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第354便 手紙を書く

2024.06.12

 ジイさんになってしまった私は、手紙を書くこと、手紙をもらうことで生きている。
変なことを言うなよと思われるかもしれないが、ほとんどの日、誰かしらに手紙を書き、誰かしらからの手紙を読んでいる。
 例えばウインズ横浜近くの酒場で知りあったY・Tさんは、定年まで勤務した大手の保険会社に在職中、転勤で苫小牧支店で働いた。
 「苫小牧にいた3年間では、えりも、様似、静内、富川、門別、鵡川、苫小牧、白老、室蘭、伊達、そして千歳、恵庭と担当地域は広く、その移動では必ず牧場がありました。
 仕事で伺った牧場は覚えているだけで、社台、ノーザン、吉田牧場、三石橋本牧場、三嶋牧場、谷川牧場、日進牧場、千代田牧場、岡田牧場、高昭牧場、桑田牧場などです。
 苫小牧へ赴任するまで、競馬を全く知りませんでしたが、どうしたって知るようになり、ウインズ室蘭で馬券を買うようになりました。
 その後、青森勤務、大阪勤務と変わりましたが、夏の大阪の地獄のような暑い日、苫小牧の夏を思い返したり、さくらの季節になると静内の二十間道路の桜並木でのバーベキューを思いだしたり。
競馬はどんどん好きになって、今はラフィアンとキャロットの会員になっています」
 と横浜在住のY・Tさんは手紙をくれて、それ以降、何年にもわたって、月に1通は便りが届き、うれしいから私も便りをおくる。
 例えば札幌競馬場で知り合ったグループのひとり、もうじき還暦のU・Nさんは、10年前まで神戸で暮らしていたが離婚して故郷の札幌に帰った。母と二人暮らしの彼女は、夏は競馬、冬は山歩きが生活のテーマだ。
 「2月3日に札幌は大雪があり、積雪はかなり多かったのですが、だいぶ消えました。
 この半年間、仕事探しをしていましたが、縁あって、前の会社から声をかけていただき、同じ部署に復職することになりました。明日が初出勤です。ハローワークで仕事は探していたのですが、年齢的なこともあり、希望する所は困難でした。
 冬の間も山には登っていました。札幌近郊が多かったものの、日高山脈の南端の十勝岳と野塚岳、野塚岳西峰に登りました。
 天馬街道から入山するふたつの山はアプローチがしやすいため、人気の山です。
とは言え、日高山脈なので厳しさもありました。お天気に恵まれたので絶景を見ることが出来ました。  あと印象に残ったのは然別湖湖畔付近から登るペトウトル山です。東大雪の山々がきれいに見えて感動的。冬にしか見られない光景に出会えて幸せでした。
 登山で日高方面を訪れると、仔馬たちが母馬に寄りそっている姿を見ることができます。その姿を見ながら、今年の夏の札幌競馬場で、とうれしくなります」
 読んで私は、冬山を歩く人の孤独と充実を感じてうれしい。彼女との便りも月に1通、休みなしだなあ。
 例えば牧場見学ツアーで知りあった、社台グループの共有馬主クラブ会員の、三重県四日市市に住む電気工事業のK・Iさんは、息子のマサキくんが小学校1年生の時にぺルテスという病気に襲われて苦労している。私はマサキくんと病気になる前に会っており、入院生活になったマサキくんに励ましの手紙を書いている。
 入院しながらもマサキくんは通学もし、5年生になって、家に帰れてリハビリに必死だ。
 「1月4日から北海道に行き、帯広競馬で、協賛レース、将希ぺルテス完治記念というレースをしました。
 第6レースで、出走馬にレッツゴーマサクンという馬が出走してオドロキ。異様に人気になっていたのは、将希とマサクンのサイン馬券かなと。
 わたしもレッツゴーマサクンからの馬券をたっぷり買ったのですが、なんとマサクンは7着。へこたれるより笑ってしまいました。
 将希は場内アナウンスとかで、自分の名前が連呼されて、とても喜んでいました。
 まさか帯広競馬で、将希ぺルテス完治記念をやるとは、自分でも、自分は変な奴だなあと思いました」
 読んで私は、「たしかに変な奴だけど、拍手!」と手紙を書く。K・Iさんと将希くんの手紙のやりとりも続いている。


 例えば10年前に牧場取材で会い、私の「烏森発牧場行き」を読んだ感想を手紙でおくってくれた新冠の牧場ではたらくS・Oさんとも、それから便りのやりとりが始まった。
 「今日、わたし、28歳になりました。高崎市の食品加工会社をやめて、思いきって、北海道に移り住んで10年になります。なんだか、ほんとうになんだか、月日の流れというのは、ナゾのように早いなあと、コンビニで買ったケーキをひとりで、自分の誕生日祝いで食べながら感じました。
 こちらはやっと、あたたかい日が増えてきました。ふきのとうが馬場の隅、道路脇にたくさん顔を出していて、おいしそう、なんて思いながら見つめてしまっているわたしです。
 パドックや馬場で馬たちが、なんだかボーッとした目をしてるなあと思って近づくと、馬っ気を出していて、春だなあとしみじみ思う下品なわたしです。
 昨日のこと、ドンちゃん(ニックネーム)の乗る馬をうしろから突っつくように乗ってくれって場長に言われたのに、わたし、ハイペースになってしまってオサエられずに抜いてしまった。オーバーベースになってしまった自分のミスを思いながら、まさか娘が、そんな誕生日をおくっているなんて、高崎にいる両親や兄は想像もしてないですよね。わたしの幸福、わたしにしか分からない」
 読んで私は、牧場で働く人の日常を想像し、「ボクにも、ボクにしか分からない幸福、あるよ」と、S・Oさんに手紙を書く。S・Oさんの便りは、月に2通。それが10年、続いている。
 例えば門別の先、厚賀の旅館で京都の板前のJ・Uさんと知りあったのは30年前。今は彼、八坂神社の近くで店を営み、相変わらず競馬を愛している。彼との手紙のやりとりも30年になるなあ。
 ごめん。私にしか分からない私の幸福のこと、書いてしまった。変なことなのかもしれないのに。

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