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プロフィール
吉川良作家

1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

最新記事一覧

  • 第222便 さらさらいくよ 2013.06.18

     2013年2月下旬、 「きびしい寒さもようやくゆるみ、早春の気配の待たれるこの頃、皆様元気にお過ごしのことと存じます。 敗戦後間もなく、それぞれが戦火を逃れての先々から三々五々と今川小学校の門をくぐり、学び、遊び、泣き、笑い、卒業して64年。皆、数え、満の七七、喜寿の爺婆(ジジババ)と相成りました。 前々回で話が出され、2年前の同期会で決まりました『今川小学校37回卒業最終同期会』を次のとおり企画させていただきました」...

  • 第221便 「らくや」のひと晩 2013.05.23

     2013年4月5日、金曜日の夜8時、 「おいでなんですけど」 と居酒屋「らくや」のママ、多恵さんから電話がきた。医師を引退した83歳のモネ先生が来たので、リョウさんも来てくれなければ困るというのが、多恵さんの「おいでなんですけど」である。 モネ先生は趣味で油絵を描く。フランスの画家オスカル・クロード・モネの「睡蓮」や「舟遊び」が夢の絵。モネが神さまで、「モネ先生」が愛称になった。 私は家から歩いて25分の「らくや」へ出...

  • 第220便 今年の弥生賞 2013.04.15

     左足の親指の爪を切っていて失敗し、小さな傷から菌が入ったのか腫れて痛みだし、夜中に目がさめたりした。 こっちの皮膚科はダメ、あっちの皮膚科に行きな、と娘が言うので、足を引きずってアッチノ皮膚科へ行くと、待合室は満員。 そこにあった新聞を読んで待つ。 『気持ちは、ずっと変わっていません。1人だけ残ってしまった。自分だけ生き残ってしまって、よかったのだろうか。思いは、いまも消えません。 落ち着ける場所がないんです。...

  • 第219便 ちち、はは、ははちち 2013.03.14

     私は競馬が大好きな若い人と酒をのむことが多い。若いといっても20代ではなくて、30代の人がほとんどだけれども。  2013年2月8日、金曜日の晩も、江の島の片瀬海岸に近い小さなバーで、大工のクボちゃん、税理士のミヤちゃん、デパート勤務のノダちゃんとのんでいた。3人とも30代の後半で、同じ高校の剣道部の仲間だ。競馬がとりもつつきあいである。 その日に私は午後3時から、頭部MRI単純+MRA単純、頚部MRA単純というのを病院でしていた...

  • 第218便 前へ進む 2013.02.15

     正月の二日と三日は、わが家へ遊びにきた連中と、東京箱根間往復大学駅伝をテレビで見る。 「必死に走ってる選手をさ、酒をのみながら眺めて、好き勝手なことを言ってるんだから、ほんと、申しわけないよね」 なんぞと言いながらだ。 どうにか走りきって次の走者へタスキを渡し、前のめりに路上へ倒れる選手を見ながら、私の頭には6歳上の兄貴が出てくる。 昭和20年代後半のことだ。当時の私の家は神田駅の近くで、この駅伝のスタート地点で...

  • 第217便 イグナルファーム 2013.01.09

     オルフェーヴルとジェンティルドンナが激しい叩き合いをし、長い審議となったジャパンCの2日後の晩、佐藤くんと山沖くんが私の家へ遊びに来ていた。 佐藤くんも山沖くんも39歳、どちらも郵便局勤務である。年齢も仕事も同じなのだが、人生の流れは違った。佐藤くんは28歳で結婚し、33歳で離婚。子供はいなかった。山沖くんは32歳で結婚。4歳の娘、2歳の息子の父親だ。 2年ほど前のこと、かんぽ生命保険のことだかで佐藤くんが私の家に来て、...

  • 第216便 なんも言えねえ 2012.12.17

     10月25日の昼のこと、京都市内でタクシーをひろい、しばらくは無言だったが、そのうちに言葉を交わすと、若い運転手は話好きのようだった。 「出身地はどちらですか?」 誰と会っても、その人の故郷を知りたがるのは私の癖だ。 「青森です」 「青森のどこ?」 「七戸というとこ」 「行ったことある」 「ぼくの名前、キクオいうんですわ」 運転手は助手席の前にある運転手の名札へ指先を向け、 「その名前と故郷が関係しとるんです」 と...

  • 第215便 悲しいくらいに 2012.11.15

     横浜の川のほとりでバーを営む光枝さんは62歳。カラオケで都はるみの歌がめっぽううまい。とりわけ「好きになった人」、(白鳥朝詠作詞、市川昭介作曲)を歌うと、初めて聞く客など、なんでそんなにうまいのかって、目をまるくする。 ところが最近、光枝さんは「好きになった人」を歌わなくなってしまった。歌の出だしが「さよーなら、さよなーら」で、そこを歌うと、死んでしまったお客さんのことが頭に浮かんでくるというのだ。 29歳で開業し...

  • 第214便 母と子の夏 2012.10.12

     「息子は野球だけがちょっと上手なバカオ。その母親のわたしは元気なだけがとりえのアホコ。 アホコとバカオで生きてるんだから、大変」  と明るい50歳の看護婦さんがいる。私の孫とバカオが一緒の中学で仲よしだった。 ときどきアホコが私の家にビールをのみにくる。それで私が競馬を教え、年に2度か3度は競馬場へ同行したり、私とアホコも仲よしだ。 そうか、アホコとバカオという名で話をすすめるのはマズイかな? でも、話の都合上、そ...

  • 第213便 オリンピックの夏に 2012.09.12

     ロンドンオリンピックの男子体操、個人種目別鉄棒の決勝をテレビで見ている。 中国の鄒凱がミスなく宙を蹴り着地を決めて16.366。すごい。内村航平を負かしたゆかに続いて、またスウガイの金メダルだと私は思った。 ところがドイツのファビアン・ハンビュヘンが、「おお!」と私を驚かせる。着地したハンビュヘンが、「見てくれたかよ、おい」といったガッツポーズ。出た、16.400。 「まいったなあ、仕方ない」といった、落胆を隠したスウガイ...

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