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プロフィール
吉川良作家

1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

最新記事一覧

  • 第212便 新橋の「パドック」 2012.08.13

     7月3日、新橋駅に近い内幸町ホールにいた。「第14回けやき会、もの語りの世界」。その昼の部である。客席は満席だった。 フリーのアナウンサーである4人の女性が順番に、舞台中央の台に腰かけ、それぞれの演目を語る。照明と音楽はひかえめ。 4番目が深野弘子さんで、ゆきのまち幻想文学賞受賞作品、宇多ゆりえ「おいらん六花」を語る。吉原が舞台の話だ。 昔、昭和50年代、深野さんはラジオ日本の競馬中継のアナウンサーとして人気者だっ...

  • 第211便 前向きウシロ向き 2012.07.17

     ディープブリランテがフェノーメノの追撃をハナ差しのいで、2012年のダービーは終わった。 戦い済んだ馬たちが戻ってくるのを、私は地下馬道で待っている。 「やるだけのことはやった。仕方ない」という空気が、騎手たち、馬たちから流れてくるなか、「仕方ないで済むか」と悲鳴が聞こえるようにして、フェノーメノと蛯名正義騎手が戻ってきた。 私は息を詰めた。蛯名正義騎手の表情が私に、銃弾を撃ちこんだのだ。20度目の挑戦となるダービー...

  • 第210便 アタンナイ、ヤメタラ 2012.06.13

     ピーコという名のセキセイインコが逃げだし、警察に保護され、「サガミハラシミドリク......」と番地までしゃべったので、飼い主の女性のもとに戻ってニュースになったとき、 「ミヤさん、元気かなあ」 私が言い、 「あっ、わたしも、ミヤさん、どうしてるかなあと思った」とかみさんが言った。 5年ほど前まで、ミヤさんは奥さんのキクさんと、私の家から歩いて20分ほどの森のなかに住んでいた。女子大で英語を教えていたミヤさんの楽しみは...

  • 第209便 Yes!Yes!Yes! 2012.05.23

     4月8日、阪神競馬場に着くと、第5R3歳500万下の出走馬がパドックを歩いていた。 競馬場に着いてすぐの馬券は、1番人気から人気順への馬単、と私は決めている。運だめしみたいな遊びだ。 ダートの1200。1番人気はミルコ・デムーロ騎乗のヒカルマイソング。スタートから4角まで中団にいたが、じわじわじわじわと長く脚を使って1着。ハナ差で2着が4番人気のケージーハヤブサ。馬単⑧-⑮が的中。2570円。誰も私に声をかけてくれたわけではな...

  • 第208便 反戦運動です 2012.04.13

     鎌倉駅の改札口を出ると、バスターミナルに鎌倉山経由江の島行きが待っている。グッドタイミング。途中のバス停笛田が私の家に近い。 バスに乗ろうとしたとき、「大仏に行くの、これでいいかね?」老人に聞かれる。これでいい。「ありがとう」 老人はふたりの老婆と3人組だ。席に落ち着き、通路をへだてた席の老人たちの会話を聞いていて、語尾の独特な調子から、福井だなと思ったが、そうは言わず、 「どちらからですか」と聞いてみた。 「...

  • 第207便 「なんだよ」の2月 2012.03.15

     寒い日の午後、鎌倉駅に近いコーヒーショップに入ると、「おや?」という老人の顔とぶつかった。私の顔も、「おや?」になる。 老人と私は家が近所どうしで、私とかみさんは老人のことを、ブル先生と呼んでいる。30年も同じ住宅地にいて、ブルという名のブルドッグを飼い、そのブルが死ぬと、またブルドッグを飼って、名前がブルと変わらないのを知っているのだ。 ブル先生は京都にある大学で経済学を教えているようだ。 「新幹線に乗って授業...

  • 第206便 そこらへんの奴ら 2012.02.13

     去年の秋だったなあ、塗装工のタケちゃんと知り合いになったのは。 東京競馬場のメモリアル60スタンドの地下、立ち食いでラーメンを食べていたら、近くでやはりラーメンを食べていた若者と顔が合い、どっちもおたがいを、どこかで会っているよなあという目つきになった。 それで、「どこで会ったんだっけ?」と私から声をかけ、声をかけてみると思いだせた。2年ほど前の私の家のリフォーム工事のとき、塗装屋の親方といっしょに来て、何日間か...

  • 第205便 運、不運 2012.01.12

     ひとりで酒をのんでいるときなど、なんとなくだが、おれの人生、運がいいのかもしれないと思ったり、おれの人生、運がないなぁとか思ったりしていることがある。 明るい奴と暗い奴とがいるが、おれの人生は運がいいと思えるのは明るい奴で、おれの人生は運がないと思ってしまうのが暗い奴なのかな?ま、明るくなったり暗くなったりするわけだけれども、なるべくなら、おれの人生は運がいいと思って、明るい奴になったほうがいいのかもしれない。...

  • 第204便 フラットくん 2011.12.06

     仕事を終えると,歩きに行く。夏の終わりのころ,山道の石段をゆっくりと上がり,サッカーや陸上のグラウンドと野球場とのあいだ,バスケットボールのゴールポストがひとつ立っている抜け道のベンチで休んだ。遠くの少し赤い空に富士山が見える。まだ蝉が鳴いていた。 「こんにちは」 ボールをドリブルしながら現われ,足を止めてゴールを狙い,見事にシュートを決めたのはフラットくんだ。こうしてひとりで遊んでいる小柄なフラットくんを,た...

  • 第203便 友だちの元気な声 2011.11.11

     テレビのコマーシャルを作ったりミュージカルの製作をしたりしていたキタムラさんが,20年も育ててきた会社を72歳で若い人にゆずって3年が過ぎる。今は電話で馬券を買うか,ときどきはウインズ銀座に出かけるか,それとクラブの40分の1馬主(何頭か持つなかにサンカルロがいる)を楽しんいる。 キタムラさんと私が銀座のビヤホールで酔っているときだった。すぐうしろのテーブルに若い人が3人いて,その人たちは私を知らないが,私はその人た...

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