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プロフィール
吉川良作家

1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

最新記事一覧

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     4月8日、阪神競馬場に着くと、第5R3歳500万下の出走馬がパドックを歩いていた。 競馬場に着いてすぐの馬券は、1番人気から人気順への馬単、と私は決めている。運だめしみたいな遊びだ。 ダートの1200。1番人気はミルコ・デムーロ騎乗のヒカルマイソング。スタートから4角まで中団にいたが、じわじわじわじわと長く脚を使って1着。ハナ差で2着が4番人気のケージーハヤブサ。馬単⑧-⑮が的中。2570円。誰も私に声をかけてくれたわけではな...

  • 第208便 反戦運動です 2012.04.13

     鎌倉駅の改札口を出ると、バスターミナルに鎌倉山経由江の島行きが待っている。グッドタイミング。途中のバス停笛田が私の家に近い。 バスに乗ろうとしたとき、「大仏に行くの、これでいいかね?」老人に聞かれる。これでいい。「ありがとう」 老人はふたりの老婆と3人組だ。席に落ち着き、通路をへだてた席の老人たちの会話を聞いていて、語尾の独特な調子から、福井だなと思ったが、そうは言わず、 「どちらからですか」と聞いてみた。 「...

  • 第207便 「なんだよ」の2月 2012.03.15

     寒い日の午後、鎌倉駅に近いコーヒーショップに入ると、「おや?」という老人の顔とぶつかった。私の顔も、「おや?」になる。 老人と私は家が近所どうしで、私とかみさんは老人のことを、ブル先生と呼んでいる。30年も同じ住宅地にいて、ブルという名のブルドッグを飼い、そのブルが死ぬと、またブルドッグを飼って、名前がブルと変わらないのを知っているのだ。 ブル先生は京都にある大学で経済学を教えているようだ。 「新幹線に乗って授業...

  • 第206便 そこらへんの奴ら 2012.02.13

     去年の秋だったなあ、塗装工のタケちゃんと知り合いになったのは。 東京競馬場のメモリアル60スタンドの地下、立ち食いでラーメンを食べていたら、近くでやはりラーメンを食べていた若者と顔が合い、どっちもおたがいを、どこかで会っているよなあという目つきになった。 それで、「どこで会ったんだっけ?」と私から声をかけ、声をかけてみると思いだせた。2年ほど前の私の家のリフォーム工事のとき、塗装屋の親方といっしょに来て、何日間か...

  • 第205便 運、不運 2012.01.12

     ひとりで酒をのんでいるときなど、なんとなくだが、おれの人生、運がいいのかもしれないと思ったり、おれの人生、運がないなぁとか思ったりしていることがある。 明るい奴と暗い奴とがいるが、おれの人生は運がいいと思えるのは明るい奴で、おれの人生は運がないと思ってしまうのが暗い奴なのかな?ま、明るくなったり暗くなったりするわけだけれども、なるべくなら、おれの人生は運がいいと思って、明るい奴になったほうがいいのかもしれない。...

  • 第204便 フラットくん 2011.12.06

     仕事を終えると,歩きに行く。夏の終わりのころ,山道の石段をゆっくりと上がり,サッカーや陸上のグラウンドと野球場とのあいだ,バスケットボールのゴールポストがひとつ立っている抜け道のベンチで休んだ。遠くの少し赤い空に富士山が見える。まだ蝉が鳴いていた。 「こんにちは」 ボールをドリブルしながら現われ,足を止めてゴールを狙い,見事にシュートを決めたのはフラットくんだ。こうしてひとりで遊んでいる小柄なフラットくんを,た...

  • 第203便 友だちの元気な声 2011.11.11

     テレビのコマーシャルを作ったりミュージカルの製作をしたりしていたキタムラさんが,20年も育ててきた会社を72歳で若い人にゆずって3年が過ぎる。今は電話で馬券を買うか,ときどきはウインズ銀座に出かけるか,それとクラブの40分の1馬主(何頭か持つなかにサンカルロがいる)を楽しんいる。 キタムラさんと私が銀座のビヤホールで酔っているときだった。すぐうしろのテーブルに若い人が3人いて,その人たちは私を知らないが,私はその人た...

  • 第202便 カツーン,カツーン 2011.10.20

     『今でも思い出す原風景がある。少年時代,岩手県花巻市の実家の前にある田んぼで,石をボール代わりにバットを振って遊んでいた。 「コツーン,コツーンって。打った石ころが田んぼを越えるようになったとか,目に見える変化が面白くてやっていた。気づくと,真っ暗になっていることもあった」 日本人離れした長打力は,この時から磨かれてきた。東日本大震災で故郷の風景が様変わりしてしまった今こそ,東北地方に元気を届けたいと思っている...

  • 第201便 通じない言葉たち 2011.09.15

     「自分にしか通じない言葉を頼りにして,それで暮らしてまいりましたわ」 という老人の小声が,この夏,私の心に刻みこまれた。 8月6日の朝,私は京都にいて,宿からの散歩で南禅寺に入り,壮大な三門の近くで黙祷をしていた老人に, 「ヒロシマの原爆の日ですね」 と声をかけ,それから日陰に並んで腰をおろし,会話をさせてもらったのだ。 南禅寺の近くに住む老人は80歳で,京都大学に進むまでは広島にいたと言い,原爆で母と姉と兄を亡...

  • 第200便 100円の単 2011.08.10

     42歳から私は文章を書くことで生活をしている。自分の才能について自信などなくて,おれみたいな頼りない奴が,困った奴が,ちゃんと生きていけるかなあという不安は,34年も文筆生活を続けている今も消えることがない。 ただひとつ,私に信念のようなものがあるとすれば,「自殺をしない」という自分との約束だ。高校生時代に私は,いちばんの仲良しに自殺されてしまった。そのことが私に,自分との約束をさせたのだろう。 文芸誌によく作品を...

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