烏森発牧場行き
第239便 私の所見
2014.11.10
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9月26日、病院の待合室でぼんやりと診察票を見て、「おお、なんと」とそこを見なおしてしまった。吉川良、77歳7ヵ月、となっている。
ようやく名を呼ばれて診察室に座り、
「何かお変わりは?」
と聞く医師に、
「べつに変わりないですが、今日は、7がそろったようで、病院から賞品でももらえるかなと」
冗談を言ったのだが、ちらっと医師の目線が私を通過し、返事はなかった。
おれ、冗談をとばすために生きてるみたい。そう感じて私は、ちょっと反省し、はずかしくもなった。
9月28日、日曜日の朝、JR桜木町駅前の広場にあるバス停のベンチに腰かけ、ランドマークタワーの下にいるじいさんと自分のことを意識しながら、京都で暮らす娘にケイタイをし、孫のリホコにかわってもらった。今日はリホコの誕生日である。
「おめでとう。いくつになった?」
「8歳」
「そうか。9歳、くさいかと思ったよ」
「まだ8歳やわ」
「ぼくもまだ77歳です。さあ、ここで問題です。77ひく8。すぐに答えてください」
ここでもおれはまた、冗談をとばしている、そう思い、少しナサケナイという気がした。
コーヒーショップへ入った。ウインズ横浜が近いので、となりのテーブルにいる痩せた老人と太った中年男が、スポーツ紙の競馬のページを読んでいる。
「9月も末というのに、まだ3歳未勝利戦というのをやってる」
と中年男が言い、
「同じ3歳のハープスターが、凱旋門賞を勝つかもしれないと言ってるのにな」
と老人は顔もあげずに言った。
「ハープスターにくらべたら、ずいぶんミジメなもんだな」
「ハープスター、ゴールドシップ、ジャスタウェイと、3頭も出る凱旋門賞が近づいて騒いでいるのに、3歳未勝利戦というのはミジメだ」
ふたりのやりとりを聞いていて私は、コーヒーをのんで窓からの晴れた空を眺め、どちらの男からも、ミジメという言葉が出たな、と思った。
ときどきだが私は、もし自分が競走馬だったら、3歳未勝利馬かもしれないと感じながら、3歳未勝利戦のパドックを見ていたりすることがある。そういう意識も、ミジメなのかもしれないなあと、私はホットドックを口にはこんだ。
9月28日の新潟の第3Rが3歳未勝利である。私は新聞をひらいて、出走馬15頭の名を見た。この15頭のスタッフ、持ち主は、それぞれの思いでレースを見るのだろうなあと考え、5枠9番のモリトハリウッドの名をしっかりと目にとめた。
馬主は石橋忠之さんである。千葉県香取市森戸が故郷で、「モリト」を冠名にした。
石橋さんはモリトの馬が勝つと手紙をおくってくるのだが、その手紙は「私の所見」として一行だけ、というのがおもしろい。
例えば2月1日、東京競馬場においてモリトビャクミが3歳500万下を勝った。すると、
「私の所見。馬の神さまに感謝」
とだけ書いてあるのだ。
4着が続くので、私がモリトヨンチャクと呼んでいるモリトハリウッドについての記事を競馬新聞で見つけた。
「外山の見解。善戦止まりが続くモリトハリウッドがラストチャンスのスーパー未勝利で、ブリンカーという勝負手を打ってきた。使いこまれているもののウッドでの軽快な動きからデキはキープ。飛び道具で詰めの甘さを補い、待望の初勝利だ」
そう読み、
「来週で終了する3歳未勝利戦。いわゆるスーパー未勝利と呼ばれる負けられない戦いが続いているが、それだけに陣営は新たな一手を打ってくるケースも多い。その最たる例がブリンカー装着。『ズルさが出てきた』と水野調教師。勝ち切れない競馬が続いていた同馬にとって、初のB装着は間違いなくいいほうに出そう。集中して走りさえすれば勝てる、と陣営は勝負に出た」
