烏森発牧場行き
1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

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米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、「第2のスティーブ・ジョブズ」とも呼ばれているIT業界の寵児、36歳のアメリカ人、ジャック・ドーシーさんについての活字を読む。 『29歳だった7年前に仲間とサービスを始めたツイッターは、2億人が使うアイテムに育った。米大統領をはじめとする多くの政治家が自分の意見を直に発信し、世界の民主化運動を下支えする役割も果たしている』 と書いてある。 140文字以内でつぶやきを...
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2013年2月下旬、 「きびしい寒さもようやくゆるみ、早春の気配の待たれるこの頃、皆様元気にお過ごしのことと存じます。 敗戦後間もなく、それぞれが戦火を逃れての先々から三々五々と今川小学校の門をくぐり、学び、遊び、泣き、笑い、卒業して64年。皆、数え、満の七七、喜寿の爺婆(ジジババ)と相成りました。 前々回で話が出され、2年前の同期会で決まりました『今川小学校37回卒業最終同期会』を次のとおり企画させていただきました」...
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