烏森発牧場行き
1937年東京都生まれ。
芝高等学校卒、駒澤大学仏教学部中退。
薬品会社の営業、バーテンダーなど数々の職業を経験。
1978年すばる文学賞受賞。
1999年社台ファームの総帥、吉田善哉氏を描いた「血と知と地」(ミデアム出版社)で、JRA馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
JBBA NEWS掲載の「烏森発牧場行き」第1便~第100便は「サラブレッドへの手紙(上・下巻)として2003年源草社から出版されている。
著者のエッセーには必ず読む人の心をオヤッと引きつける人物が毎回登場する。
「いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむけ・・・」という信条で、登場人物の馬とのかかわり、想いを引き出す語り口は、ずっと余韻にひたることができるエッセーとなっている。
馬・競馬について語る時は、舌鋒鋭く辛口の意見も飛び出すが、その瞳はくすぐったいような微笑みを湛えている傑人である。

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もう40年近く昔のことだが,薬品会社に勤務していた私は,秋田市の大きな病院の院長に,とてもよくしてもらった。 そのころに中学生だった院長の三男坊が,私の家に近いホテルでの結婚式に出るとか,ひょいと電話してきて,式の翌日に顔を見せ,酔っぱらってしまって私の家に泊まった。野猿のようだった少年が,初老の白髪男になっている。 「兄貴がふたりとも医者になって,医者になれなかった三男坊としては,遠慮っぽい人生になってしまって...
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郵便受に手紙があるとうれしい。「おっ」と-声が出そうになったのは,遠方からの便りがあったからだ。友あり遠方より来たる。手紙でも,その人に会うことになるので,そう思った。 『前略。それにしても大変な時に当たったものだと思います。今年の最後のせりが当地で行われているのですが,名簿で予め選んだ上場馬を下見に行くと,馬房が空っぽなのです。州外から運ばれる予定だったのですが,持ち主が輸送費を支払えないために,レキシントン周...
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信者が祈りを捧げて眠りにつくように,私は本を手にベッドで横になる。その本は,言わば,友だちと称んでいいかな。 ここ数日の友だちは,文春文庫の,須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」だ。 (1950年代の半ばに大学を卒業し,イタリアへ留学した著者は,詩人のトゥロルド司祭を中心にしたミラノのコルシア書店に仲間として迎え入れられる。理想の共同体を夢みる三十代の友人たち,かいま見た貴族の世界,ユダヤ系一家の物語,友達の恋の落ち...
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