と「平場の隠し玉」というコラムも読んだ。
持ち馬がゲートに入ったあたりの、競馬場にいる石橋さんの姿が浮かんでくる。指定席でセカンドバックを膝に置き、背すじを立て、胸の前で手を合わせ、しばらく目を閉じるのだ。
ウインズ横浜へ行く。おれが単勝を買うと負けちゃうから買わないでおくよ、と私は石橋さんに言ったつもりで、石橋さんのマネをして、誰にも見つからないように10秒ぐらい合掌した。
1番人気は北村宏ダイワバリューで単勝1.9倍。2番人気が伊藤工サウスキングで4.8倍。吉田豊モリトハリウッドは3番人気で5.5倍。ドンケツ15番人気は古川吉メイショウエクサで489.3倍。そんなことを調べながら、このレースを勝つのは、凱旋門賞を勝つよりもむずかしいじゃないかと思いもした。
ゲートがあいた。モリトハリウッドは中団につけ、そのまま無理をしないで4角をまわり、直線でしぶとく伸びてきて、無理をしていたというか、必死だったというかの先行馬群を突き抜けて、勝った。
私はあらためてモリトハリウッドの血統を見る。父プリサイスエンド、母ラヴコマンダー、母の父コマンダーインチーフ。そうすることが私の、モリトハリウッドへの、石橋忠之さんへの祝福の行事。冗談をとばしているばかりの私の、せめてものキザなのである。
昼に私は、ウインズの近くの中華の店でビールの中ジョッキを手にし、石橋さんと兄弟のようだった松下征弘さん(冠名ステージの馬主だった)に天国から来てもらい、そこにいるつもりの石橋さんと3人、乾杯をした。
3日して石橋さんから手紙がきた。
「モリトハリウッド、3歳未勝利優勝。私の所見。離縁まぬがれた」
と書いてある。私は返事に、「モリトハリウッド、9戦1勝。私の所見。石橋の上にも三年」と書いたがそれをやめ、「私の所見。単勝を買えばよかったなあ」と書いてポストに入れた。
ようやく名を呼ばれて診察室に座り、
「何かお変わりは?」
と聞く医師に、
「べつに変わりないですが、今日は、7がそろったようで、病院から賞品でももらえるかなと」
冗談を言ったのだが、ちらっと医師の目線が私を通過し、返事はなかった。
おれ、冗談をとばすために生きてるみたい。そう感じて私は、ちょっと反省し、はずかしくもなった。
9月28日、日曜日の朝、JR桜木町駅前の広場にあるバス停のベンチに腰かけ、ランドマークタワーの下にいるじいさんと自分のことを意識しながら、京都で暮らす娘にケイタイをし、孫のリホコにかわってもらった。今日はリホコの誕生日である。
「おめでとう。いくつになった?」
「8歳」
「そうか。9歳、くさいかと思ったよ」
「まだ8歳やわ」
「ぼくもまだ77歳です。さあ、ここで問題です。77ひく8。すぐに答えてください」
ここでもおれはまた、冗談をとばしている、そう思い、少しナサケナイという気がした。
コーヒーショップへ入った。ウインズ横浜が近いので、となりのテーブルにいる痩せた老人と太った中年男が、スポーツ紙の競馬のページを読んでいる。
「9月も末というのに、まだ3歳未勝利戦というのをやってる」
と中年男が言い、
「同じ3歳のハープスターが、凱旋門賞を勝つかもしれないと言ってるのにな」
と老人は顔もあげずに言った。
「ハープスターにくらべたら、ずいぶんミジメなもんだな」
「ハープスター、ゴールドシップ、ジャスタウェイと、3頭も出る凱旋門賞が近づいて騒いでいるのに、3歳未勝利戦というのはミジメだ」
