッツポーズをしていた。
 総合馬術の日本チームの銅メダル獲得のニュースもとびこんできた。ノーザンホースパークでの馬術大会を何度か見たくらいの知識しかないが、馬術の本場はヨーロッパで、日本からの参加は人の航空費、馬の輸送費が大変。その他にも不利はたくさんあって、オリンピック出場の最低基準を満たすのも困難という話は聞いている。
 馬術チームの銅メダルも、ベルサイユ宮殿での偉業として私は、記録ノートに、大岩義明、戸本一真、北島隆三、田中利幸と、馬術チームの名前を書いた。大岩は海外生活が20年を超え、他の3人も約10年、海外で暮らしたようだ。
 大岩が48歳、戸本が41歳、田中が39歳、北島が38歳で「初老チーム」と名乗ったようだが、それを知って私は、2012年ロンドン大会で、71歳で出場した法華津寛が、日本最年長出場記録を更新したのを思いだした。
 馬術チームのメダル獲得は、私が生まれる5年前の1932年、ロサンゼルス五輪の障害飛越個人で、「バロン西」こと西竹一以来、92年ぶり2個目のメダルなのだ。馬の名はウラヌス。
 1945年3月に硫黄島で戦死した西中佐の懐には、ウラヌス号のたてがみがしのばせてあったと伝えられている。
 体操チームと馬術チームの報道を見たり読んだりするうち、メダル獲得へのチーム力のことが注目されていて、記録ノートに私は、「チーム力」と書きたした。
 体操と馬術のメダルがうれしかった日の夜、函館に住む競馬友だちの渡辺さんからの、
「やっと退院した。函館競馬の開催中にずっと入院していて、退院したら競馬が札幌に行っちゃった。祭りに行けんのは悲しいね」
 という電話も私はとてもうれしかった。渡辺さんは私と同じ、今87歳。心臓の手術で入院していたのだ。
 私と渡辺さんのつきあいは60年近くになる。そのことを書かせてもらおうか。
 私は1966(昭和41)年から1968(昭和43)年まで、東京に本社のある貴金属会社の札幌営業所勤務だった。その間、月に1度、函館の百貨店や時計店への営業で出張していた。会社に競馬好きを気づかれぬように、函館競馬開催中は、うまく出張の日取りを組んだ。
 渡辺さんは百貨店の貴金属部の時計修理職人。
 競馬場でばったり。おお!である。それからのつきあいで、年に一度は、私は渡辺さんと函館競馬場で会い、渡辺さんの家に泊めてもらった。10年ほど前までは、私と渡辺さんの言う「函館まつり」は続いていたが、おたがい病気したりして、この10年は電話と手紙のつきあいになっている。
 渡辺さんの自慢は、1970年代からの雑誌「優駿」を持っていること。それで私が「優駿」に書きだしたのを、とてもとても喜んでくれた。


 70歳のころだったか、渡辺さんの家で、1978年10月号の「優駿」を見せられた時のうれしさは忘れられない。表紙は白いシーホークの写真のその号で、1978年7月の函館競馬の成績が載っていて、7月16日の第3R、当時の年齢表記の4歳未勝利戦で、1着トウフクマコト(谷原義明騎乗)の13頭立てのレース結果の活字。
 「これ、いっしょに見てたよねえ。マコトさんが、はるばる来たぜ函館なんだから、人気がなくてもトウフクマコトを買わなきゃねって言って、ふたりで思いっきって単勝と、マコトからの連複に突っこんだ。で、キャバレーで女たちと大騒ぎ」
 と渡辺さんが思い出を語ってくれた。単勝が5,290円。連複が2万500円。
 そのページをコピーして、今も私の仕事部屋の隅に貼ってある。2着が小宮敬三のニツトウヒロイン、3着が伊藤清章のシルクオーヒ、4着が目黒正徳のダイタクセダン、5着が坂口正則のハマノロマン。トウフクマコトは父イースタンフリート、母エリモカブト、母の父セダン。えりも牧場の生産馬だ。
 「えりもの春は、何もない春ですと森進一は歌うけど、おれには、トウフクマコトが生きてる」
 そんなことを言って、あらためて渡辺さんと握手をしたりした。
 お金を集める才能はなかったけれど、友だちをつくる幸運は持ち合わせていて、札幌にも、今年は会える?と、札幌開催が近づくと電話をくれる友だちが何人かいる。
 体操や馬術のメダルでチーム力が注目されているのを思い、おれも、おれの人生をなんとか成立させてくれるのは、競馬友だちとのチーム力なのかも、と私は考えた。
 チーム力という現象を、もう少し考えてみたいと頭を働かせているうち、「苦しいことばかりで、ぼくには牧場経営は無理で、やめたいです」と最近に受けた、30歳の、競走馬生産牧場3代目からの電話を思いだした。
 彼は人づきあいが苦手である。労働は面倒ではないが、人との関係作りが面倒なのだ。労働するほかは、ネットで検索ばかりしているようで、つまり、答えばかりを探す今の時代の流れにはしっかりはまっている。生成AIの登場で、その流れはさらに強くなるだろう。
 私など、ただ外部から牧場を覗いてきた人間がつべこべ言うのはナマイキだが、牧場経営者は、「チーム力」についての考察が大切なのでは。
 ごめんなさい。おれ、ナマイキなのかも。

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