烏森発牧場行き
2012年の記事一覧
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第216便 なんも言えねえ 2012.12.17
10月25日の昼のこと、京都市内でタクシーをひろい、しばらくは無言だったが、そのうちに言葉を交わすと、若い運転手は話好きのようだった。 「出身地はどちらですか?」 誰と会っても、その人の故郷を知りたがるのは私の癖だ。 「青森です」 「青森のどこ?」 「七戸というとこ」 「行ったことある」 「ぼくの名前、キクオいうんですわ」 運転手は助手席の前にある運転手の名札へ指先を向け、 「その名前と故郷が関係しとるんです」 と...
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第215便 悲しいくらいに 2012.11.15
横浜の川のほとりでバーを営む光枝さんは62歳。カラオケで都はるみの歌がめっぽううまい。とりわけ「好きになった人」、(白鳥朝詠作詞、市川昭介作曲)を歌うと、初めて聞く客など、なんでそんなにうまいのかって、目をまるくする。 ところが最近、光枝さんは「好きになった人」を歌わなくなってしまった。歌の出だしが「さよーなら、さよなーら」で、そこを歌うと、死んでしまったお客さんのことが頭に浮かんでくるというのだ。 29歳で開業し...
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第214便 母と子の夏 2012.10.12
「息子は野球だけがちょっと上手なバカオ。その母親のわたしは元気なだけがとりえのアホコ。 アホコとバカオで生きてるんだから、大変」 と明るい50歳の看護婦さんがいる。私の孫とバカオが一緒の中学で仲よしだった。 ときどきアホコが私の家にビールをのみにくる。それで私が競馬を教え、年に2度か3度は競馬場へ同行したり、私とアホコも仲よしだ。 そうか、アホコとバカオという名で話をすすめるのはマズイかな? でも、話の都合上、そ...
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第213便 オリンピックの夏に 2012.09.12
ロンドンオリンピックの男子体操、個人種目別鉄棒の決勝をテレビで見ている。 中国の鄒凱がミスなく宙を蹴り着地を決めて16.366。すごい。内村航平を負かしたゆかに続いて、またスウガイの金メダルだと私は思った。 ところがドイツのファビアン・ハンビュヘンが、「おお!」と私を驚かせる。着地したハンビュヘンが、「見てくれたかよ、おい」といったガッツポーズ。出た、16.400。 「まいったなあ、仕方ない」といった、落胆を隠したスウガイ...
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第212便 新橋の「パドック」 2012.08.13
7月3日、新橋駅に近い内幸町ホールにいた。「第14回けやき会、もの語りの世界」。その昼の部である。客席は満席だった。 フリーのアナウンサーである4人の女性が順番に、舞台中央の台に腰かけ、それぞれの演目を語る。照明と音楽はひかえめ。 4番目が深野弘子さんで、ゆきのまち幻想文学賞受賞作品、宇多ゆりえ「おいらん六花」を語る。吉原が舞台の話だ。 昔、昭和50年代、深野さんはラジオ日本の競馬中継のアナウンサーとして人気者だっ...
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第211便 前向きウシロ向き 2012.07.17
ディープブリランテがフェノーメノの追撃をハナ差しのいで、2012年のダービーは終わった。 戦い済んだ馬たちが戻ってくるのを、私は地下馬道で待っている。 「やるだけのことはやった。仕方ない」という空気が、騎手たち、馬たちから流れてくるなか、「仕方ないで済むか」と悲鳴が聞こえるようにして、フェノーメノと蛯名正義騎手が戻ってきた。 私は息を詰めた。蛯名正義騎手の表情が私に、銃弾を撃ちこんだのだ。20度目の挑戦となるダービー...
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第210便 アタンナイ、ヤメタラ 2012.06.13
ピーコという名のセキセイインコが逃げだし、警察に保護され、「サガミハラシミドリク......」と番地までしゃべったので、飼い主の女性のもとに戻ってニュースになったとき、 「ミヤさん、元気かなあ」 私が言い、 「あっ、わたしも、ミヤさん、どうしてるかなあと思った」とかみさんが言った。 5年ほど前まで、ミヤさんは奥さんのキクさんと、私の家から歩いて20分ほどの森のなかに住んでいた。女子大で英語を教えていたミヤさんの楽しみは...
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第209便 Yes!Yes!Yes! 2012.05.23
4月8日、阪神競馬場に着くと、第5R3歳500万下の出走馬がパドックを歩いていた。 競馬場に着いてすぐの馬券は、1番人気から人気順への馬単、と私は決めている。運だめしみたいな遊びだ。 ダートの1200。1番人気はミルコ・デムーロ騎乗のヒカルマイソング。スタートから4角まで中団にいたが、じわじわじわじわと長く脚を使って1着。ハナ差で2着が4番人気のケージーハヤブサ。馬単⑧-⑮が的中。2570円。誰も私に声をかけてくれたわけではな...
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第208便 反戦運動です 2012.04.13
鎌倉駅の改札口を出ると、バスターミナルに鎌倉山経由江の島行きが待っている。グッドタイミング。途中のバス停笛田が私の家に近い。 バスに乗ろうとしたとき、「大仏に行くの、これでいいかね?」老人に聞かれる。これでいい。「ありがとう」 老人はふたりの老婆と3人組だ。席に落ち着き、通路をへだてた席の老人たちの会話を聞いていて、語尾の独特な調子から、福井だなと思ったが、そうは言わず、 「どちらからですか」と聞いてみた。 「...
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第207便 「なんだよ」の2月 2012.03.15
寒い日の午後、鎌倉駅に近いコーヒーショップに入ると、「おや?」という老人の顔とぶつかった。私の顔も、「おや?」になる。 老人と私は家が近所どうしで、私とかみさんは老人のことを、ブル先生と呼んでいる。30年も同じ住宅地にいて、ブルという名のブルドッグを飼い、そのブルが死ぬと、またブルドッグを飼って、名前がブルと変わらないのを知っているのだ。 ブル先生は京都にある大学で経済学を教えているようだ。 「新幹線に乗って授業...