ふたりのやりとりを聞いていて私は、コーヒーをのんで窓からの晴れた空を眺め、どちらの男からも、ミジメという言葉が出たな、と思った。
ときどきだが私は、もし自分が競走馬だったら、3歳未勝利馬かもしれないと感じながら、3歳未勝利戦のパドックを見ていたりすることがある。そういう意識も、ミジメなのかもしれないなあと、私はホットドックを口にはこんだ。
9月28日の新潟の第3Rが3歳未勝利である。私は新聞をひらいて、出走馬15頭の名を見た。この15頭のスタッフ、持ち主は、それぞれの思いでレースを見るのだろうなあと考え、5枠9番のモリトハリウッドの名をしっかりと目にとめた。
馬主は石橋忠之さんである。千葉県香取市森戸が故郷で、「モリト」を冠名にした。
石橋さんはモリトの馬が勝つと手紙をおくってくるのだが、その手紙は「私の所見」として一行だけ、というのがおもしろい。
例えば2月1日、東京競馬場においてモリトビャクミが3歳500万下を勝った。すると、
「私の所見。馬の神さまに感謝」
とだけ書いてあるのだ。
4着が続くので、私がモリトヨンチャクと呼んでいるモリトハリウッドについての記事を競馬新聞で見つけた。
「外山の見解。善戦止まりが続くモリトハリウッドがラストチャンスのスーパー未勝利で、ブリンカーという勝負手を打ってきた。使いこまれているもののウッドでの軽快な動きからデキはキープ。飛び道具で詰めの甘さを補い、待望の初勝利だ」
そう読み、
「来週で終了する3歳未勝利戦。いわゆるスーパー未勝利と呼ばれる負けられない戦いが続いているが、それだけに陣営は新たな一手を打ってくるケースも多い。その最たる例がブリンカー装着。『ズルさが出てきた』と水野調教師。勝ち切れない競馬が続いていた同馬にとって、初のB装着は間違いなくいいほうに出そう。集中して走りさえすれば勝てる、と陣営は勝負に出た」
と「平場の隠し玉」というコラムも読んだ。
持ち馬がゲートに入ったあたりの、競馬場にいる石橋さんの姿が浮かんでくる。指定席でセカンドバックを膝に置き、背すじを立て、胸の前で手を合わせ、しばらく目を閉じるのだ。
ウインズ横浜へ行く。おれが単勝を買うと負けちゃうから買わないでおくよ、と私は石橋さんに言ったつもりで、石橋さんのマネをして、誰にも見つからないように10秒ぐらい合掌した。
1番人気は北村宏ダイワバリューで単勝1.9倍。2番人気が伊藤工サウスキングで4.8倍。吉田豊モリトハリウッドは3番人気で5.5倍。ドンケツ15番人気は古川吉メイショウエクサで489.3倍。そんなことを調べながら、このレースを勝つのは、凱旋門賞を勝つよりもむずかしいじゃないかと思いもした。
ゲートがあいた。モリトハリウッドは中団につけ、そのまま無理をしないで4角をまわり、直線でしぶとく伸びてきて、無理をしていたというか、必死だったというかの先行馬群を突き抜けて、勝った。
私はあらためてモリトハリウッドの血統を見る。父プリサイスエンド、母ラヴコマンダー、母の父コマンダーインチーフ。そうすることが私の、モリトハリウッドへの、石橋忠之さんへの祝福の行事。冗談をとばしているばかりの私の、せめてものキザなのである。
昼に私は、ウインズの近くの中華の店でビールの中ジョッキを手にし、石橋さんと兄弟のようだった松下征弘さん(冠名ステージの馬主だった)に天国から来てもらい、そこにいるつもりの石橋さんと3人、乾杯をした。
3日して石橋さんから手紙がきた。
「モリトハリウッド、3歳未勝利優勝。私の所見。離縁まぬがれた」
と書いてある。私は返事に、「モリトハリウッド、9戦1勝。私の所見。石橋の上にも三年」と書いたがそれをやめ、「私の所見。単勝を買えばよかったなあ」と書いてポストに入れた。