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第346便 心情馬券

2023.10.11

 襲いかかってくるような陽射し。炙られるような舗道からの地熱。2023年の7月と8月は、異様な暑さの連続だった。その異常は北国にもひろがっていて、札幌や青森の友だちからも、変だよなあと声が届く。
 8月末の日曜日、東京の墨田区向島に住む富彦くんが私の家へ遊びにきた。富彦くんは47歳、老人介護施設で働く奥さんと、中学生の娘ふたりと暮らしている。仕事は高校を卒業して青森県上北郡から上京してきて以来、変わらずに道路工事会社で働いている。
 「ときどき、富彦くんのことが頭に浮かぶよ。そうだよ、この夏も外で働いているのかって」
 「地獄ですよ。長距離トラックのナンタラって法律みたいなのが出来たらしいけど、夏の屋外労働には何の変わりもないなあ」
 と富彦くんは笑った。
 そう、私は「富彦くん」と呼んでいるけれど、知りあったのは彼が25歳のころで、それで「富彦くん」だが、彼が40歳になったころ、「富彦さん」に呼び名を変えてみたところ、「変えないで下さい」って富彦くんから頼まれたのだった。
 富彦くんとの出会いは、私の記録ノートにもしっかり書き残してある。2001年9月2日のこと、友だちが営む向島のバーに行くと、カウンターのとなりにいた若者が、競馬でとんでもない穴馬券を当てたということだった。その若者が富彦くんで、その日、私も、富彦くんと同じく、ウインズ錦糸町にいて、その帰りに寄ったバーでということだった。
 富彦くんはその日の小倉2歳Sの勝ち馬タムロチェリーの単勝を1000円買っていたのである。小池隆生騎乗のタムロチェリーは15頭立ての15番人気。単勝は1万780円。
 「どうして買えたの?」
 「ぼくの父も母も、青森牧場で働いていました。それでボクも、ずうっと、牧場の空気を吸って育ったんです。で、青森からずうっと、ダービーにもたくさん出て、たくさん勝ってるのに、最近はダメで悲しかった。タムロチェリーは青森の上北郡の諏訪牧場の生産馬で、それで」
 と富彦くんが言うのを聞きながら、半年ほど前に取材仕事で歩いてきたばかりの、青森の盛田牧場や浜中牧場や諏訪牧場の風景を思いだしていた。
 「ボク、1976年11月14日生まれなんです。昭和51年です。その日、諏訪牧場のグリーングラスが菊花賞を勝ったんです。騎手は安田富男で、父はボクの名前に、富男の富をつけて。
 1979年にグリーングラスが有馬記念を勝って、騎手は大崎昭一。その年の12月に生まれたボクの妹は、昭一の昭から、昭枝という名です。父は青森のグリーングラスがうれしくてうれしくて」
そう富彦くんが言うのを聞きながら、富彦くんのタムロチェリーの馬券こそが、心情馬券というものだなあと私は思った。
 それからの長いつきあいになった。
 「AI時代とかに変わって、日本も、ボクみたいな労働者はいなくなってきましたね」
 そうした話も、よく電話でする。
 その日、テレビに、札幌競馬場のキーンランドカップのパドックが映っていた。
 「どうして青森に競馬場がないのかなあ」
 と富彦くんがひとりごとを言った。
 画面をゼッケン4をつけたキミワクイーンが歩いている。
 おれ、キミワクイーンの心情馬券をずうっと買ってるの」
 と私が言い、その訳を富彦くんに話した。


 2021年の夏のこと、出版社勤務で競馬好きの、友だちの水木英さんから便りがきた。
 「新潟2歳Sで6着だったキミワクイーンのレースを見ていたら、誰かに語りたかった6月のことを手紙に書きたくなりました。
 6月のこと、熊本へ旅をし(なぜ熊本かはカット)、湯布院、高千穂、阿蘇をひとりでドライブ。夕刻、熊本城のふもとに着きました。アテなどなく、コロナ禍で閑散とした商店街をふらふら。(青柳)つう名前の店がまえが格好よい。
 白木のカウンター席で、ふとグラスを持つ手が止まったのは、お隣に座っていた男性二人から、今日の府中の競馬の話が聞こえたから。
 熊本の小料理屋さんに競馬好きのおっさんがいても不思議じゃないけど、どうも二人のうちの一人が馬主のようなのです。
 その馬主の浦邊輝實さん(あとで知ったお名前)の愛馬キミワクイーンが、その日(6月20日)、府中の新馬戦、芝1400で勝った。父ロードカナロア、母チェリーペトルズ、母の父ダイワメジャー、追分ファーム産。
 うーん、日本広しといえども、今日、その日に新馬戦があったのは、東京、阪神、札幌。3か所で1レースずつ。今、となりで笑ってるおっさんは、日本で3人しかいない(本日、デビュー勝ちした馬のオーナー)なのだ。
 ぼくはコーフンしてしまい、拍手喝采。こんなめでたい偶然はめったにと、カウンターの奥の大将にも力説し、もちろんおふたりとも高らかに乾杯をした。
 その奇遇がうれしくて、宿でもひとり、競馬に乾杯をしたのでした」
 読んで私も、うれしい手紙だなあと読みかえし、競馬に乾杯!と酒のグラスをもちあげた。
 なんだか私も、水木英さんからの手紙を通してキミワクイーンと縁があるような気分になり、それからキミワクイーンが出走すると、単勝馬券を買っている。2023年6月11日の函館スプリントSでキミワクイーンが重賞初制覇をしたときは、テレビの前でふるえてしまった。
 私からキミワクイーンの話を聞いた富彦くんが、
 「すごく気になったり、特別に応援している馬がいると、元気が出るんですよね。それに、そういう馬がいると、その馬が引退してしまったあとも、自分の気持ちのなかでは引退なんかしていなくて、ずうっと走ってる。
 今でもボクはタムロチェリーの、桜花賞12着、オークス12着、秋華賞13着をおぼえてます。
 他人にはまったく関係ないけど、ボクにはタムロチェリーは永遠の馬なんですよね。タムロチェリーと一緒に生きてるんです」
 そう言うのを聞いて、私も元気になる。

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