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第337便 リラ祭

2023.01.11
 モーリスとジェンティルドンナの娘、ジェラルディーナが第47回エリザベス女王杯を勝った11月13日の夜、東京の大田区羽田に住む小沢さんから電話がきて、
 「いやあ、しばらくですね、百年ぶりのような気がする」
 と私が言った。コロナ禍の前には、ウインズ横浜や、その近くの酒場で、ちょこちょこ会っていたのだ。
 「今日、とんでもないことが起きちゃったんですよ。エリザベス女王杯の3連複が当たっちゃったんです。もうねえ、びっくり。まさかのまさか」
 と言う小沢さんは75歳。数年前まで私立女子高で英語を教えていた。北海道の苫小牧市生まれ。父親が牧場で働いていて、子供のころから競馬を知っていた。数年前にウインズ横浜近くの居酒屋で知りあい、父親が働いていたという勇払郡鵡川町の牧場へ私は行ったことがあって話が弾んだ。
 1着が4番人気ジェラルディーナ、2着が5番人気ウインマリリン、3着が12番人気ライラック。3連複⑬-⑮-⑱。9万210円。それを小沢さんは200円買っていたという。
 「10日ほど前に、良さんも何度か行ったことのある蒲田の小さなバー(ゆきえ)のママの幸枝さんが、8月に死んだというのを知ったんですよ。
 乳がんを手術したりして、店は去年閉めて、船橋にいる娘さんの世話になるとかって蒲田は引きあげたんです。
 たまたま蒲田に用事があって、(ゆきえ)のあった路地を、なつかしいなあって歩きに行ったら、(ゆきえ)のとなりの総菜屋のおばさんと顔があって、幸枝さん、死んじゃったって」
 「幸枝さん、何歳だったんだろう」
 「62」
 「いい女だったなあ。誰にでもやさしくて」
 「つまり、3連複にライラックを入れたのは、幸枝さんへの追悼馬券というわけだったんです」
 と小沢さんが言った。
 バー「ゆきえ」には競馬好きの客がけっこういて、幸枝さんも気が向くと馬券を小沢さんに頼んで買ったりしていたのだが、ラッキーライラックという名の馬がいるのを知ると、その出走の度に単勝を1,000円買うようになった。
 ラッキーライラックが2017年の阪神JFを勝ったときは、ライラックはフランス語ではリラで、「ゆりえ」で「リラ祭」とか言って、客が幸枝さんを乾杯で祝福し、その晩、私もリラ祭にいた。
 幸枝さんは釧路の生まれ。中学生時代に親が離婚し、母親と住んだアパートの窓のすぐ近くに、ライラックの紅紫色の花が咲いているのが、そのころの思い出として、強く残っているという話を、リラ祭のときに私は聞いている。
 幸枝さんは高校生になると、札幌へ母親と移った。キャバレーで働く母親と暮らした従業員寮の小さな庭にもライラックがあって、そのときの紅紫色の花もよくおぼえていて、自分とライラックは縁があるなあと思っていたのが、ラッキーライラックの馬名からよみがえってきたという話も聞いた。

 2018年、チューリップ賞を勝ったラッキーライラックは、桜花賞で1番人気になったが2着だった。それでオークス。幸枝さんは自分が住む町の穴守稲荷に祈願をし、小沢さんに東京競馬場へ連れてってもらった。
 1着1番人気アーモンドアイ、2着4番人気リリ―ノーブル、3着2番人気ラッキーライラック。その日の3,000円買った幸枝さんの単勝馬券は、小さな額におさまって、バー「ゆきえ」の壁の隅っこに飾られていた。
 「ジェラルディーナとウインマリリンは穴っぽくて狙ってたんですよ。でね、ふいっと、ライラックに気が行ったのは、幸枝さんを思いだしたんですね」
 と言う小沢さんの電話は、うれしさと悲しさが混ざっていた。
 「小沢さん、凄いよ。おれ、そういうの、凄いと思うんだなあ。話が違うって言われるかもしれないけど、今日、小沢さんが、幸枝さんのラッキーライラックを思いだして、ライラックを3連複に入れたという話、ほんと、何も通じないだろうけど、プーチンにしてみたいなあって思うんだ。
 だって、プーチンだって人間なんだし、小沢さんもおれも人間なんだし、死んでしまった幸枝さんも人間。人間どおし、本当は、話が通じる筈なのに、まったく通じなくて、ウクライナで戦争をしてるんだ」
 そう私は言った。
 「エリザベス女王杯が終わってから、ずうっと考えてたんだけど、良さん、わたし、どこかで、わたしがライラック馬券で儲けたお金で、幸枝さんのお別れ会というか、リラ祭をしたいなあって。
 幸枝さんをよく知ってる人は何人もいるし、死んじゃったけど、みんなで集まって、リラ祭をしたいんだけど、どうだろうか」
 「やろうよ。幸枝さん、よろこぶよ。みんなで、幸枝さんがカラオケでよく歌ってた歌を、みんなで合唱しようよ」
 と話が決まった。
 電話のあと、私は幸枝さんに手を合わせた。私は30歳のころ、宝石会社の札幌営業所にいて、釧路のデパートや時計店にも出張している。私の知ってる思い出の釧路を頭に浮かべ、その地で中学生だった幸枝さんが印象に残っているというライラックの花を想像してみた。
 幸枝さんは札幌でもライラックの花に縁があったと言ってる。札幌で生活したことのある私は、高校生だった幸枝さんが母親と暮らしていたというキャバレーの従業員寮を想像し、そこの庭で咲いていたというライラックの花も想像してみた。
 幸枝さんの死は悲しいけれど、今夜の小沢さんからの電話は、とてもうれしい電話だったなあと思った。
 数日して小沢さんから電話があった。
 「馬券仲間が知りあいのバーにかけあって、店をあける前の2時間を貸してくれるってことで。11月25日、金曜日。みんなジイさんで午後2時からってことで、参加してくれませんか」
 「行きますよ。リラ祭、行かないわけにはいかない。そういうことのために生きてるんだから」
 と返事をして、幸枝さんの笑顔を思いだした。
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