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第76回 「親子」

2017.07.14
 第84回東京優駿(日本ダービー)はレイデオロ(牡3歳、美浦・藤沢和雄厩舎)が優勝し、父キングカメハメハに続く父子2代制覇を果たした。日本ダービーの父子制覇は、これで11組目となった。
 ■カブトヤマ(1933年)=マツミドリ(1947年)
 ■ミナミホマレ(1942年)=ゴールデンウエーブ(1954年)、ダイゴホマレ(1958年)
 ■シンボリルドルフ(1984年)=トウカイテイオー(1991年)
 ■タニノギムレット(2002年)=ウオッカ(2007年)
 ■ネオユニヴァース(2003年)=ロジユニヴァース(2009年)
 ■ディープインパクト(2005年)=ディープブリランテ(2012年)、キズナ(2013年)、マカヒキ(2016年)
 ■キングカメハメハ(2004年)=ドゥラメンテ(2015年)、レイデオロ(2017年)

 ご覧の通り、内国産種牡馬が急激にレベルを上げてきたため、全11組のうち7組は2007年以降に集中している。逆にいうと、最近11年間で父子2代制覇ではないのは2008年のディープスカイ(父アグネスタキオン)、2010年のエイシンフラッシュ(父キングズベスト(USA))、2011年のオルフェーヴル(父ステイゴールド)、2014年のワンアンドオンリー(父ハーツクライ)の4例しかないのだから驚きだ。

 ダービー史上11組目の父子2代制覇が達成されると同時に、スワーヴリチャード(父ハーツクライ)によって、史上3組目の父子2代のダービー2着という記録も作られた。父ハーツクライにとっては2011年のウインバリアシオンに次ぐ2度目の記録で、あとの1回は2013年のエピファネイア(父シンボリクリスエス(USA))だ。

 しかもキングカメハメハとハーツクライは同じ2001年生まれで、2004年のダービーで1、2着を分け合った間柄。そんな2頭の息子が13年後、再び1、2着を分け合うことになったのだから、それはそれで素晴らしい。こんなケースが過去にあったのか。調べてみたが、見つけられなかった。同じダービーで1、2着した馬の子どもが、その後のダービーでも1、2着となったケースは、おそらくダービー史上初めての出来事だった。

 ダービーの終わった夜、友人がツイッターでつぶやいたのを見て、びっくりした。

 「キングカメハメハ=レイデオロの父仔制覇の陰でジョーカプチーノ=ジョーストリクトリ父仔2代18着も達成されました。さあ、ここから巻き返そう」

 2009年、NHKマイルカップを制したジョーカプチーノは藤岡康太騎手とともにダービーに出走。果敢に逃げ、最下位に敗れた。優勝したロジユニヴァースからは9秒3離されていた。直前の大雨であいにくの不良馬場。スピードが身上のジョーカプチーノには不向きな馬場状態だった。それにしても友人は、よくこの事実に気づいたものだ。あらかじめ気にかけていたのだろう。競馬を楽しむ達人だ。

 1947年、戦争のために中断していた日本ダービーが3年ぶりに再開した。優勝は3番人気のマツミドリ。父カブトヤマに次ぐダービー史上初の父子2代制覇だった。

 アタマ差で2着に敗れたのは牝馬のトキツカゼだった。大久保房松調教師は悔しがりながらも「あいつの子に負けたのだから本望だ」と話したという。マツミドリを生んだカブトヤマは自らが騎乗してダービーを制した馬だったのだ。

 8年後、大久保調教師はトキツカゼが産んだオートキツをダービーに送り込んだ。向こう正面がかすんで見えるほどの雨の中、二本柳俊夫騎手を背にしたオートキツはレース途中で先頭に立つと、最後の直線ではさらに後続を引き離し、ゴールでは8馬身差の圧勝劇を演じた。アタマ差に泣いた母の無念を息子が見事に晴らした。

 馬主の川口鷲太郎氏、生産者の青森・益田牧場、そして大久保調教師のトリオは2着だったトキツカゼと同じ組み合わせだった。
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