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第338便 53年、ひとりで

2023.02.14
 2022年の有馬記念の日、午後1時からはグリーンチャンネルとの仕事の約束があるので自由はないと思い、午前中に中山競馬場をうろつきまわった。
 パドックを見つめ、馬券を買うほかに、私の場合、競馬のことを書く仕事の都合で、競馬場の空気を、うろつきまわって吸いあげるのも、長年の習性なのである。競馬場にはいろいろな人が来る。そのいろいろな人の表情、ふるまい、会話などに触れるのも、私の競馬なのだ。
 2022年の有馬記念の中山競馬場をうろつきながら、ふと、気になりはじめたことがあった。スタンドにも、パドック辺りにも、オジさんとジイちゃんが少ないなあと思ったのである。コロナ禍の前の有馬記念の中山競馬場には、もっと、オジさんとジイちゃんがいたよなあと思ったのだ。
 そうか、ネットで入場券の抽せんとか、おれもしないしなあ、と私は若者たちでにぎわうスタンドを眺めた。
 雑誌「優駿」の81年のあゆみとか、その番組の制作のため、私はカメラに写り、インタビューに答えたりしていた。
 私の「優駿」での初めての仕事は、大崎昭一騎乗のグリーングラスが勝った第24回有馬記念の観戦記で、1979(昭和54)年のこと。43年も昔、私は42歳だった。今年の第67回有馬記念の観戦記を、と「優駿」から仕事がきたとき、「ヤッホー!」と私は、何かに、誰かに伝えた。
 ルメール騎乗のイクイノックスの圧勝だった。私は3連複5点勝負をしていたが、当たったのでびっくり。私の馬券はめったに当たらないので、うれしくてフィッと口笛を鳴らしてしまった。いっぺんに幸せになるから、馬券をやめられないのである。
 友だちと会う約束の西船橋へ行くのだが、船橋法典駅が入場制限で、しばらく時間をつぶさなければならない。腹ペコだったので、地下でうどんを食べた。うまかったなあ。
 法典駅へと歩いた。このトンネル、こんなに長かったかなあ?おれ、85歳10か月。体力と気力をタメされてるみたいに感じた。
 有馬記念のあくる日の午後、私の家からはバスで20分ほどの藤沢市のアパートに住む佐々木岩男さんから、昨日は中山へ行ったのか?って電話がかかった。
 「考えてみたら、おれ、コロナで駄目だった去年とおととしは別にして、それまで、カブトシローの有馬からリスグラシューの有馬まで、有馬は欠かさずに中山へ、ひとりで行ってるんだよね。
 計算してみたら、53年。おれ、53年、有馬を見に行ってるんだ、ひとりで。
 昨年は中山へ入れないから、仕方なく、横浜の場外へ行くって決めてたんだけど、朝からなんだかメマイがひどくて、無理したらどこかで倒れると思って、泣き泣き、馬券も買わずに、テレビ見てた。こんな有馬、初めてだって、泣きたくなったけど、ま、仕方ねえってあきらめた。ほんと、アリマでなくて、アレマー記念だ」
 と岩男さんが笑った電話のあと私は、カブトシローからリスグラシューまでの53年、岩男さんはひとりで、中山で有馬記念を見ていたのだとあらためて思った。

 おない年の岩男さんとは、60歳のころ、藤沢の居酒屋で知りあった。青森県三戸郡五戸町出身。中学卒業後、横浜のホテルのコック見習になったが、20歳になった1957(昭和32)年から5年間、北海道新冠郡の牧場で働いている。父  親が五戸町の牧場で働いていたという影響で、岩男さんも競走馬生産牧場へ転職したようだ。
 そのころの話を岩男さんから聞くと、川崎で走っていたダイゴホマレが中央入りしてダービーを勝ち、ハナ差2着のカツラシユウホウ。どちらも、青森の牧場の生産馬だ。
 結核にかかってしまって岩男さんは牧場をやめ、横浜市に戻って療養生活。30歳で藤沢市の家具製作所に就職をした。
 その話を聞いたときに私は、グリーングラスを生産した青森県上北郡天間林村の諏訪牧場や北海道新冠郡の景色を思いうかべていたのだが、
 「おれ、ダメな男なのよ。女とさ、家族とか作りたかったけど、2度、2度とも何か月か何年か暮らしたけど、うまくいかなくて、結局、それからずうっとチョンガー暮らし。おれの人生、競馬しかなかったのかなあ」
 という岩男さんの、長いひとりごとのような話を聞いて、ワケもなしに私はグラスを、岩男さんのグラスにぶつけていた。
 「アリマでなくて、アレマー記念だ」
 という岩男さんの声を思いだし、今日は2022年12月26日、もうすぐお正月とか考えているうち、「53年、ひとりで、有馬」が頭を占め、その有馬の日に部屋に閉じこもってテレビを見ていた岩男さんに、今日はどうしても声をかけようと私は決めた。
 布袋に缶ビールを4本、センベイや柿のタネやビスケットを突っこみ、もう日暮れたバス停にいるとき、どうしてかカツラシユウホウという馬名が浮かんできた。
 それも岩男さんから聞いておぼえているのだが、カツラシユウホウという馬、皐月賞もダービーも菊花賞も2着で、ダービーを勝ったあとは惨敗ばかりしていたダイゴホマレも変だけど、カツラシユウホウという馬も変だよなあ、それにおれも、ひとりの女も幸せにしてやれない変な人間だよなあと。そう言って岩男さんが笑顔になろうとした昔のひとときがよみがえってくる。
 バスに乗った。座った。息をととのえた。「どうして岩男さんに会いにいくのだ」
 と私は自分に質問している。
 「どうして?」
 「そんなこと、聞かないでくれ」
 「いや、どうしてか、知りたい」
 「どうしてかなんて、考えたくない」
 と自問自答が続いた。
 岩男さんが住む二階への外階段を、一段ずつ踏みしめるように上りながら、岩男さんの顔を見ても、決して泣くまいぞと、私は自分に強く言い聞かせ、ドアのボタンを押すと、ピンポーンと鳴って、少しして、「ハイ」と、岩男さんの声がし、「イクイノックス・ルメールです」と私は言っていた。
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