烏森発牧場行き
1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

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郵便受に手紙があるとうれしい。「おっ」と-声が出そうになったのは,遠方からの便りがあったからだ。友あり遠方より来たる。手紙でも,その人に会うことになるので,そう思った。 『前略。それにしても大変な時に当たったものだと思います。今年の最後のせりが当地で行われているのですが,名簿で予め選んだ上場馬を下見に行くと,馬房が空っぽなのです。州外から運ばれる予定だったのですが,持ち主が輸送費を支払えないために,レキシントン周...
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第180便 すたこらすたこら 2009.12.01
ウインズへ行こう。家を出る。住宅地の坂道をおりていると,静かな空気へ,カラスがうるさく鳴いた。電線か木の枝か屋根かに,3羽か4羽。 「こんにちわ」 ひょっこりと老婆が歩いてきて私とすれちがい,かすかに言った。 「こんにちわ」 私もかすかに返した。歩いているのだか,立ち止まっているのだか,老婆は坂道の上りをひょろひょろ。イチョウの木が並ぶ風景にいる人間は,私と老婆だけ。あとはカラス。 その老婆,その住宅地で,カラ...
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信者が祈りを捧げて眠りにつくように,私は本を手にベッドで横になる。その本は,言わば,友だちと称んでいいかな。 ここ数日の友だちは,文春文庫の,須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」だ。 (1950年代の半ばに大学を卒業し,イタリアへ留学した著者は,詩人のトゥロルド司祭を中心にしたミラノのコルシア書店に仲間として迎え入れられる。理想の共同体を夢みる三十代の友人たち,かいま見た貴族の世界,ユダヤ系一家の物語,友達の恋の落ち...
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松たか子の主演映画「ヴィヨンの妻」の根岸吉太郎監督が,カナダで開催された第33回モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞し,「メルシー・ボク(ありがとう)」を5回も繰り返した,と新聞で読んだ。 根岸作品で「ばんえい競馬」を題材にした「雪に願うこと」は,2006年度のJRA馬事文化賞を受賞している。その祝いのパーティーのときと,ほかの酒のときにも,少しだけど競馬の話を根岸監督としたことのある私は,その思い方に共感してい...
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ビッグレッドファーム明和の事務所は,タネ付けシーズンだと朝5時半の始業だが,7月になって8時になった。事務所のファックスを使わせてもらって,そのあと,ほとんどの朝,スタリオンの厩舎に寄る。 昼の2時に放牧されて,朝5時半に馬房へ帰るタネ馬たちは,ちょっと眠そうでぼんやりしている。 「おはよう」 飼葉桶に顔をつけているタイムパラドックスに挨拶をする。私とタイムパラドックスとの距離は,柵をへだてて20センチか。タイム...
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40歳を過ぎて競馬のことを文章にしはじめた私は,牧場の経営者や従業員や,馬主や調教師たちと会う機会が多くなった。あれえ,と思った。競馬の世界というのは,人に会うと,たいてい,「この人,お金持ちなのか貧乏なのか。この人,何を言ったって,馬を買える人じゃないな。この人,有名なのか無名なのか」そんなふうに見られているような気がした。 それは人間の社会というのは,どこへ行っても同じようなもの。競馬の世界に限ってということ...
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