烏森発牧場行き
第205便 運、不運
2012.01.12
Tweet
ひとりで酒をのんでいるときなど、なんとなくだが、おれの人生、運がいいのかもしれないと思ったり、おれの人生、運がないなぁとか思ったりしていることがある。
明るい奴と暗い奴とがいるが、おれの人生は運がいいと思えるのは明るい奴で、おれの人生は運がないと思ってしまうのが暗い奴なのかな?ま、明るくなったり暗くなったりするわけだけれども、なるべくなら、おれの人生は運がいいと思って、明るい奴になったほうがいいのかもしれない。
11月24日、木曜日のこと、朝早くに私は新幹線「のぞみ」に乗っていた。「PHP」という雑誌の取材仕事で京都へ行くのである。取材の相手は、40歳のときに失明してしまった、54歳の松永信也さんだ。
「のぞみ」の車窓から私は、民家の庭に、道ばたに、畑に、小川のほとりに、コスモスが咲いていないかなぁ、と探し続けていた。取材の参考にしようと昨夜読んだ松永信也さんの本、「風になってください」の、『何も見えなくなってもう何年かな。大好きだったコスモスを初めて触わりました。一気に、真っ青な空とゆっくり揺れるコスモスが蘇りました。記憶は朽ちていくものかもしれないけど、大切にしたいと思います』という書きだしが頭に浮かんだからだ。
どこにもコスモスの花は咲いていない。「もうコスモスの花の季節は過ぎたのかい?」イチョウの葉の黄色と、ススキの白に私は聞いていた。しかし、不思議だ、と私は景色から目を離さないでいる。現実には視野にコスモスはないのだが、目の奥に、心に、コスモスの花が咲きだし、色とりどりに群れて、おだやかな風で少し揺れていて、これまでになく鮮明に見えているようなのだ。
そのコスモスの花たちが、おれに幸運をはこんでくれないかなぁと私が思ったのは、頭のどこかに11月27日のジャパンカップのことがあって、12号車16Aという座席番号の、「12」と「16」という馬番の馬券を買ってみようと考えるからだ。
コスモスから離れ、ジャパンカップから離れ、取材資料で読んだ松永さんの、「見えない僕らにとって、社会を信用しない、人を信じないということは、家から出ないということなんです。ですからとりあえずは社会を信用することにして、一歩外へ踏み出すんです。でも毎日のように街に出る僕にとっても、何もハプニングもなく過ごせる日なんてないんですよ。それが見えないことやと思います。よく乗り降りしている駅でも、電車から降りて、あれ、階段どっちやったやろと迷うようなことはしょっちゅうです。
そんな時に、たいてい僕のほうから声を出します。足音のする方向にね。最初はその声がなかなか出ないんです。やっと出しても足音が遠ざかる。気持ちがめげます。そのうち「スミマセン」と言うより、ストレートに「階段はどっちですか」と言ったほうがよく答えてくれはることに気がつきます。繰り返しで学んでいくんです。
人と人がふれあい、支えあい、助け合う関係というのは社会の基本でしょう。でも今は、基本的な人間関係がなくてもやっていけてしまうようになっているんじゃないですか。見えないとそれがよくわかります」という言葉と向きあっていた。
松永さんとよく語り、よく笑い、取材を終えて夜7時すぎ、「確定・ジャパンC」という大きな活字が見える新聞を京都駅で買った。
「のぞみ」の切符を雑誌編集者から受けとると、12号車2A。また12号車だ。「12」にはどの馬が入ったろう。そうして来るときの座席の「16」は?そして帰りの「2」は?そんなことでジャパンカップの馬券を買っても当たらないだろう。でも、おれの人生の楽しみ、そんなものだな。106億8,000万円もカジノで使っちまう「ティッシュ王子」もいるというのに、と私は京都駅のプラットホームの冷えた風に笑いかけた。
12号車2Aに落着き、缶ビールをのみ、新聞を読む。「12」はウインバリアシオン。おっ、と心で声が出た。松永昌博厩舎の馬である。今日、おれが取材した人、松永さん。「16」トーセンジョーダン。「2」は、ブエナビスタ。
私はメモに、馬単 ②-⑫、②-⑯、⑫-②、⑯-②、⑫-⑯、⑯-⑫と書き、ほかにも買いたくなるだろうが、この6点は必ず買うこと、と自分に約束した。
ところどころに電気の明かりを咲かせる窓の外の闇を見ていて、心のなかにコスモスの花が咲いているような気がしていた私は、ふと、おれの人生、運がいいのだ、と感じた。「のぞみ」の座席番号で馬券を買おうだなんて、ずいぶん運のいい人生でなければ、そんなノンキなことはできないんじゃないか。
でも、そう感じているのは自分だけで、「競馬なんかを好きになって、運のない人だ」と私のことを哀れんでいる人もいそうな気もする。
となりの男を窺った。40歳ぐらいかな。きちんとネクタイをし、京都で乗ってすぐにテーブルを出して置いたノートパソコンとつきあっている。もしこの人に、座席番号と馬券の話をしたら、「あなたは可哀そうな人だ」と言われてしまいそうで、私は窓の外の闇へと神経を戻した。
11月27日、私は東京競馬場メモリアルスタンドの7階からジャパンカップを見ていた。いつもは後方一気で直線勝負に徹するウインバリアシオンが早目に仕かけたので、「おぉ、12号車の12」とか思ったが、あとは馬券のことなど消えてしまって、トーセンジョーダンの強さに目がいき、さらにもっと強い馬がいて、それがブエナビスタで、その争いに息をのんだ。
