烏森発牧場行き
1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。
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第309便 黄金旅程 2020.09.11
「浦和の安藤です。いつも年賀状をありがとうございます。年賀状のみのおつきあいでしたけれど、とてもうれしかったです。 夫の直行が6月4日に死去しました。コロナ禍なのにひとり旅で木曽路へ行き、宿で心筋梗塞に襲われてしまいました。71歳でした。 今日は7月13日です。それが手紙を書きたくなった理由です。直行は誰彼となく、お酒をのんだ時など、2009年7月13日のことを得意そうに話していました。 お忘れかと思いますが、2009年7月1...
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第308便 ヒニチジョウ 2020.08.11
「自分で電話が出来ればいいんですけど、最近は補聴器もつけたがらないから耳がダメで、それでわたしに電話してくれって言うんです。 ほんと、すみません。わがままなんです。毎日のように、よしかわさんに電話しろって。」 と世田谷の病院に長期入院しているKさんの奥さんから電話がくる。Kさんは86歳。 私は見舞いに行く。牧場ツアーに行って放牧地の草の上で冗談を言いあったときのこと、競馬場で一緒にレースを見てたときのこと、競馬場の...
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第307便 バー「たられば」 2020.07.10
「あと3日でダービー。スタンドに人がいない、新型コロナウイルスダービー、とか思いながら、そうか、おれ、ダービーのことを考えてる場合じゃないのだ。自分が食っていけるかいけないか、それを考えなくてはならぬのだ、と笑った」 と私にメールをしてきたのは、相模原市に住む34歳の原田くん。独身。タクシー運転手をしながら画家をめざしている競馬好き。数年前に府中の酒場で知りあい、原田くんが出品したグループ展に行ってからのつきあい...
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第306便 余計な心配 2020.06.11
私が買う馬券はめったに当たらない。だから、間違ったように当たると、いっぺんに幸せになる。その、いっぺんに幸せになる、というのが忘れられなくて、60年以上も馬券とつきあっているのだろう。 言わせてもらえば、馬券を買えないほどに貧しくはなるまいぞ。そう思って、必死に働いてきたつもりだ。馬券が私を、叱咤激励し続けてくれたのである。 競馬場でいっしょに馬券をやる若い奴が、 「よくもそんなにハズれ続けて、何十年も馬券をやっ...
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第305便 ウインズ休止 2020.05.14
「あんなに競馬が好きだったのに、競馬のテレビをつけても、見ているんだかいないんだか、何も反応しないで、ただぼんやりしてるんです。 認知症っておそろしい。人間って、こんなふうにもなっちゃうんだって」 と電話をしてきた勇さんの奥さんが、 「ただね、昨日、三度くらい、ヨシカワ、ヨシカワって、わたしに言うの。 ヨシカワが、何、って聞いてみても、ただ黙って、話は続かないんです。 すみません、ほんとうに勝手なお願いなんですけ...
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第304便 古井さん 2020.04.10
「日本の純文学作家の最高峰の一人で、内向の世代を代表する古井由吉さんが18日、肝細胞がんで死去した。82歳だった。葬儀は近親者のみで営んだ」 と新聞で読んだ2月の朝、庭の地面に低く咲いていたクリスマスローズの色をしばらく見つめたあと、仕事部屋の書棚から抜いた古井由吉作品集「明けの赤馬」を机に置き、合掌した。 古井さんは競馬が好きだった。雑誌「優駿」に競馬エッセイを連載し、競馬会広報に関わる人たちが集まる東京競馬場と...
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第303便 無時間 2020.03.11
「暦では新しい年を迎えたが、そうした時計が刻む通常の時間、とは異なる時間がある、と谷川さんはいう。その時間の中では、死者たちも、一種の幻想みたいに存在しつづけている、という。谷川さんはそれを、無時間の時間と呼ぶ。肉体にこそ通常の時間が刻まれていくが、無時間を生きる魂や心は死ぬことはなく、不老不死。だから武満徹や大岡信ら親友が亡くなっても、寂しくないという感覚がずっとある」 と赤田康和という人が書いた文章を新聞で...
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「こんなことやってるんですよ。メンバーのほとんどがジィさんバァさん。もし見てもらえたらうれしいなあ」と去年の2月だったかウインズ横浜で、75歳の野田さんからハガキを渡された。野田さんは元銀行マンで、老後を馬券で楽しんでいる。 プロの画家を先生にして、趣味で絵を描くグループの作品発表展が、横浜のランドマークタワーのなかのギャラリーで開催する案内状のハガキだ。 「このギャラリーは、横浜美術館へ行った帰りに寄るので知って...
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東京競馬場に着くと、第4R3歳以上1勝クラス、ダート1600に出走する16頭がパドックを歩いていた。 パドックで見ても何も分からない私なのだが、競馬場へ来たら殆どのレースのパドックを見ている。パドックで馬を見ているのが好きなのだ。すばらしい景色で、好きな絵で、それを見ているのが幸せなのだ。 着いてすぐのレースは、1番人気馬から上位4頭への馬単を4点買うのが、この数年の私の決めごとである。 1階スタンドのゴールポストが真...
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私が句会「凡の会」に参加したのは70歳のときである。冬に、家の近くの大野さんの家で昼間から酒をのんでいたら、障子に蝿のような黒い小さな生きものがちょろちょろと動いて消えた。 その部屋に大野さんが作った俳句を筆書きした短冊がいくつか立っている。 「ぼくにも一句、浮かんできました」 そう私が言うと、大野さんがボールペンとメモ用紙を私の前に置いた。 「真昼より酔うてそうろう冬の蝿」 そう私が書いたのをきっかけに、大野さ...