JBIS-サーチ

国内最大級の競馬情報データベース

プロフィール
吉川良作家

1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

最新記事一覧

  • 第219便 ちち、はは、ははちち 2013.03.14

     私は競馬が大好きな若い人と酒をのむことが多い。若いといっても20代ではなくて、30代の人がほとんどだけれども。  2013年2月8日、金曜日の晩も、江の島の片瀬海岸に近い小さなバーで、大工のクボちゃん、税理士のミヤちゃん、デパート勤務のノダちゃんとのんでいた。3人とも30代の後半で、同じ高校の剣道部の仲間だ。競馬がとりもつつきあいである。 その日に私は午後3時から、頭部MRI単純+MRA単純、頚部MRA単純というのを病院でしていた...

  • 第218便 前へ進む 2013.02.15

     正月の二日と三日は、わが家へ遊びにきた連中と、東京箱根間往復大学駅伝をテレビで見る。 「必死に走ってる選手をさ、酒をのみながら眺めて、好き勝手なことを言ってるんだから、ほんと、申しわけないよね」 なんぞと言いながらだ。 どうにか走りきって次の走者へタスキを渡し、前のめりに路上へ倒れる選手を見ながら、私の頭には6歳上の兄貴が出てくる。 昭和20年代後半のことだ。当時の私の家は神田駅の近くで、この駅伝のスタート地点で...

  • 第217便 イグナルファーム 2013.01.09

     オルフェーヴルとジェンティルドンナが激しい叩き合いをし、長い審議となったジャパンCの2日後の晩、佐藤くんと山沖くんが私の家へ遊びに来ていた。 佐藤くんも山沖くんも39歳、どちらも郵便局勤務である。年齢も仕事も同じなのだが、人生の流れは違った。佐藤くんは28歳で結婚し、33歳で離婚。子供はいなかった。山沖くんは32歳で結婚。4歳の娘、2歳の息子の父親だ。 2年ほど前のこと、かんぽ生命保険のことだかで佐藤くんが私の家に来て、...

  • 第216便 なんも言えねえ 2012.12.17

     10月25日の昼のこと、京都市内でタクシーをひろい、しばらくは無言だったが、そのうちに言葉を交わすと、若い運転手は話好きのようだった。 「出身地はどちらですか?」 誰と会っても、その人の故郷を知りたがるのは私の癖だ。 「青森です」 「青森のどこ?」 「七戸というとこ」 「行ったことある」 「ぼくの名前、キクオいうんですわ」 運転手は助手席の前にある運転手の名札へ指先を向け、 「その名前と故郷が関係しとるんです」 と...

  • 第215便 悲しいくらいに 2012.11.15

     横浜の川のほとりでバーを営む光枝さんは62歳。カラオケで都はるみの歌がめっぽううまい。とりわけ「好きになった人」、(白鳥朝詠作詞、市川昭介作曲)を歌うと、初めて聞く客など、なんでそんなにうまいのかって、目をまるくする。 ところが最近、光枝さんは「好きになった人」を歌わなくなってしまった。歌の出だしが「さよーなら、さよなーら」で、そこを歌うと、死んでしまったお客さんのことが頭に浮かんでくるというのだ。 29歳で開業し...

  • 第214便 母と子の夏 2012.10.12

     「息子は野球だけがちょっと上手なバカオ。その母親のわたしは元気なだけがとりえのアホコ。 アホコとバカオで生きてるんだから、大変」  と明るい50歳の看護婦さんがいる。私の孫とバカオが一緒の中学で仲よしだった。 ときどきアホコが私の家にビールをのみにくる。それで私が競馬を教え、年に2度か3度は競馬場へ同行したり、私とアホコも仲よしだ。 そうか、アホコとバカオという名で話をすすめるのはマズイかな? でも、話の都合上、そ...

  • 第213便 オリンピックの夏に 2012.09.12

     ロンドンオリンピックの男子体操、個人種目別鉄棒の決勝をテレビで見ている。 中国の鄒凱がミスなく宙を蹴り着地を決めて16.366。すごい。内村航平を負かしたゆかに続いて、またスウガイの金メダルだと私は思った。 ところがドイツのファビアン・ハンビュヘンが、「おお!」と私を驚かせる。着地したハンビュヘンが、「見てくれたかよ、おい」といったガッツポーズ。出た、16.400。 「まいったなあ、仕方ない」といった、落胆を隠したスウガイ...

  • 第212便 新橋の「パドック」 2012.08.13

     7月3日、新橋駅に近い内幸町ホールにいた。「第14回けやき会、もの語りの世界」。その昼の部である。客席は満席だった。 フリーのアナウンサーである4人の女性が順番に、舞台中央の台に腰かけ、それぞれの演目を語る。照明と音楽はひかえめ。 4番目が深野弘子さんで、ゆきのまち幻想文学賞受賞作品、宇多ゆりえ「おいらん六花」を語る。吉原が舞台の話だ。 昔、昭和50年代、深野さんはラジオ日本の競馬中継のアナウンサーとして人気者だっ...

  • 第211便 前向きウシロ向き 2012.07.17

     ディープブリランテがフェノーメノの追撃をハナ差しのいで、2012年のダービーは終わった。 戦い済んだ馬たちが戻ってくるのを、私は地下馬道で待っている。 「やるだけのことはやった。仕方ない」という空気が、騎手たち、馬たちから流れてくるなか、「仕方ないで済むか」と悲鳴が聞こえるようにして、フェノーメノと蛯名正義騎手が戻ってきた。 私は息を詰めた。蛯名正義騎手の表情が私に、銃弾を撃ちこんだのだ。20度目の挑戦となるダービー...

  • 第210便 アタンナイ、ヤメタラ 2012.06.13

     ピーコという名のセキセイインコが逃げだし、警察に保護され、「サガミハラシミドリク......」と番地までしゃべったので、飼い主の女性のもとに戻ってニュースになったとき、 「ミヤさん、元気かなあ」 私が言い、 「あっ、わたしも、ミヤさん、どうしてるかなあと思った」とかみさんが言った。 5年ほど前まで、ミヤさんは奥さんのキクさんと、私の家から歩いて20分ほどの森のなかに住んでいた。女子大で英語を教えていたミヤさんの楽しみは...

トップへ