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第5コーナー ~競馬余話~

有吉正徳 第5コーナー ~競馬余話~

第52回 「祝3冠」

 重い扉はついに開かれた。

 6月6日、米ベルモントパーク競馬場で行われた第147回ベルモントS(ダート12ハロン=約2400㍍)で、1番人気に支持されたアメリカンファラオが見事に逃げ切った。ケンタッキー・ダービー、プリークネスSに続く勝利で3冠達成。1978年のアファームド以来37年ぶりの記録達成となった。

 米3冠レースは短期間で行われる。今年の例でいくとケンタッキー・ダービーが5月2日、プリークネスSが5月16日、そしてベルモントSが6月6日。中5週の強行軍だ。競走馬としての才能に加え、強行日程を乗り切る体力が必要になる。

 ベルモントSにおけるアメリカンファラオのレース運びは完璧だった。スタートから逃げて刻んだラップが素晴らしい。2ハロンごとの通過タイムは24秒06、48秒83、1分13秒41、1分37秒99、2分2秒33、そしてゴールが2分26秒65だ。およそ40年前正確なラップで逃げ、重賞を5つも勝ったトーヨーアサヒという馬が日本にいた。そのニックネームが「走る精密機械」だった。アメリカンファラオのベルモントSもきれいに2ハロン24秒台を並べた鮮やかなもの。逃げ馬のお手本のようなレース運びで栄冠を手にした。

 1978年にアファームドが史上11頭目の3冠に輝いて以降、2015年のアメリカンファラオまで13頭の2冠馬が誕生した。このうち12頭が3冠を目指して最後の関門ベルモントSに挑み、高い壁に跳ね返された。アメリカンファラオのバファート調教師は3度、エスピノーザ騎手は2度の挑戦に失敗した過去があった。バファート調教師はアメリカンファラオで3冠達成した後、「もう3冠が嫌いになりそうだった」と振り返っている。関係者にとっては悲願の3冠だった。3冠馬は米国競馬界にとっても待ちに待った存在だったが、長い間願いはかなわなかった。

 アファームドの翌年、いきなり3冠馬候補が現れた。1979年のスペクタキュラービッドだ。16戦14勝という驚異的な成績で2冠を制しながらベルモントSは3着。生涯成績30戦26勝。プリークネスSの後は14戦12勝。負けたのが肝心のベルモントSとあと1戦だけ。引退レースとなったウッドワードSではライバルは対戦を避けたため1頭で走ったという逸話の持ち主だ。そんな強豪でも3冠は取り逃した。

 3冠を逃した12頭のうち4頭が輸入され、日本で種牡馬になった。

 1989年のサンデーサイレンス(USA)、1997年のシルバーチャーム(USA)、1999年のカリズマティック(USA)、2002年のウォーエンブレム(USA)である。

 サンデーサイレンスはライバル・イージーゴアーと壮絶な戦いを繰り広げた。ケンタッキー・ダービーではイージーゴアーに2馬身半の差をつけて快勝したが、プリークネスSは鼻差の辛勝。迎えたベルモントSではイージーゴアーに8馬身もの差をつけられての2着と涙をのんだ。シルバーチャームはベルモントSで4分の3馬身差の2着とわずかの差で3冠を逃した。カリズマティックはベルモントS3着、ウォーエンブレムは同じく8着に敗れた。

 来日した米2冠馬はもう1頭いる。2012年のアイルハヴアナザー(USA)だ。ベルモントSの直前に左前脚の故障が見つかり、無念の離脱。そのまま現役を引退し、ビッグレッドファームで種牡馬になった。2014年に生まれた初年度産駒は来年競走年齢に達する。

 米国で37年ぶり史上12頭目の3冠馬が誕生した年、日本の中央競馬にも2冠馬が出現した。皐月賞、ダービーを快勝したドゥラメンテだ。7頭の3冠馬を含め皐月賞、ダービーの2冠に輝いたのは史上23頭目だ。将来に大きな夢を持っていたドゥラメンテだが、6月下旬、不運にも骨折が判明した。両前の橈骨遠位端骨折。菊花賞に進むのか、フランス・凱旋門賞にチャレンジするのか、古馬にまじって天皇賞・秋に出走するという選択肢もあったが、すべては白紙になった。

 1941年、日本で初代3冠馬セントライトが誕生した同じ年、米国では史上5頭目の3冠馬ワーラウェイが誕生している。ドゥラメンテの骨折で、74年ぶり史上2度目の日米同時3冠達成も可能性はなくなった。