「おい、めずらしく、おれの馬単、②-⑯、当たってるんじゃないか」心のなかで私は私に言った。うれしくなって、なんだか私はテレていた。
明るい奴と暗い奴とがいるが、おれの人生は運がいいと思えるのは明るい奴で、おれの人生は運がないと思ってしまうのが暗い奴なのかな?ま、明るくなったり暗くなったりするわけだけれども、なるべくなら、おれの人生は運がいいと思って、明るい奴になったほうがいいのかもしれない。
11月24日、木曜日のこと、朝早くに私は新幹線「のぞみ」に乗っていた。「PHP」という雑誌の取材仕事で京都へ行くのである。取材の相手は、40歳のときに失明してしまった、54歳の松永信也さんだ。
「のぞみ」の車窓から私は、民家の庭に、道ばたに、畑に、小川のほとりに、コスモスが咲いていないかなぁ、と探し続けていた。取材の参考にしようと昨夜読んだ松永信也さんの本、「風になってください」の、『何も見えなくなってもう何年かな。大好きだったコスモスを初めて触わりました。一気に、真っ青な空とゆっくり揺れるコスモスが蘇りました。記憶は朽ちていくものかもしれないけど、大切にしたいと思います』という書きだしが頭に浮かんだからだ。
どこにもコスモスの花は咲いていない。「もうコスモスの花の季節は過ぎたのかい?」イチョウの葉の黄色と、ススキの白に私は聞いていた。しかし、不思議だ、と私は景色から目を離さないでいる。現実には視野にコスモスはないのだが、目の奥に、心に、コスモスの花が咲きだし、色とりどりに群れて、おだやかな風で少し揺れていて、これまでになく鮮明に見えているようなのだ。
そのコスモスの花たちが、おれに幸運をはこんでくれないかなぁと私が思ったのは、頭のどこかに11月27日のジャパンカップのことがあって、12号車16Aという座席番号の、「12」と「16」という馬番の馬券を買ってみようと考えるからだ。
コスモスから離れ、ジャパンカップから離れ、取材資料で読んだ松永さんの、「見えない僕らにとって、社会を信用しない、人を信じないということは、家から出ないということなんです。ですからとりあえずは社会を信用することにして、一歩外へ踏み出すんです。でも毎日のように街に出る僕にとっても、何もハプニングもなく過ごせる日なんてないんですよ。それが見えないことやと思います。よく乗り降りしている駅でも、電車から降りて、あれ、階段どっちやったやろと迷うようなことはしょっちゅうです。
そんな時に、たいてい僕のほうから声を出します。足音のする方向にね。最初はその声がなかなか出ないんです。やっと出しても足音が遠ざかる。気持ちがめげます。そのうち「スミマセン」と言うより、ストレートに「階段はどっちですか」と言ったほうがよく答えてくれはることに気がつきます。繰り返しで学んでいくんです。
人と人がふれあい、支えあい、助け合う関係というのは社会の基本でしょう。でも今は、基本的な人間関係がなくてもやっていけてしまうようになっているんじゃないですか。見えないとそれがよくわかります」という言葉と向きあっていた。
松永さんとよく語り、よく笑い、取材を終えて夜7時すぎ、「確定・ジャパンC」という大きな活字が見える新聞を京都駅で買った。
「のぞみ」の切符を雑誌編集者から受けとると、12号車2A。また12号車だ。「12」にはどの馬が入ったろう。そうして来るときの座席の「16」は?そして帰りの「2」は?そんなことでジャパンカップの馬券を買っても当たらないだろう。でも、おれの人生の楽しみ、そんなものだな。106億8,000万円もカジノで使っちまう「ティッシュ王子」もいるというのに、と私は京都駅のプラットホームの冷えた風に笑いかけた。
12号車2Aに落着き、缶ビールをのみ、新聞を読む。「12」はウインバリアシオン。おっ、と心で声が出た。松永昌博厩舎の馬である。今日、おれが取材した人、松永さん。「16」トーセンジョーダン。「2」は、ブエナビスタ。
私はメモに、馬単 ②-⑫、②-⑯、⑫-②、⑯-②、⑫-⑯、⑯-⑫と書き、ほかにも買いたくなるだろうが、この6点は必ず買うこと、と自分に約束した。
ところどころに電気の明かりを咲かせる窓の外の闇を見ていて、心のなかにコスモスの花が咲いているような気がしていた私は、ふと、おれの人生、運がいいのだ、と感じた。「のぞみ」の座席番号で馬券を買おうだなんて、ずいぶん運のいい人生でなければ、そんなノンキなことはできないんじゃないか。
でも、そう感じているのは自分だけで、「競馬なんかを好きになって、運のない人だ」と私のことを哀れんでいる人もいそうな気もする。
となりの男を窺った。40歳ぐらいかな。きちんとネクタイをし、京都で乗ってすぐにテーブルを出して置いたノートパソコンとつきあっている。もしこの人に、座席番号と馬券の話をしたら、「あなたは可哀そうな人だ」と言われてしまいそうで、私は窓の外の闇へと神経を戻した。
11月27日、私は東京競馬場メモリアルスタンドの7階からジャパンカップを見ていた。いつもは後方一気で直線勝負に徹するウインバリアシオンが早目に仕かけたので、「おぉ、12号車の12」とか思ったが、あとは馬券のことなど消えてしまって、トーセンジョーダンの強さに目がいき、さらにもっと強い馬がいて、それがブエナビスタで、その争いに息をのんだ。
「おい、めずらしく、おれの馬単、②-⑯、当たってるんじゃないか」心のなかで私は私に言った。うれしくなって、なんだか私はテレていた。